合気道ひとりごと

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228≫ 黒岩理論 その4

2014-02-13 16:51:13 | インポート

 『虚を真実と取り違えて喜んでいるのは、そう言っちゃ悪いですけど月謝を払ってくれる弟子にしかすぎないってことです』とは黒岩洋志雄先生の言葉。そういうわたしはその月謝さえ払ったことのない居候弟子でした。なにしろ貧乏学生でしたから、自分の所属する道場の月謝を払うのがやっとで、出稽古先の月謝までは賄えなかったのです。そんな無賃乗車のくせに先頭の景色のよい席に陣取って乗客ならぬ上客を目指していたのですからいい気なもんです。それを許してくださった先生だからこそ、このブログのような形で恩返しの真似事でもしようと思ったわけです。

 恩返しといっても、それが価値のない技法や理論であればいかに装飾をしてみたところですぐに化けの皮がはがれます。それを百も承知でなお主張できるのが黒岩合気道です。今回はその真髄をご紹介いたします(とはいえ以前の焼き直しですのでご諒解の程を)。

 それは、タテの崩しとヨコの崩しです。

 人ひとりを投げたり押さえたりするのは、柔道を見ればわかるように、本当に容易なことではないのです。このごろは消極的な動きには注意や指導などのペナルティーがあるので、十分な態勢を作れないまま相当無理な技を仕掛けていく無様な試合をしばしば見せつけられます。

 かつての試合では《一本》と《技あり》しかなかったので、それに満たないものは全て引き分けでした。もちろん体重無差別でしたから、軽量の者がいかに大きく強力の者の攻めを凌ぐかも技術の一つでした。勝たないまでも負けない、多くの日本人はそれで良いと思っていたのです。しかし、柔道が世界的競技となるにしたがって、観る側の論理が取り入れられ(はっきり言えば見世物となり)、柔道本来の品格ある技法にお目にかかる機会はめっきり減りました。

 その、品格ある技法をあらしめているのが崩しの技術です。明治期に講道館柔道が他の古流柔術を圧倒していた理由はいくつかありますが、特に注目すべきはこの崩しの技術でしょう。とにかく、しっかりと崩しをかけないと人は簡単に倒れてくれません。講道館柔道がそれを証明してくれているのですから、柔術系の武術はすべからくそれを念頭に置いておくべきです。この点に関しては合気道も例外ではありません。

 しかしながら、合気道界において崩しということを明確に意識し、それが各技本来の意味であるということを主張しておられたのは黒岩先生だけだと思っています。具体的には、一教は上段の崩し、同様に二教は中段、三教は下段、四教は地(に着く)というようにタテ系の崩しだということです。そして、四方投げはヨコの崩しを表現したものです(いずれも詳細は割愛します)。

 この、タテとヨコの崩しに加え、黒岩先生は奥行を表す技法として再び二教を取りあげています。そのことによって合気道技法はいわゆる縦横高さの3次元空間を構成していると考えておられました。

 なお、不肖の弟子としては、奥行を表す体捌きとして、二教のかわりに入身を加えることによって、合気道の基本の技としてなぜ一教、四方投げ、入身投げが採用されているかということへの解答になるような気がしています(生前、先生に伺うべきでした)。

 いずれにしろ、合気道の技法や体捌きで3次元空間を構成することにどのような意味があるのか、これは次回の課題とします。

 =黒岩語録 その4=

 『吉祥丸先生が技を整理して、それを本に著すときに、わたしは一教を腕押さえだとか、二教は小手回し、三教は小手ひねり、四教は手首押さえなんて名前にしちゃだめだって言ったんです。そんなものは技のおまけみたいなもんですから。それで吉祥丸先生と言い合いになっちゃった』