劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

新国立劇場の「シンデレラ」

2019-04-28 11:09:56 | バレエ
4月27日(土)の昼に新国立劇場のバレエ「シンデレラ」を観る。午後2時開始で、25分間と20分間の休憩を挟んで、終演は4時30分頃だった。場内は満席。バレエを習っていそうな子供連れも結構いたが、普段のバレエ公演よりも男性比率が高かったような気もした。

「シンデレラ」は、英国ロイヤルバレエのフレデリック・アシュトン版で、音楽はプロコフィエフ。オケは東京フィルハーモニーで、指揮は最近のバレエ公演でよく振っている冨田美里。今回の公演は6回で、米沢唯と小野絢子が2回づつ、木村優里と池田理沙子が1回づつ踊る。27日は初日で、米沢唯と渡邊峻郁がシンデレラと王子、仙女役は木村優里。何度も見た演目だが、ダンサーが変わるとそれなりに違いが楽しめるし、全体の構成も頭に入っているので、見どころがわかってより楽しめた。

アシュトン版はよくできているなあと改めて思ったのだが、1幕、2幕、3幕とも、見どころがちりばめられていて退屈しない。一幕の後半の仙女と春夏秋冬それぞれの精の踊りも楽しいが、その後の星の精たちのコールドバレエが大好きだ。腕を上下に上げ下ろししながら複雑なフォーメーションを作るので、よくぶつからないものだといつも感心する。星の精は配役表によると、15名中の12名が交代で演ずるので、必ずしもいつも同じポジションではないだろうに、すごいものだと思う。星の精たちが踊っている間にシンデレラは舞踏会用のドレスに着替えて馬車にのって登場、馬車の中から客席に向かって手を振るので、こちらもなんとなく客席から手を振りたくなってしまう楽しさだ。

舞踏会では、マズルカ隊のほかに、星野精たちも群舞を見せて楽しいが、宮廷では道化だけでなく、シンデレラの姉たちと背の小さなナポレオン、背の大きなウェリントンが、コメディ・ルーティンを踊り退屈させない。姉たちを男性が演ずるのもうまい演出だと感心してしまう。ナポレオンの方は、よくフランス絵画で観るので、そのイメージ通りなのだが、ウェリントンの方はあまり絵などで見たことがないが、イギリス人にとっては背の高いというイメージがあるのかなあと思う。記憶によるとウェリントン公爵はワーテルローの戦いでナポレオン軍を破った英雄なので、ナポレオンと対比するのは良いのだろうが、背が高かったのかどうか、今度調べてみようと考えた。

3幕の後半は再び結婚式の場面で、星の精たちも踊る。暗闇の中で灯りのついて星の棒を持って踊るので、なんだか昔の「コメットさん」を思い出した。小さな女の子などが見に来ているので、お土産品で、電球の光る星の棒などを売ったら、みんな争って買って帰るのではないかと思ったが、誰か作ったらどうだろう。

シンデレラがもちろん主役なのだが、1幕は姉たちのコミカルな踊りや、仙女たちの踊りが中心で、プリマの出番は2幕と3幕、王子は1幕には登場せずに、2幕以降も見せ場は少ないが、渡邊峻郁は王子としての立ち姿が美しく、じっと立っているだけの姿が、あまりにもりりしいので、それだけで参ってしまった。日本人にも最近はこうした王子姿の似合う人が増えてきて見ていて楽しい。

米沢唯の踊りも安定していて、見ている方も安心して観ることができた。こうしてみると別のキャストでも見てみたいなあという感じがしたが、ほぼ連日の6回公演なので、連日観なければいけないので、それもちょっと辛い。オペラのように、日を空けて公演してくれるとありがたいのにと思う。

今回の公演の仙女役は、木村優里と本島美和、細田千晶が交代で踊るが、木村優里は、シンデレラと仙女とを踊るわけだ。こうした仙女や「ジゼル」のミルタなどは本島美和が良く似合う感じがして、プリマとは別のキャラクターの人が踊ることが多いが、木村優里はどちらも踊れる稀なキャラ化も知れないと思った。

