てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

第3回カフェ報告

2011年08月07日 11時13分42秒 | 定例てつがくカフェ記録




昨日、「〈男女〉の友情は成り立つのか?」というテーマで第3回カフェが開催されました。
参加人数はこれまで最多の17名です。

まず、議論はテーマについて「YES」か「NO」で答えながら、その理由を挙げていくことから始まりました。
「NO」側の意見では、男女のいずれか片方が[特別な感情」、「好き」、「一緒にいたい」など、恋愛感情を抱くことで友情は成立しないとの理由が挙げられます。
また、男女の友情は瞬間的には成り立つが、長期的に見れば難しいとの意見も挙げられました。
この意見もまた、異性に対する恋愛感情が芽生えることで、その持続的な友情関係は成り立たないとの理由が含まれます。
さらに、最初は友達でいても、すぐに恋愛感情を抱いてしまい友情関係が崩れてしまうのは「子ども」であるとの意見も出されました。
以上の点を踏まえ、男女の友情は一部成り立つかもしれないけれど、そのあいだに恋愛へ陥る可能性がある以上、男女間での友情は成り立ちがたいとの結論が導き出されました。

それに対して「YES」側の意見で興味深かったのは、たしかに「NO」の意見にあるように現実には難しいけれども、「男女の友情は成り立ってほしい」という理想を求める意見が目立ったことです。
どうもそこには、恋愛感情よりも友情の方に価値があるとの見方が含まれているようです。
恋愛の延長線上に友情があるとの意見も、そのことを示す見方の一つでしょう。
恋愛は瞬間的な一過性の感情であり、相手との関係性を大切にしようとすれば、それは自ずと持続性を求めるものであり、それこそが友情関係であるとのことになります。
たしかに、恋愛関係にピリオドが打たれてもなお二人の関係が継続できるかという問題は、男女の友情/恋愛を語る上で欠かせません。
そして、そこを乗り越えてなお持続できるものが、「真」の友情だということかもしれません。
では、それは可能なのでしょうか?
ある意見によれば、性的関係も含め「欲」を求める「本能」を共有し合える関係性が「情」であり、その求め合いを超えたところに成り立つものが「友情」だとのことです。
しかも、それはお互いの「信頼」を強いものにすることで現実に可能であるというのです。
どこか老成した境地という印象も否めませんが、親密圏でくり広げられる「ぐちゃぐちゃなもの」や、相手へ求めることから解放された関係という意味で、どこか「男-女」の枠を越えた理想的な関係性が現実的であるというこの意見は、個人的には大変興味深いものです。

一方、その意見に対しては、まったく「ザワザワしない」人と友だちになりたいだろうか。そんな疑問も出されました。
この「ザワザワする/しない」という感情は、相手から感じる魅力とでもいえばよいでしょうか。
その魅力が恋愛に関係するものなのか、友情に関係するものなのかはいま一つ判然としませんが、ともかく「ザワザワする」感情が男女の恋愛/友情を分けるキーワードとして頻繁に議論の中で出されたものです。

また、男女の友情が継続する条件、それを阻害する条件は何かという議論に展開します。
恋愛感情がその一つであることは既に確認されましたが、さらに「結婚」が一つの危機であるとの意見が出されました。
結婚自体は同性/異性の友人に関係なく、その友情の持続が試される機会だとの意見もありましたが、しかし異性の友人が結婚した場合は、やはりそのパートナーの存在が阻害要因であることは否定できないようです。
自分のパートナーの嫉妬や感情を害することを考えれば、自ずと異性の友人関係は疎遠になっていくでしょう。
けれど、参加者の中には友人関係も大切にしていきたいと思い、自分のパートナーに異性の友人を紹介しながら、新たな信頼関係を構築していく必要があるなどの工夫が紹介されました。

さらに議論は、「友情」と「愛情」の違いに向かいました。
ある参加者によれば、何か目的を共有しているあいだは「ザワザワ」せずに異性と関係性をとることができるため、「目的の共有」が男女の友情を可能にするのではないかとのことです。
それに対しては、前回の「〈ともだち〉とは誰か?」で議論されたように、友人とは何かの目的や利害関係を超えて持続する関係をさすものであり、それは「仲間」というものではないかとの意見が出されました。
そして、その共通目的や利害を超えた友人関係は「開かれた」ものであるようです。
それに対して「愛情」は相手を大切にしたいという意味では「友情」と共通しますが、見返りを求めない利他的な感情であり、恋愛感情が解消されてもなお持続する、より深い感情であることが確認されました。
しかし、そうであるがゆえに「愛情」は排他的で閉鎖的な関係性を意味します。
そこに男女の友情関係を成り立たせない要素も見出せそうです。

