『合氣道技法』という本があります(昭和37年:光和堂。手許にあるのは復刻版:平成19年・出版芸術社刊で、だいぶ以前にわたしの修行の助けにと、大切な人から頂いたものです)。これはここでよく引用する『合氣道』の続編として吉祥丸先生が著されたものですが、この中に『現在数万に達している合気道修行者の中からも、更に飛躍した何物かを掴み、世に問うことにならぬとも限らぬのである』という一文があります。また、『この武道は翁とその後継者の絶えざる努力によって、更に無限に向上し、その技法も益々飛躍発展して止まるところを知らぬであろう』とも述べておられます。
この一文は非常に大きな意味のある言葉ではないでしょうか。これは、わたしが勝手に思っていた『合気道は発展途上の武道である』ということを、当時の本部道場長、後に道主となられる方が自らはっきりと言っておられるのです。開祖ご自身は別として、後の合気道というものはすべてが完成されているわけではないということに他なりません。
このことは、同書の中身からもわかります。どういうことかというと、この本はわたしが合気道に入門するわずか9年前に著されたものにもかかわらず、そこで示されている動きや技の名称と、わたしが習ったものとが既に違っているのです。わたしが入門当初に指導を受けたのは本部師範の奥村繁信先生や助教(当時の呼称)の鳥海幸一先生などで、いうなれば初代、二代の道主直系の方々です。その先生方の手法が既に本に示されたものではなくなっていたのです。もちろんそれは著者である吉祥丸先生認証の元になされたものに間違いはありませんから、その本で述べられていたように『益々飛躍発展』してきた証であると言えます。
それを逆半身片手取り一教を例にとって検証します。まず名称ですが、同書では《腕抑え》とあり、ところどころに申し訳程度に一教と括弧書きしてあります。ですが、わたしの入門時には既に腕抑えという表現は使われていませんでした。
次に技法について、これには転換から入る方法と入身を施す方法と二つあります。吉祥丸先生は同書において、転換からは一教表を、入身からは裏を紹介しています。もちろんそれぞれの体捌きから表裏両方できますが、特に上記のように指示しておられます。しかしながら、現今、技法全般において転換は裏、入身は表というのが基本のはずです。同書の表記はその点、明らかに違っています。そのような矛盾を抱えたまま、かつてこれらの技法が教授されてきたことは事実です。それが、わたしの入門時点では入身からは表、転換からは裏と、基本に忠実に指導されました。
なんと短期間に変化したことでしょう。このような中核的技法でさえより合理的方向を目指して改革されるのです。そのような柔軟性こそが合気道の特徴かもしれません。
したがって、これこそが開祖の示された合気道だ、なんて力んでみたところで、現代的価値観や社会的要求にそぐわなければ、それは単なる懐古趣味でしかありません。合気道はあくまで今を生きる現代武道です。ですから、開祖は道のすべてを作ったのではなく、道の入り口を開き、以後進むべき方向を指し示してくださったと理解すべきです。このことは後に続く者にとっては常に革新を求められるという大変な課題を負わされていると同時に、未来へ向けての進歩向上に携わることができるという大いなる希望をも与えられていると言ってよいでしょう。
とは言うものの、具体的に何が現代にふさわしい技法なのか、今の稽古法では知りえません。試合のある武道では勝利に結びつく技法こそが求められるので、このような苦労はないだろうと思いますが、合気道では工夫が必要です。わたしは演武会こそがその新技法紹介の一番の機会であろうと思います。
ですが現実はそれとはだいぶ異なっています。日頃のおさらい会のような現在のあり方は、それはそれで意味があるでしょうが、本来は内部でやっていればよいことで、わざわざ広域や全日本レベルに持ち出してくる必要はありません。また、次から次と演武者が登場して、ぽんぽん投げて終わりというようなあり方も、中には注目すべき演者や技法もあるだけに、改善するのが望ましいと思います。そのような場では、演武者数を制限し、時間を十分にとり、技法の事と理をきちんと紹介し、興味があればさらに細かく教授できるようなシステムにしていくのが良いと考えます。
もちろん、毎年毎年新しい技法が登場するということは考えにくいので、人気と意義のあるいくつかの限られた技法が繰り返し紹介されることになり、結果的にそれが新しいスタンダードとなるわけです。
ただ、そうなると立場がなくなったり、面子のつぶれる人が少なからず出てくるかもしれませんね。そのときは他武道のあり方を研究してはいかがでしょう。合気道はぬるま湯に浸かっていると感じるかもしれませんよ。
でもまあ、なにしろ『益々飛躍発展』させなければならないのですから、ここはあらゆる人にその可能性と機会が均等にあるということで理解していただく必要があります。