少し風邪気味だったので、帰りに買い物をして、家に帰り激辛のカレーを作り、早めに寝た。

良い子はみんなご褒美がもらえる

2019-04-26 10:46:15 | 演劇
4月24日(水)の昼に赤坂ACTシアターで、トム・ストッパードの「良い子はみんなご褒美がもらえる」を観る。トム・ストッパードが書いた一幕物の芝居で、アンドレ・プレヴィンが音楽を書いているうえに、生のオーケストラが演奏をするというので、なかなか見る機会が少ないと思い観にいった。15時開演で、休憩なしの1幕で終演は16時20分頃。主演は堤真一とABC-Zの橋本良亮。そのためか、満席で中年のご婦人が多かった。

チラシの宣伝文句では、「想像する自由、信じる自由。それぞれの自由のために・・・」というような感じなので、政治的なメッセージを強く打ち出した作品かと思ったら、やはりストッパードらしく、皮肉に満ちた視線で権威を笑い飛ばすような描き方で、まるで落語みたいな喜劇だと感じた。もっと喜劇だということを強調した方が、観客にも内容が伝わると思う。

話の内容は、旧ソ連で反体制の政治犯が、監獄ではなく精神病院の病棟に入れられる。本人は抗議の意味でハンストを行うが、政治犯として有名なので、死んでしまうと西側諸国に非難されるため、何とか精神病の治療を受けて正常な精神になったと本人に言わせて、それを口実に釈放しようと秘密警察は考える。一方、その政治犯は同性同名の男と同じ病室に入れられて、その相手の男は自分がオーケストラを率いており、病院の中でもオーケストラが存在していると思い込んでいる精神病の男だ。その男から政治犯の男は音楽の話をさんざんされるのでうんざりしている。

こういう背景なので、生のオーケストラが舞台後方に乗っていて、男の幻想に合わせて演奏をする形だ。ちゃんとした演奏ができるメンバーが集められていて、アンドレ・プレヴィンの音楽なので、現代音楽的な部分から、映画音楽的な部分までいろいろと演奏する。男の幻想で曲を演奏するだけではなく、劇の進行に合わせて、映画音楽的に背景音楽を演奏する部分もある。劇の背景でオーケストラ演奏して舞台を盛り上げるというのは、19世紀中頃まで英国で流行っていた「メロドラマ」(現在のメロドラマとは意味が違う)という形式で、原題の芝居でこうした形式で上演するのは凄く珍しいなと思った。

芝居では、7人のダンサーが兵士役で出てきて踊ったりもするが、その服装が文化大革命当時の中国の人民服みたいだったので、一体どこの国を念頭に置いたのだろうと思っていたら、途中で明確にソ連だということがわかる台詞が出てきた。調べてみたら1977年の作品なので、ソ連崩壊前に書かれている。音楽と組み合わせるというのはトム・ストッパードの案というよりも、アンドレ・プレヴィンが望んだらしい。プレヴィンがちょうど女優のミア・ファーローと結婚していた時期なので、一番脂がのっていて、なかなか素敵な曲を書いている。

芝居は、政治犯に対して秘密警察が「良い子になればご褒美(釈放)がもらえる」と持ち掛けるが、政治犯はそれを拒否。困った秘密警察は、同姓同名の二人をわざと間違えて取り調べを行い、釈放してしまう。そこに、国家の偽善性を鋭く描いた印象だ。なんとなく、このオチを見て、寺山修司の「奴婢訓」を思い出した。医者が、政治犯に対して、ここは収容所(監獄)ではなく、精神を治療する病院だと強調しながら、途中で自分でも間違えてしまうあたりの喜劇性は、スタンリー・キューブリックの映画「博士の異常な愛情」で、ドイツ人科学者が元のナチス時代の敬礼を思わずやってしまうのと同じだ。

