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シェイクスピア喜劇二本立て

2023-11-10 16:14:38 | 演劇
11月9日(木)に新国立劇場の中劇場でシェイクスピアの喜劇二本立てを見る。午後に「尺には尺を」、夜に「終わりよければすべてよし」。両方とも休憩20分を挟み3時間ほどの公演。2本続けてだと、見ているだけでも疲れるが、演じているのは昼夜ともまったく同じ俳優なので、演じるほうでも大変だろう。昼夜とも8割程度の入りで、中高年主体の観客。

最後に人が死ぬわけではないので、悲劇ではなく喜劇でよいのだと思うが、世の中的には「ダーク・コメディ」とか、「問題作」と分類されることもある2本だ。このように扱われるのは、誰が正しいのかわからないような複雑な問題を扱っているからだろう。2本とも、似たような物語展開で、操の硬い美女が男性に誘惑されて、操を捧げると見せかけて、妻などの本来の正しい相手と入れ替わるという話。「尺」も「終わり」も、ソニンに代わって中嶋朋子が代わって相手をする。両作品は同じ時期に書かれているが、「終わり」の方が先で「尺」の方が後なので、見ていると「尺」の方が一ひねりしてあり、会話も結末も面白く感じた。

演出も美術も概ねよくできているが、新国立の中劇場は劇場の特性もあり、滑舌の悪い俳優だと声が聞き取りにくいという問題がある。新国立中劇場の残響時間は満席時で1.0~1.3秒とHPには出ているが、何となくもっと長い印象がある。壁面に布をかけて残響を減らす工夫もしていたが、もう一工夫いるのではないかという気がする。

「尺には尺を」という意味は、人を裁いたり、計量したりするときには、自分が使った基準が自分に対しても適用されるという意味で、人に厳しく、自分に甘くするのはダメだという、二重基準を批判した言葉だ。出典は聖書とされ、マタイ福音書7章又はルカ福音書6章からの引用とされる。公爵不在中に、人を裁くことになった代理人が、若者の姦淫に対して死刑を宣告したのに、自分が姦淫を行おうとするのを責める話となっている。

兄が姦淫の罪で死刑となりそうなのを、修道女準備中の妹が公爵代理に助命の嘆願に行き、助ける代わりに操を差し出せと要求される。妹はそんなことはできないと断る。妹が「杓子定規に法を適用して血も涙もない」と批判するのに対して、公爵代理は「兄を助けるために、自分の操を捧げようとしない妹こそ血も涙もない」と反論する。話は最後まで面白く展開され、今見ても面白い芝居だと思った。

やっぱりシェイクスピアは面白いなあと思った。「尺」が4時に終わって「終わり」の開始が6時30分だったので、1時間ほど5階の情報センターで読書して、それから劇場近くの中華屋で担々麺を食べ、少し休憩してからまた芝居を見た。終わって家に帰り、ビールとワインを飲んで寝た。

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