てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

第28回てつがくカフェ@ふくしまのご案内

2014年12月04日 22時25分00秒 | 開催予定
【テーマ】「〈信じる〉とは何か?」
【日 時】 12月7日()16:00~18:00
【場 所】 NBFユニックスビル 第1会議室(8階)
      福島市栄町6-6
【参加費】 飲み物代100円
【事前申し込み】 不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】 fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


師走です。
ということは、もう今年も終わりですね…
少し早い気もしますが、この一年はどのようにお過ごしになられたでしょうか。
てつがくカフェ@ふくしまも、おかげさまをもちまして、滞ることなく月一回のペースで開催させていただきました。
次回の哲カフェが今年最後の開催となります。

テーマは、クリスマスも近いということで、オーソドックスに「信じるとは何か?」です。
その昔、当時8歳だった僕(渡部)はクリスマス前夜に、当時5歳の弟に「サンタなんかいないんだぞ」と教えてあげたら、親に「夢を壊すな!お前だってサンタを信じていた時期だってあるだろ!」と、こっぴどく叱られた経験があります。
本当のことを教えてあげただけなのに…いったい、「信じる」って何?

「宗教はアヘンだ」とマルクスは言い、M.ウェーバーは近代は「魔術」からの解放だと言いました。
つまり、僕らの生きる現代社会は信仰を排除してきた時代でもあります。
しかし、今なお宗教がこの世から消えたということはありませんし、むしろ無宗教なんて世界的に見れば圧倒的に少数派です。
いや、無宗教だと嘯いている人だって、実は「信じている」ことはいくらでもあるのではないでしょうか。
(無宗教でもお葬式はするでしょうし。)

近代は、宗教に科学が取って代わった時代だとも言われます。
けれど、3.11の原発事故の後で、私たちは科学が生きるうえでの「正しさ」を教えてくれるわけではないことに気づかされました。
今、福島に残って生活しているのが「正しい」のかどうか、誰にもわかりません。
「正しい」ことがわからない以上、それは「信じる」しかない選択としか言えないのではないでしょうか。
いみじくも、前回のシネマdeてつがくカフェでは次のような対話が交わされました。

観客:「(原発事故に対して)頭にきまくって、悲しみまくって、どうしようもないです。でも、わからないようにごまかされている人が多いので大人しくしているだけです。元々大人しい県民ですから黙っているのだと思っているのだと思います。私も騙された口だったのですが、最近になって色々なことがわかってきました。」

アナーキー:「なぜ騙されたってわかるんですか?」

観客:「勉強したからです。」

アナーキー:「誰が真実を知っているのですか?」

観客:「自分がこの人だったら正しいなという人の本を読んだり、講演を聴きまくりました。」


最後の下線部には、実は専門家に対する「正しさ」よりも、「信じられる」という判断が示されています。
さまざまな専門家の意見に対しては、もはや自分が「信じられる」ものへの判断しかないというのが、いま福島で生活するということではないでしょうか。
しかし、そもそも「信じる」とはどういうことなのか?
今年最後の哲学カフェ@ふくしまでは、その問題について語り合いたいと思います。

お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。

≪はじめて哲学カフェに参加される方へ≫

てつがくカフェって何?てつがくカフェ@ふくしまって何?⇒こちら

てつがくカフェの進め方については⇒こちら

てつがくカフェ@ふくしま世話人