「良い子はみんなご褒美がもらえる」地いう題名は英語では、Every Good Boy Deserves Favourとなる、頭文字をとると「E G B D F」だ。これを音名として読むと「ミ、ソ、シ、レ、ファ」となる。これは五線譜の各線の音名をしたから並べたものと同じだ。子供が五線譜を習う時に学ぶ覚え方らしい。こういう遊びを盛り込んだ劇だったが、観客の反応は調低調で、パラパラと気のない拍手があっただけで、観客は戸惑ったように感じた。もう少しどんな芝居なのかわかりやすくした方が良い。

終了後は有楽町に出て、イタリア料理店で飲み会。サラダ、チーズの盛り合わせ、タリアータ、ボンゴレのパスタなどを食べながら、スプマンテ、白、赤のワインを飲んだ。

新国立劇場の「フィレンツェの悲劇」「ジャンニ・スキッキ」

2019-04-11 11:21:23 | オペラ
4月10日の夜に新国立劇場で、1幕物のオペラ2本立てを観る。開演は19時で、25分間の休憩を挟み、終演は21時30分頃。1時間の1幕物オペラの二本立てだ。満席ではなく若干空席もあったので、8~9割の入りか。4回公演で、唯一のソワレ公演だったためか勤め人風の人もいたが、大半は年金生活のような年頃の人が多かった。

「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニの唯一の喜劇的オペラで、人気があるが、三部作の一つとして書かれたので、3本立ての公演はなかなか少ない。そこで二本立ての公演となったのだろうが、今回はフィレンツェを舞台にした作品ということで、アレクサンダー・ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」との組み合わせになっている。

「フィレンツェの悲劇」というのは初めて観る作品で、まったく知らなかったが、調べてみると1917年にシュタットガルト初演された作品だというから、第一次世界大戦の真只中での上演だったことになる。ドイツ語の作品で、原作はオスカー・ワイルドとなっているのだが、オスカー・ワイルドにこんな作品があったかなと、こちらも気になって調べると、未完成で断片が残っている作品らしかった。

前半は「フィレンツェ」で、序曲を聴いただけで、半音階的、不協和音満載で金管が強く響くのでなんとなくリヒヤルト・シュトラウスの作品を思い出した。全般的に音楽は、末期ロマン派みたいな感じで、大編成のオケが結構うるさいくらいに響く。だから、よっぽど大声で歌わないとオケに負けてしまうのだが、シモーネ役のセルゲイ・レイフェルクスは負けずに声を出していた。逆に言うと、残りの二人はオケに負けていた。装置はなんとなくドイツ表現主義を思わせるような歪んで崩れた建物が正面にあり、その室内場面が舞台前面にある。室内の部屋は二部屋あるのだろうが、演出上その点がわかりにくい。

話は商人のシモーネが家を空けて商売に出ている間に、妻がフィレンツェ大公の息子と浮気をしたので、決闘して相手を殺すが、そんな強い夫に妻は惚れ直して、夫も妻の美しさを再発見するという話。間男は殺されるが,夫婦はハッピー・エンドとなる。一応、舞台はフィレンツェなのだが、話の内容からすると南イタリアの方がしっくりくる。シチリア島の悲劇とでもした方が良いかも知れない内容だ。だが、もしイタリアでこんなことが起きれば、夫は間男だけでなく、妻も殺すのではないだろうかと思う。これは家の名誉の問題だからだ。こうした皮肉なハッピーエンドで終わるのは、やはりイタリア的というよりも英国的な感じがする。音楽はドイツ的。

休憩後の「ジャンニ・スキッキ」ではスキッキ役のカルロス・アルバレスが良い。ただし、主役の登場までの最初の10分ぐらいは、全体的に歌が弱くて大丈夫かなと不安を感じた。日本人ではラウレッタ役の砂川涼子が良いが、「私の親愛なるお父さん」一曲しか歌わないので、ちょっと寂しい。ラウレッタの恋人役リヌッチョの村上敏明もなかなか頑張っていた。「ジャンニ」の方は書斎の机の巨大なセットの上ですべてが演じられる形で、ベッドは本が代用されている。おもしろさはあるが、一瞬だけのことで、やはり普通のセットにした方が良いのではないかと感じる。しかし、下手側にクッキーを載せた陶器の皿があり、その質感などよく出ていて、うまく作るものだなあと変な感心をした。

