一教、四方投げ、入身投げは合気道の基本の技として皆に親しまれています。これが基本の技として採用されるについて、わたしは大先生の直感と吉祥丸先生の構想力にただただ脱帽するしかありません。両師がこれらの価値と意義をどのように理解されていたのかは伺ったこともありませんから勝手な推測は差し控えるべきでありましょうが、それ以外の選択肢はありえないということは言えると思います。合気道界の末席に連なる者としてわたしもこれをそのまま世界標準技法に採用しようと思いますが、これがとても合理性に富む選択であることの理由を以下に述べます。
これは通常、入門まもなく教えてもらうので初歩の技と思っている方も多いのではないでしょうか。しかし基本と初歩とは違います。初歩というのは、初歩の段階を過ぎたら捨て去ってもよい(意識しなくてよい)ものですが、基本はいつまでたっても大事にしなければならないものです。なぜなら、基本には技法だけではなく思想も含まれるからです。
高等数学を学ぶ者がいつまでも初歩の算数を手がける必要はありません。しかしどこまでいっても数学の基本(加減乗除など数学を成り立たせている原則)から離れて成り立つ高等数学はありえません。それが思想だからです。
合気道の基本の技もそれと同じなのですが、では、それのどこが思想なのか、これがよくわかっていない、あるいはそこまで思いの及ばない、またはその必要性を認めていない人がおられるのも事実です。つまり、思想なんか関係ないと。
ところで、趣味であれライフワークであれ、それを続けていけるのは充実感や楽しさを味わうことができるからですが、つきつめていけばそれは自己の存在を確認する行為といえます。自分がいまあることの意味を行動を通じて明らかにする、そのような働きを合気道は持っています。わたしが思想といっているのはこのことです。
合気道において技を繰り出すということは、お互いが自分の役割を自覚し、相手の行動を引き出すことでひとつの空間を創造し共有するということです。そのとき、それぞれの自己は完璧に自律的にコントロールされ、かつ他と調和しています。これが合気道における最小単位の和合であり、それを押し広げることが地上天国の実現につながります。これが合気道における根本思想です。
その具体的表現方法が、一教(タテの崩しの代表)であり四方投げ(同ヨコ)であり入身投げ(同奥行)なのです。それらが、相手と共有する3次元空間、すなわち相互に相手の間(マ)に入り込んで形作る、相手と自分を包む空間の構成要素となります。わたしたちはその空間にあることを楽しむわけです。実際にはそれぞれの要素が単一で表れることはなく、ほとんどの場合その3つの要素が複合的に組み合わされて一つの技になります。この技を用いて合気道の思想を表現しているわけです。だからこその基本の技なのです。けっして簡単だからではありません(むしろとっても難しい)。
さて、思想の意義を理解していただいたところで、そろそろ世界標準たるべき基本技法の説明に入っても良い頃合ですが、その前にさらに理解しておくべき大事なことがあります。それは、基本の技は全技法の中核なので、それ自体の向上なくしては全ての技法の上達が望めないということです。ですから実際の稽古方法としては、初歩の段階で基本を学び、一段上がったところでまた基本を学びというように、常にフィードバックしながら基本技法の精度を上げていくということを心がける必要があります。一般的に考えられているような、基本から応用へ、というような直線的で単純な図式ではなく、むしろ基本技法の精度を上げるためにいろいろな応用技法を手段として使うというのが大切ではないかと思います(これを以前の項で帰納法的稽古方法と呼びました)。
まずはその第一歩として、次回以降、基本技法の説明をしてみようと思います。ただ、どうしても文字の限界というものはあります。たとえば≪手をチョンと当てる≫という表現からは雰囲気は伝わるかもしれませんが、その強さや角度は読む人の想像力に委ねるしかありません。一度実際に手合わせをすればすぐにわかるのに、なんとも歯がゆいことではあります。
私事ながら、このたび講習会を開こうと思ったのも、その文字の限界を感じているからに他なりませんが、ブログはブログとして、できるだけ詳細に解説する努力はいたします。
わたしはここにおいて、わたしが考える正しい動きを提示します。もちろんそれだけが正しくて他は間違いだなどどいうつもりは毛頭ありません。ただ、大先生や後に続く先師方の言動を検証すると、これからお示しすることが当然の帰結ではないかと思っているのも事実です。そういう意味で、わたしは自信をもってお伝えしますので、是非参考になさってください。