議論の後半に入ると、そもそもなぜこのテーマのような問いが生まれるのか、といった点に疑問が投げかけられました。
つまりこの問い自体が、どこか「男女の友情関係は社会的にヤバイものだ」との意識が反映されているのではないかとのことです。
ここであらためて「性的魅力」や「肉欲」という問題に触れられましたが、アジア圏より欧米圏での方が男女を友人関係とみなしてつきあえる文化圏ではないか、との興味深い経験談も出されました。
すると、この男女の友情という問題はその社会文化に影響を受けたものであり、ひょっとすると性的欲求すら文化的に規定されたものかもしれないとの仮説も成り立ちます。
さらにいえば、セックスが可能な友情関係もありうるのかといった、過激な論点も提起されました。
男女の友情の成立が、果たして文化相対的な問題なのかという点には疑問も投げかけられましたが、いずれにせよ大変興味深い議論でした。

最後にファシリテータの方から、男女の友情関係を理想としたいとした参加者に、その理由の説明を求めさせていただきました。
ある若い参加者からは、教育実習で高校生に向けて「一番の親友はこの人だ」と異性の写真を紹介したところ、非常に驚かれたという経験談が聞かせていただきました。
やはり高校生にとっても、異性が親友という事実は衝撃的なようです。
その上でその参加者は、「男-女」という異質なもの同士が、「友情」という関係性のもとでお互いに欠けた部分を補い合いながら、多様性が構築されていくのではないかとの意見が出されました。
友情が異質なもの同士の多様性を紡ぎだすということに希望を抱かされる一言でした。

今回の議論では、異性愛を前提に議論が交わされましたが、そこには同性愛の友情の問題が欠けていたことは否定できません。
今後、その点も含めた議論がさらに展開できることを期して、第3回カフェ報告に代えさせていただきます。

第3回カフェ・参加者感想

2011年08月07日 10時31分55秒 | 参加者感想


昨日の第3回 「てつがくカフェ@ふくしま」 には、
今までで最多の16名の方々にご参加いただきました。
初参加の方が9名もいらっしゃいました。
同時刻にわらじ祭りと聖光学院戦が開催されているというひじょうに厳しい条件下でしたが、
この地味なイベントにご参集いただいた皆さまに心から感謝申し上げます。
「〈男女〉 の友情は成立するのか?」 というテーマで、
皆さん赤裸々な自己開示も含めていろいろ語ってくださったので、
とてもいい議論ができたと思います。
議論の内容はファシリテーターがすぐにまとめてくれると思います。
まずは皆さんからいただいた感想をご紹介しておきましょう。


●年代の違う方との話は自分の考えと大きく異なり刺激になりました。

●今日のテーマは自分にそういう経験 (”男女の友情”なるもの) があまりに少ないので、”人生の先輩方” の多様な考えが聴けてよかったです。正直終了後もぐちゃぐちゃな頭の中にあります。

●最初参加したときに、男女の友情が成り立たない理由に恋愛関係 (性的関係) を考えていたが、てつがくカフェに参加する中で、恋愛関係というより性的関係によって友情が壊れることがあるのか、文化の違い、という意見を経て、広い視野を得ることができた。最終的に男女の友情は成り立つ! と思う。

●自分の考えの狭さ、経験の少なさに気づかされました。何でもありなんだなあ~というのが本音です。文化的側面や個人の思想経験に影響を受けることがらで、定義の仕方にもよるのではないかと思いました。問いに対しては正直、”恋愛とは何か” という視点しかなかったので、最後まできいて、いろいろな考えがあると思いました。

●はじめて定義を考えてみておもしろかったです。自分なりの基準を持てた気がします。震災以降なぜか哲学に興味を持ち、NHKの白熱教室を観たり、プラトンを読みはじめたりしております。このような機会ははじめてでしたが興味深く楽しかったです。学生時代に学んでみたかったなあと思いました。

●今日初めて参加させていただいてとても面白く有意義な時間を過ごさせて頂きました。議論などは苦手で、自分の考えを話したり他の方の考えを受けて流動的な話題に乗っていけるかどうかとても不安でしたが、しゃべれない時はしゃべらなくていいというのがとても助かりました。普段一つのテーマで誰かと話し合うことが少ないので、自分の考えを深めるためには誰かの発言に対する 「え?」 「そうそう」 という刺激が必要だということが分かりました。


皆さん、本当にありがとうございました。
次回は8月27日 (土) です。
ぜひまたご参加いただければと思います。