合気道ひとりごと

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338≫ 様式美

2018-05-03 18:21:00 | 日記
 わたしは、合気道は大方の合気道家が考えているよりも強剛な武道であり、同時に繊細な武道であると思っています。その理由は繰り返しこのブログで述べてきた通りですが、もうひとつ、とても美しい武道であることを付け加えておきます。

 それでは、合気道の美しさとはどういうものか、それを今回は考究したいと思います。

 合気道が動きと姿かたちの美しい武道であることは多くの方に賛同していただけるものと思います。もちろん動きというのは人によって違いがありますから、これこれこうでなければならないという具体的なものを指すのは無理があります。そのいずれもが個性的で美しいのです。

 ただ、美しいかそうでないかを分ける基準というものはあります。それは、格闘、制敵に有効かどうかということです。武術ですから。

 武術性からかけ離れた動きはいくら美しくても、それは合気道ではありません。そこを誤解して、きらびやかな動きを有難がる傾向は、少なくともわたしの若いころにはありました。そんな時代背景もあって、黒岩洋志雄先生は動きの美しいことで人気のあったY師範の合気道をダンスだと酷評しておられたのです。

 さて、武術性を踏まえた理論に裏打ちされた美しさは、この理論ではこうすべきだという、ある一定の法則にしたがって動くことで表されます。それは一般的に知られた動きもあれば、そうでないちょっと変わった動きもあり、それぞれの様式を表しています。

 わたしは若いころ所属していたO道場の指導者のほかに、西尾昭二先生と黒岩洋志雄先生の指導を受けました。このお二方は当時にあって飛びぬけた才能の持ち主、数少ない達人といって良いでしょう。お二方の術理に多少の異同はありますが、それぞれ一定の理論に則った動きを教えていただきました。言うなれば西尾様式、黒岩様式です。そしてそれぞれが『強い』のです。

 ご存じのかたもおられるでしょうが、それぞれが特徴のある動きを伴います。それぞれの動きのもととなる様式とは、たとえば、これこれの場合は右足が前でなければならない、それはこれこれの理由があるからだ、という合理的説明が可能な動きのことです。

 なぜそう動くのか、昔からやっているからだ、なんてのは落第です。そんなのが見た目にいくら美しくても合気道としてなんの値打ちもありません。合気道を稽古されている方々にはぜひ自己検証をお勧めします。

 理論と称するに値する動きはどれほどあるのか、生涯でひとつでも出会えたら幸運です。そしてその様式に則った美しい合気道は強いのです。