わたしの主宰する会では今年も何人かの新たな会員を迎えることができました。今年の特徴は比較的年齢の高い人が多かったことです。長年勤めた会社をめでたく定年で退き、余裕のできた時間で合気道という武道を嗜んでみようという方たちです。同年代の主婦の方もいらっしゃいます。
五十の手習いといいますが、それより十歳以上も上で、本来であれば家の中で孫(いらっしゃるかどうか聞いていませんが)を相手にのんびりぬくぬく過ごしても誰にも文句は言わせない身の上です。にもかかわらず未知のものに取り組んでみようという彼らの若々しいチャレンジ精神には大いに敬意を表したいと思います。
彼らが合気道を選択した一番の理由は、ある程度の年齢でも(やりようによっては)無理なく適度な運動ができ健康に良いということのようです。指導者としては最低限その望みには応えなければいけないでしょう。
さてしかし、健康維持のためだけなら、より高齢者にふさわしく楽しい娯楽やスポーツがいくらでもあります。そんな中、彼らはなぜ合気道を選択したのか、そこまで理解しないと本当に期待に応えたことにはならないでしょう。そしてそれこそが現代に武道を学ぶ意義に通じるものだと思います。
わたしが、指導者の立場で合気道とはこれこれのものだと能書きを垂れるのは簡単なことですが、それでは彼らの真の選択の理由を説明することにはなりません。やはり彼ら自身の言葉で説明してもらう必要がありますが、そこまでの話は伺っていません。いまはまだ手足をどう動かすかというレベルのことで精一杯のようです。そこで、ちょっとだけ勝手な推理をしてみようと思います。
彼らが生まれたのは昭和20年代。記憶に残る原風景といえるのは昭和30年前後の貧しくも明日に希望の持てる日本であるに違いありません。その後の高度経済成長も、さらにその後の低迷期も知っていますが、なんといっても敗戦の痛手からみんなで立ち上がろうとしていたあの時代の空気こそが人格形成に大きく寄与したと言ってよいでしょう。
その立ち上がるためのエネルギーはどこから来ていたと思いますか。はっきり言って、それは自分たちが日本文化を背負った日本人であるというその一点に尽きると思います。当時、大人たちは戦争の当事者であることも、それに負けたことも、そのあと自分の足で立ち上がらなければならないことも、潔くその全てを引き受け、さらにそういう環境にもかかわらず子どもたちを全力で守ろうとしていたのです。おかげで、敗戦間もない時期にありながら、子どもであったわたしたちは貧しいけれども、悲惨で鬱屈した思いはほとんどせずに育ちました。
そのことを知っている人たちがいま産業社会の第一線を退き、あらたな世界に一歩踏み入ったのです。そのあらたな世界というものの一つが、日本文化としての武道であるのは、ある意味必然です。もちろん、かつて自分を育んでくれた日本文化ではあるけれども、子どもだからその中身を理解していたわけではない、それでも、なんとなく惹かれるものがある、そういうことでよいのだと思います。そののち、この世に合気道があって良かった、そう思ってくれる人が一人でも増えればこんなにうれしいことはありません。
それがいずれは日本文化の一端を担っている自覚につながることを期待し、そのことに大いに誇りを持って、大先生のおっしゃる、合気道の究極の目的たる地上天国の出現に寄与していきたいものです。
もうひとつ。このくらいの年齢になると、なんとなくまだやり残しているものがあるような気がしてくるものです。そして体力も精神力も、弱ったといいながらも少しは残量がある今こそそのやり残し感を払拭すべき時だ、そう思うのかもしれません。そのお手伝いも指導者の仕事です。それもなかなか楽しいですよ。それにしても合気道の間口の広さがありがたい、そうあらためて思います。
この一年も拙いブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。どうぞ良いお年を。