てつがくカフェ@ふくしま

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てつがくカフェ@ふくしま報告2023.12.16.「心はあるのか?」

2024年01月06日 13時31分08秒 | 定例てつがくカフェ記録
12月16日(土)に開催された「てつがくカフェ」について世話人から報告させていただきます。


会場とオンライン(Zoom)の同時開催となりましたが、

会場には10名、オンラインでは7名の計17名の方にご参加いただきました。








ここで参加された方の発言の一部を紹介したいと思います。

・それでは、始めていきたいと思います。本日は「心はあるのか?」というテーマで、普通は人間には心はあるというふうに皆思って当たり前のように常識のように考えて生きている訳ですけれども。しかし、心そのものを見ることは出来ない訳で、本当に心はあるのかと皆さんとも一カ月に一度しかお会いしない訳ですけれども、帰ったらスイッチ切られて皆ただ倉庫に入れられて、寝てたりしないんでしょうかというね。本当にこの一カ月も皆さん生きてらっしゃったんでしょうかね、人間としてとか。色んな事を疑い出せばきりがないんですけれども。「心はあるのか?」というテーマで、あるかないかだけじゃなくって「心って何なんだろう?」ってことで何でもご自由にご発言頂ければというふうに思っております。それでは、どなたからでもどうぞ。

・今世話人の言っていた電源を切った云々かんぬんについて、ちょっと引っ掛かりがあったのでそこから責めようかなと思ったんですが、電源を切って止まっていたとしても心は無くなると考えているとしたら、それはどういう根拠からですか?別にオンオフされたとしても、その後また持続的に繋がればそれは別に心があったと出来そうなもので。我々が本当に生きているかどうか、それがずっと続いているかどうかという問題と、心があるかないかという問題は実は全然独立の別の話なんではないかと思うんですけれども、繋がりがあるとするならどこにあるかそこだけまずは確認させてください。

・物凄く端折ってしまったので、皆ロボットじゃないのという事ですね。ロボットでただの機械で心なんて無いただの機械じゃないんでしょうかねと。ロボットだとするならば、勿論スイッチ入った時の瞬間に受け答えは出来るかもしれないけれども、単にプログラミング通りに受け答えしているだけで。ということは、そこには意識が無い心は無いということもあり得るし。勿論ロボットにだって意識や心は生じるという事は、あり得るとは思うんですけれども。なんにせよ、人間であるならば皆意識があって心があって、毎日寝ている間はそれはどうなってるのかお休みしているのか何なのか分かりませんけど。勿論目が覚めれば同じ心が持続しているというふうに考えられているわけだけれど。実際それを見た人はいませんよねっていうふうなことと。例えば、ここにドラえもんが居たとしたら、ドラえもんが居てあんだけのび太や静香ちゃんや皆とちゃんとコミュニケーションをして、普通にお話しできる相手であるから皆ロボットだということを忘れているけれども、本当にロボットだとすると意識も心も無くただプログラミング通りに、何か「ドラえも~ん」とのび太君に泣きつかれたら、何かしら出すようにただ設定されているだけで、たまたまそういうふうにやっているだけだという様なことも考えられると。つまり、心も意識もないロボットという事を。多分ロボットと言われればそうなんだろうけれども、しかしあんなふうに受け答えが出来てしまえば、心や意識はあるよねっていうふうに思ってしまう。と、同じような事が実は人間同士でも起こっているのかもしれないとかね。まぁ色んな事を考えると。じゃあ、そもそも心って何なのかってそういう事で言わせて頂きました。

・今世話人が仰った「心」とか「意識」という言葉を使いましたけど、今日のテーマは「心はあるのか?」「(それとも)ないのか?」と。だから、「心」ってどういうふうに考えるのかってことがまず始まりかなって思うんですよね。「心って何?」「意識?」。あるいは、色んな言い方「魂」だとか、「霊魂」「霊」だとか、あるいは「精神」だとか。場合によっては発せられる「言葉」も心というふうに「言霊」というふうに言うわけだから。そういう事でやっぱり、「心はあるのか?ないのか?」ことを結論を出すためには、「心をどういうふうに考えるのか?」「心はどういうものなのか?」っていうことをまずしっかり受け止めないて考えないと有る・無しは出てこないのかなというふうに思うんです。

・まず「心はあるのか?」ということで、心の定義が一番重要かと思いますけれども。結局「心」というのはどんな働きをするのかという事を考えれば、我々は心と体を持ってますね。体をもってその中に脳の働きがあって、ある程度行動を決定する意思を持って動くという辺りが心の原点かなと思います。大体我々がここに集って「心はあるのか?」という事を議論していること自体が心の存在を前提としているんじゃないかというふうに思います。

・今の方に質問なんですけれども、もし心の働きを脳の働きとして意思を持って行動を決定する事が出来るとするならば、動物にも心はあると捉えていいという事ですかね?

