合気道ひとりごと

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138≫ 合気道の特徴 その2 

2010-10-03 15:28:11 | インポート

 一般的に合気道の特徴ということではいろいろな側面が取り上げられています。いわく、円の動きである、いわく、相手の力を利用する、いわく、順関節に極める、いわく、体術の動きがそのまま武器術に変化する、等々あげればきりがないほどで、そんなにいっぱい特徴があるということが特徴だと言えるほどです。それらはたしかに合気道の一面を伝えるものではありますが、特徴というよりは稽古における心構えといったほうが適切かもしれません。

 これはやはり相手ないしは敵に対して自分の優位性を確実なものにするレベルの技法を検証する必要があります。ものの役に立つということを武道にあてはめて言えば、たとえば、こうなれば合気道は強い、というような状況を作り出せるかどうかということです。もしそうなれば、言葉遊びのように感じるかもしれませんが、特徴が特長になっていると言ってよいでしょう。

 前回そのことに関連し、合気道の場合、間合いの内に入れてしまったら厄介だと思われるような武道であるべきだと表現したわけです。それを今回はもう少し掘り下げて、通常の稽古においてどのようにすればそれに見合う武技を身に付けることができるかということを考えてみようと思います。

 合気道は『離れたところから始まる武道』であること、『動き』が肝心であることを前回引用した二代道主吉祥丸先生の言葉で確認しました。つまり、手の届かない間合いからほぼ密着する位置までの移動こそが合気道の真骨頂であるということです。

 それを黒岩洋志雄先生は具体的に次のように表現しておられます。※相手に打たれるくらいのところまで踏み込まないとこちらも打てない。※手が有効に働く領域は両手で輪を作ったその内側。※相手との接触点までむやみに手を伸ばすのではなく歩を進めて体を寄せていく。※こちらと相手との間のすきまを自分の体で埋めていくのが技。

 読んでおわかりの通り、これらはすべて間合いと動きに関して言われたことで、それこそが相手(実戦の場合は敵)に苦戦を強いる必要条件となるものです。個別の技法はその先にあるもので、これはしっかり実の稽古(参照⑮≪ウソ≫その他:実際的用法を想定し、自分から取りにいったり掴み返したりする稽古法)を積み重ねて自分のものにする必要があります。

 以上のことは、合気道の稽古において通常指導、説明される手先の動きなどの前に、足の働きを重視するべきであるということを示しています。ここでの足の動きとは、爪先の向き、歩幅、膝の曲げ角、踏み出しの速さ、体重の載せ具合などです。合気道を特徴づけるほどの技術であれば相当に詳細な方法が示されるべきであると思うのですが、現実にはそれほどの指導がなされているようには見えません(これは全体論としてです。指導者によってはきちんとなされていることを存じています)。

 右足を一歩進める、次に左足で回るなどというごく大雑把な説明では、中級レベル以上の人の稽古のたしにはなりません。歩幅の大きさはどれくらいか、回る角度はどうか、そのとき腰の高さはどこに保つかなど、注意すべき点は本当はたくさんあるのです。それが曖昧になっているのは、そこまで細かに鍛錬しなくても稽古では受けが勝手に倒れてくれるからです。道場の古株が偉そうに振舞っていられるのも、自分たちが作り上げたそのような稽古風土に助けられ、さも実力が高いかのように自分もまわりも勘違いをしているからです。そんなところに少し足腰のしっかりした新人が入ってくると、思い通りにならずとたんに馬脚を現すことになります。ですからわたしは素人に技がかかるようになったら一丁前だと言っています。

 さて、それでは足遣いが合気道の特徴なのでしょうか。正確にはそれは合気道の特徴そのものというよりは、特徴を支える諸条件の中の上位にあるものというべきでしょう。それでは合気道の特長になりうる特徴とは何か。すでにお気づきの方もおられると思います。それは『入身』です。なぜならばすべての技は離れたところから始まり、間境を越え、相手に密着して成立するからです。それがわかれば、稽古において何が重要であるか、その重要なものを磨くにはどうするかということがはっきりしてきます。結局、合気道は入身をしっかり身につけ、それを個別技法に結びつける武道だといえます。

 今回、合気道の特徴を吉祥丸先生と黒岩先生の言葉を手がかりに探り当てようと試みました。その結果は意外にもとても身近な技法にありました。真理は極めてシンプルなものであることがここでも証明されました。正しい練習によればだれでも手に入れることができるもので、多くの複雑に見える技法をできるだけ単純に統一したいと思っているわたしには嬉しい結果となりました。

 世間にはあまり入身を重視するふうでもない稽古も散見され、それが演武会などで披露されることもありますが、そのような楽しみ方もあるのでしょうから、今回そこまで否定することはやめにしておきます。