稽古帰りの車の中で何気なくNHKラジオを聴いていたら、耳に入ってきたのは、なんと懐かし亀渕昭信さんの若々しい声でした。40年前と同じような調子でディスクジョッキーをしておられました。番組のタイトルは≪亀渕昭信の いくつになってもロケンロール≫。1950年代から70年代ころの曲を中心に流しています。
亀渕さんと聞いてオールナイトニッポンを思い出す人は50代後半から60代の方でしょう。最近では、ライブドアによるニッポン放送の敵対的買収騒動に対応された時、『あ、今は社長をしてるんだ』と驚きました。わたしがその亀渕さんのオールナイトニッポンを聴いていたのは、人並みに大学受験勉強をしていた1970年前後で、立場上決して楽しいとも思われない時期です。でも、その頃を懐かしく思い出すのは、日常の生活や価値観など、いろんなことに変化が現われつつ、漠然としたものではあるけれども将来に期待を抱いていた時期に対する憧憬からでしょう。
わたしが合気道を知ったのもちょうどそのころで、このブログにも採りあげていますように特に入門時から在京のころのことは今でも昨日の出来事のように思い出されます。なんといっても、信頼する先生の教えを受けて、それをそのまま身に付けることが一番の仕事である時期は、多少の苦労は未来への希望によって穴埋めされ、その上たくさんお釣がきます。
わたしの場合はその後帰郷しましたから、それまで受信者であればよかったものが、同時に発信者の役割が加わることになりました。つまり、自分自身が修行者であると同時に指導もする立場になり、楽しいだけでは済まされなくなりました。それでも、まわりに誰も頼るべき人がおらず、一人で考えざるを得ない状況の中で、かえって目指すべき姿が明確になり、思念のブレがなくなったことは喜ぶべきことかもしれません。
自分が受発信者であるという状況は今も続いていて、本当は昔を懐かしむどころではないのですが、当時の未熟な自分を他人事のように眺めて楽しむくらいのズーズーしさは身についたのかもしれません。
先日、大変お世話になっている白川勝敏先生(合気会宮城県支部長)の道場の講習会に講師としてお招きいただきました。先生はかつて明治大学合気道部において小林保雄先生の薫陶をお受けになり、わたしなど比べ物にならない正統の合気道をなさる方ですので、本来はわたしごときが講師として伺うなどは分を超えていると言わざるを得ません。それが、道縁によって面識を得た後はいろいろな便宜をはかっていただくだけでなく、永年の朋友のごとく接していただき、やっぱりズーズーしくもこのような今日を迎えているわけです。
ところで、一般的な道場では、講習といえども普通は外部の、特に流れの異なる指導者などは歓迎されないのではないでしょうか。考え方の違い、技法の違いなどが大きい場合もあり、場合によっては悪意がなくても不利益を被ることがないとも限りません。そうした中、異物たるわたしが白川先生のお言葉に甘えてお邪魔しているのは、もちろん先生の度量の広さと指導理念の揺るぎなさを信頼しているからに他なりませんが、もうひとつ、私自身が所属していた東京のO道場での経験によります。
入門当時のO道場は稽古日が週に5日で、朝稽古のほか、夜に1時間×2の枠がありました。ですから夜に限っていえば週に延べ10人、奥村繁信先生を筆頭に、本部からいらっしゃる指導員(当時は助教といっていました)や道場生え抜きの指導者、合わせて5、6人の方が日替わり、時間替わりで受け持っていました。その先生方の合気道が細かな点では皆違うのです。
また、O道場は、道場長ご自身があまり合気道経験が長くなく、また病後でお体が若干ご不自由なこともあり、良くも悪くも、これがO道場流だという技法のしばりはありませんでした。ですから出稽古自由で、当時都内各地で開かれていた講習会や稽古会にも勇んで出向きました。『O道場から来ました』といえばほとんど無条件で飛び入り参加させていただけましたから、いろいろな先生の合気道に接することができましたが、やはりそれぞれ個性があり、違いがありました。
わたしの場合、そのような環境で培われた複眼的な思考と認識が今の自分を作り上げたと思っておりますし、黒岩先生に師事し、白川先生と出会う契機ともなったと考えています。とにかく自分の合気道とは違う合気道があるということを知ることは、心構えさえ誤らなければ間違いなく上達に利があります(ここでいう心構えとは、自分自身の本流を外れないという意志のことですが、わたしの場合は本流を見つけるためにいろんな支流を渡り歩いたといえるかもしれません)。
そういうわけで、異物は異物なりの覚悟をもって自分の合気道を紹介することにも意味があると考え、講師もすればブログも書いているのですが、その原点はすべて1970年代にあるのだなあと思い返しています。
いまわたしが合気道に感じる懐かしさというのは、わけもわからずただこの先には何か大切なものがあると信じて、若さにまかせて前へ進もうとした、その心のエネルギーに向けたものかもしれません。ズーズーしい他に、最近ちょっと小利口になったかなと思うにつけ、その頃の自由な精神こそが合気の道に適うものではないかと感じます。
それにしても、亀渕さんのラジオから流れる曲は現代人の趣味からは少々離れているかもしれませんが、その時々の完成品であったことは事実です。それなくして一足飛びに現代音楽ができたわけではありません。このことは一つのことを成し遂げようとするとき、たとえば、わたしたちが合気道を究めたいと考えるときの指標となるかもしれません。ということで、この先の未来のある日に、今を懐かしく思い出すことができるかどうかは、いつに今現在の精進のありようにかかっていることは疑いありません。