・「一寸の虫にも五分の魂」ではないですけれども、私は動物にも心はあると、生物全般に心があるんじゃないかと。植物にもそれなりに反応して、音とか話しかけとかに反応して、何かしら行動に起こす能力があるようだという事も何か説明されているのかなというふうに思います。

・今植物の話が出てきましたけれども、少なくとも植物には脳は無い。そうすると、今の話は少なくとも矛盾するような気がしていて。じゃあ、脳の働きっていうのは心とは関係ないと考えれば良いんでしょうかね?

・そこら辺にいくと、結局「ロボットに心はあるのか?」という問題と一緒で、結局植物というのはロボットと近い存在かもしれません。脳的な仕組みと言うか働きは作るけれども、意志とか自覚とか、生命の為に生きるていう自覚が無いのがロボットかなというふうに思います。その辺り、結局人間霊長類が一番なんですけれども、霊長類以下でもある程度自分で判断して生きるために行動を起こして、その結果が跳ね返ってくる。その最たるものが、人間だというふうに。人間は最高潮に脳が発達しましたので、その中で複雑な働きがそれが「心」に近いかなという感じはしますね。

・二つお話しさせて頂きたくて、一つ目「心とは何か?」の所で言ていたかと思うんですけど、私は「感情」だと思いました。テーマが始まった時に、ロボットとか植物の事を頭に浮かべたんですけれども、ドラえもんみたいに喜んだり、起こったりするのは心有ると思えるんですが、自分の中ですぐに出てきたので感情を持っているかどうかかなと思いました。というのと、今の植物の話を聞きながら思いついたのが、心と反するものとして条件反射で動くものがちょっと心とは違うのかなと思いました。

・今の方に質問なんですけど、心=感情というふうに聞こえたんですが、そういう事ですか?心は感情だと仰ったから、感情というのは心の働きの一つかなと私なんかは考えているのね。そこら辺はどうなんでしょう?

・ちょっと、そこまで考えては無かったので、お話ししながら考えていきたいと思います。

・世話人が「心は見えない」と仰っていたけど、その通りだとは思うんだけど。要するに私は今喋っているんですね。動かしている。これってある意味では「見える」んですよね。心が喋っている。つまり、「見えない」という事はそういうふうに思えるけど、心があるか無いかだとやっぱり。例えば、このペットボトルだとここにある。これは「ある」というふうに大体言えると思うんですけど、こういう形では確かに心って無いんだろうと思うんですよね。だから、見えないというふうに言っていいのかもしれないけれども。例えば、楽しくなってランランと始まったりですね、体を動かして飛び回っていると。要するに、それって「見える」訳だし、それって「心」じゃないかなというふうにも思えるんですけど如何でしょう?

・「見える」「見えない」というのも、「有る」「無い」とは関係のない概念かと、関係のない話かと思えていて。要するに、例えば「言葉」って見えないですよね。「言葉」自体は見えないけれども、「言葉」は実在していて我々が喋っている事は少なくともこれは「言葉」なので、「言葉」はある訳ですよ。なので、「見えるか?見えないか?」という事と、「有るか?無いか?」という事はこれまた独立の話なので、「心は見えるか?見えないか?」という事と「心はあるのか?無いのか?」という話は直接は関係ない。だから、「心はあるのか?」という問いに対して「見えない」というのは、直接関係ない話をしているような気がします。

・ここで原点に戻るんですけれども、結局は「物質が主体か?」それとも「心が主体か?」という事になると哲学本来の観念論(現実に基づかず、頭の中で組み立てた考え・論)と物質が基本の、私も一時期傾倒したんですけれども唯物論(宇宙の本質は物質であって、精神は物質に規定されると主張する説)、元々の共産主義社会で言えば「全て物質が基になっている」という事であるので、それから言えば心も物質で出来ているんじゃないかなと。私も最初は観念論から入って唯物論を一応、共産主義・社会主義に傾倒した時期もありましたので、その辺りは唯物論も。今は全体は心主体と言うか、人間物質で出来ている訳ですけれども、心の働きによって穏やかな、豊かな生活が出来ているんじゃないかというふうな意味で心はそういう働きをするんじゃないかなと思います。

・「心は物質で出来ている」と以前は唯物論を信じていたというお話だったかと思うんですけど、「心は物質で出来ている」と言った時に、物質というのはこういう物の集まりで出来ているという事とちょっと違うんではないかなと。要するに、物で物質で出来ていると言った場合、ある塊で化学物質ではなくて、そういう物で出来ていたとしても「働き」だと思うんです。化学物質の働き、機能。「働き」というとさっき喋っているんだけど、「言葉は見えない」と仰られたように「働きは見えない」。だから、そこの「心は物質で出来ている」と言った時になんか塊、原子のね一つひとつ集まってできているというような事とはちょっと違っている。そういうものの「働き」なんだと。「働き」というのは見えない。だと私は思っているんです。

・先程私が申し上げたのは、当時高校生ぐらいの時ですか、唯物論にハマったというだけの事で今現在は全然信じていません。というのは、素粒子の時代ですから。素粒子はどこから来てどこに行くのかという事さえ分かっていない時代。という事は、物質はあるのか無いのかも分からない状態ですから、新しい物質が素粒子以下からまたどんどん出てきている状態ですから、化学はどんどん進んでいくんだけれども科学を超えた物が「心」なのかなと。