「ジャンニ」の衣装は1950~60年代風であり、なんとなくアメリカ的な匂いがする。せっかくフィレンツェをテーマにしていながら、舞台のムードはフィレンツェ臭さが感じられない。スキッキ登場前の歌で、フィレンツェを紹介する絵葉書が出てきて、ヴェッキオ橋などの名所を見せるが、画家ジョットの話の時にジョットの絵を出すのだが、この絵はもっと代表作としてどの画集にも載っているような「イエスに接吻するユダ」とか、「小鳥への説教」「フランチェスコの聖痕」のような作品にしないと認識しにくいのではないかと思う。粟国淳の演出で期待していたのだが、ちょっと凝り過ぎた印象がある。

フィレンツェの作品を2作品ということだが、あまりにも作風の違う作品の組み合わせで「食い合わせ」が悪く、腹痛を起こしそうな組み合わせだと思う。また、両作品ともフィレンツェらしさを出すことに成功していない。まあ、最初にビールとソーセージが出てきて、その後でキャンティとパスタを出された気分。珍しい演目を観れたということで良しとした。

帰りはイタリア料理店で食事。田舎風のパテなどの前菜、生うにのクリームソース仕立てのフェットチーネ、羊のグリル。ワインは南仏のシラーにした。フランスとイタリアの組み合わせメニューだが、こちらの食い合わせは悪くなかった。

紀尾井ホールのオール・モーツァルト・プログラム

2019-04-06 13:44:17 | 音楽
4月5日(金)の夜に紀尾井ホールで、室内管弦楽団の定期演奏会を聴く。午後7時に始まり、20分間の休憩を挟んで、終演は午後9時5分頃だった。場内はほぼ満席。主催は公益財団法人の日本製鉄文化財団。先日までは新日鉄住金文化財団という名称だったので、会社名が日本製鉄に変わったのでどうするのかなと思っていたら、財団名も4月から変わったようだ。

演目は、セレナーデ第6番「セレナータ・ノットゥルナ」、続いて交響曲の25番。休憩を挟んでセレナーデ10番「グラン・パルティータ」。

最初のセレナーデ6番は、バイオリン2本、ヴィオラ、コントラバスの独奏者がいて、その後ろにオケが並ぶ形。第一バイオリンを指揮を兼ねるライナー・ホーネックが担当したが、出だしの音を聞いた途端に、目の前にウィーンの景色が広がるような素晴らしい演奏だった。ホーネックはウィーンフィルのコンマスをしていた人だから、モーツァルトのフレーズを何気なく弾いても、ウィーンの香りが出る。素晴らしいバイオリンの音を堪能した。

交響曲25番は、ホーネックは指揮に回り、約40人のオケで演奏。いかにもモーツァルトらしい、簡単そうに聞こえて実は結構技巧的な曲で聴いていて面白かった。有名な作品も、聴くたびに新発見をするような喜びがある。

後半のセレナーデの「グラン・パルティータ」は初めて聴いた曲。オーボエ、ファゴット、クラリネット、バセット・ホルンが各2本、ホルンが4本とコントラバスという13人の珍しい編成。二枚リードの楽器4本と、1枚リードの楽器4本と、金管4本にコントラバスともいえる。不思議な編成なので、どんな響きなのだろうと思ったら、フルオケのような厚みのある素晴らしい響きで、ちょっと驚いた。主題の展開といい、楽器の掛け合いといい、響きの楽しさといい、本当にモーツァルトは凄い人だなあと、改めて感心しながら聴く。やはり生で聴くと、一つ一つの楽器の個性がよくわかって楽しい。オーボエが素晴らしい演奏を聴かせてくれた。

終わったら、ホールの前に黒塗りの車が沢山待っていた。紀尾井ホールは裕福そうな身なりの人が多い異様に感じる。

いつものスペインバルが休業していたので、家で食事。コールスローサラダとハンバーグに赤ワイン。