《大宇宙 合気の道は もろ人の 光となりて 世をば開かむ》 大先生の残された道歌のひとつです。厳しい修行と考究の末に、大先生の技と精神は天地を貫き宇宙の高みにまで達したことを表すお言葉だと思います。わたしたち一人びとりは、その系譜に連なる者として誇りと責務を感じとるべき立場にあります。
さて、そこでです。合気道に励むことがどういうわけでもろ人の光となり得るのか、凡人のわたしたちとしては(いや失礼、わたしとしては)、その因果関係といいますか、必然性といいますか、要するに論理の裏付けが欲しいところです。
黒岩理論はその疑問に応えます。それが前回提示した、合気道の基本的な技法により3次元空間を構成するという理解であり、そこから出発することで大先生の世界を遠望できることになるでしょう。
合気道の稽古は基本的に二人でおこないます。しかも畳何枚分かの面積があればそれで事足ります。この、少人数、小面積でおこなわれる稽古ですが、そこには一組の稽古者が技法展開することによって作り上げられる空間があり、その中で築かれる人間関係は相互の信頼に基づいた緊密なものであるはずです。
さて、大先生がいかにおっしゃろうとも、わたしたちは一気に地球規模や宇宙規模の人間関係を想像すること、ましてや実感することはほぼできないでしょう。しかし、近くの一人を大切にすることはできます。たしかにその規模には差がありますが、目指す方向性がいっしょであれば十分に価値があります。
つまり、わたしたちは日々の稽古で目の前の稽古相手を大切にすることで、間違いなく合気道の理想に近づいているといえるのです。そのときに必要なのが、稽古者二人が同一の空間を共有しているという意識です。そしてその空間は合気道の基本の技法によって構成されているという理解です。合気道稽古における空間は誰か一人の勝手な思いで作られているわけではないことを心に留めておくべきでしょう。
この、合気道稽古において稽古者が作る空間というものを意識し、見えるということになれば、それは技法のみならず精神性までも引き上げるということを、だれでもすぐに実感できるはずです。そして、初めは小さな規模で始まる合気道が、稽古の成果としての心技体の向上にともなって、包含する空間が意識の上で徐々に大きくなっていく、そして最終的には冒頭の道歌の世界を目指す、これこそが修行の醍醐味といえます。
合気道の理想は何かスローガンやオマジナイのようなものを述べ立てていれば実現するというようなものではありません。合気道の理想は合気道の稽古に励むことによってのみ近づくことができます、当然のことです。
であれば、その稽古のあり方が正しい方向を指し示しているかどうかは常に検証されなければなりません。その道標となる人は、手首をとったり正面を打ってきたりする、いまあなたの目の前にいるその人です。だから、大事にしなくっちゃ!
=黒岩語録 その5=
《気》というのはね、出したり引っ込めたりっていうような、そんな便利で都合の良いものじゃないんです。1年稽古すれば1年分の気、10年稽古すれば10年分の気が自ずと表れるんです。
だから、入門したばかりの人に『気を出せ、気を出せ』って言ったって、そりゃ無茶ですよ。それができるくらいなら、わざわざ合気道なんかに入門しませんよ。