・「心」と「意識」は全く同じとも思えないんですが、意識って心の大部分を占めているのかなっていう気はしているんですよ。さっき世話人が眠りから覚める時に、覚醒する時に脳が働きだすんだけれども、その時意識が始まるんですね。だから、要するにそうすると無意識で病人の場合、植物人間意識が無いという状態の場合、呼びかけても反応しない。でも、そういう人に対して「生きている」という事は言うんだけれども、「心がある」というふうに言えるのかなというふうに。あまり家族の方でもね死んではいない植物人間でもね、息もしているし心臓も動いているし、脳もどこか働いているのかなと思うんでしょうけど、意識が無い。何の呼びかけに対しても反応しない。そういう時に、「心はある」って言えるのかなと、思っているのかなと。そこら辺はどう考えるんですかね皆さん。

・意識があるから心は存在するというのも早計かなと。意識があるからその人が存在する、意識があるだけでは。世話人が先程仰られたように家に帰ってパタッと寝て電池が切れたらそこで終わり。私はSF映画大好きなので、『マトリックス』状態を観られた方は思い浮かべれば、こうズラっと並んでいて意識はあるんだけれども、体は拘束されて電圧、電気だけ引かれている状態。そんな感じも、意識があってその中で心もあるのかもしれない。夢の世界の中で、結局『マトリックス』というのは夢の世界の中の話ですから、そういう意識があってもそういう状態もあるのかなと。その『マトリックス』の場合は、体は一応持ってますよ。体もあって脳もあって、その中で意識もあってその中で動いているんだけれども、囚われているという状態もあるのかなと。『マトリックス』に限った事じゃなくて、SF映画では結構そういう、結局ね意識だけを機械に移植してその中で絶対に死ななくて生きていくというような試みというか、そういう映画もありました。

・今のお話の仕方、心は意識にあるいは体のマトリックスにというふうな言い方をされたそのマトリックスと体とかの意識と関連して、マトリックスって言うからそれどういう事なのって聞きたくなっちゃうんですね。それと意識だけを移して死なないようにするっていう事をSFならばそういう事は勿論考えるでしょうね。考えるでしょうけど、それってどういうふうにやるのって質問したくなる。

・初めて来させて頂いたんですが、今日のお題(テーマ)について気になった点があって、私趣味でプログラム組んでおりましてここ最近AIとか出だし初めまして、AIの仕組みとか根本的なものを組んでいく中で今お話になっている記憶の集合体をハードディスク等に収め、個人をコピーする事を可能であると私は思っています。そもそも人間というのはコンピューターというかAIですかね、人は何かを模して物を作っていく中で人間の脳、ニューロンからニューラルネットワークを含めた脳みその構造体をコンピューターのプログラムとして、作り上げましたので基本的な流れは人間の脳みその基本的な構造と変わらない状態だと思っています。今回参加させて頂いたっていうのも、私が有機物であり人であるという中でAIを組んでいく中で、「人間を作りましょう」という考えは絶対しないんですけど。より近い思考を持つ事が可能なのかどうなのかというのが気になっておりまして、今回立ち寄らせて頂いたんですが。その先、AIを組んでいく中でステップをどんどん組み上げていくと自己意志を持たせようとする工程というのが出てくると思うんですが、実際これはプログラムで可能だと思っています。ただ、その根本的に有機物と個体が、草とか人もそうですけど無機物、石であったり物体物質、動かない物質を分ける中で専門家ではないので、効果的に物を言える訳ではないんですが、どこで何が違うのかっていうところになってくると根本的に最初に組み込まれているDNAしかり、子孫繫栄生き抜く事、生存していく事がベースにあると思うんですね。AI作る中で判断というのがイチかゼロの世界から、それが記憶の集合体から重み付けを作って判断するっていう中で絶対的なイチかゼロではない要素から判断値を出す最適値を出すっていう事があるんですが、有機物としての存在をそもそもは電子とかの最小構造から考えれば、石も人も変わらないでしょうけども。そこから有機物であるという部分を含めて考えて、そこから生き残るっている、生存しオリジナルからコピーを作っていって存在を消さないようにするっていう事が、記憶と言うか細胞の記憶の中に埋め込まれていて。それに対して、判断しているのかなって思っております。その中で、心ただそのここでこうここに何しに来たんだという話になるかもしれないんですけれども、今ちょっと気になっているのは恋愛をしない、子どもを作りたいと思わないという若者が増えているとか、少子化って実はお金が無いからじゃないからっていう部分も含めて、恋愛というものがなんか人から離れていくっていうのは、実は心を無くしていっているのではないのかなと思っていまして、ちょっとそこが気になってきたんです。本来であれば、生存生き抜く中で子孫を残すという使命がある中で、そこが感情のもとになるかと思うんですけど、そこを無くしていく現代の人間ってどこに行くのかなっていう問いでした。



上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓







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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

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