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新国立の「松風」への疑問

2018-02-18 07:06:52 | オペラ
新国立劇場の新作「松風」を2月17日(土)の昼に観る。15時開演で、上演時間は休憩なしで1時間半。終演後に約1時間のトークがあると案内されたが、見ずに帰った。16日、17日、18日の連続3日の3回公演。オペラの公演では、歌手の喉の負担を考慮して、通常2~3日空けた形の公演か、キャストを変えての公演となるが、今回は同じキャストで3日間連続公演だ。1時間半の比較的短い演目で、ワーグナーのように長大な作品ではないので、毎日でも問題ないのかも知れない。

客席は満席といっても良いぐらいに埋まっていて、テレビ中継用のカメラの周りだけが空いている形。客層は年齢層が高く男性比率が高かった。男性用の化粧室で珍しく待ち行列ができていた。

今回の演目は日本人作曲家の細川俊夫が作曲してドイツで初演した作品をそのまま日本へ持ってきた形で、日本初演となってはいるが、ドイツ語での上演で、出演者もドイツ人が多い。劇場で配られた配役表を見ると、作者は細川俊夫/サシャ・ヴァルツの連名になっている。ヴァルツは振付と演出を担当している。確かに作品を観ているとオペラというよりも、コンテンポラリー・ダンスの作品に、歌声で伴奏を付けているようにも感じられる。

ダンサーには日本人も多く参加していたが、配役表ではダンスは「サシャ・ヴァルツ&ゲスツ」と表記してあり、ダンスのスタッフの名前は14名も記してあるのに、肝心の踊り手の名前が載っていない。配役表で名前が載っているのは歌手の4人だけだ。ヴァルツはこれまでにもコレオグラフィック・オペラなるものを何作か作っているようなので、踊りをメインに打ち出すのであれば、きちんと出演者の名前を載せるべきだろう。

今回の作品では、始まってから最初の10分間ぐらいは、踊りだけが続き、まったく歌が出てこないので、本当にオペラなのだろうかと心配になった。オペラに踊りはつきものであり、ヴェルディのオペラだって、パリのオペラ座で上演する時にはバレエ好きのパリの観客に合わせて、2幕の最初にバレエを入れたという。そうしたことだから、オペラと踊りを組み合わせるのは大いに結構だが、今回のダンスは「お行儀」が悪い。何が問題かというと、のべつ幕無しに踊っているので、歌手が歌っているときもその歌手の周りで踊り続けるのだ。それどころか、松風と村雨の二人の娘役の歌手は歌いながら踊る。これが歌と踊りの真の融合といえるのか。大体、歌舞伎でもオペラでも、誰かが大事な演技をするときには、他の人はじっと動かずに邪魔しないようにするというのが、古典的な演出方法であるが、歌っている間にもいろいろな踊りが続くので、見ている方は落ち着かない。

踊りはいろいろな動きが取り入れられていて、それなりに面白い。ロバート・ウィルソン風にゆっくりとした歩きがあるかと思えば、走り回ったりもする。そうした中で、新国立の合唱団も8人程度がコーラスとして参加。前半は舞台上でギリシャ劇のコロスのように歌ったり、ちょっとした踊りもする。後半になるとオケボックスの上手側に入り、簡単な打楽器なども使いながら歌を入れていた。

「松風」という演目はもちろん世阿弥の代表的な名作で、三番能の傑作といわれている作品だが、要するに恋が成就せずに終わった二人の乙女の亡霊と修行僧との出会いみたいな話だから、バレエの「ジゼル」と本質的には同じような主題だ。能の「松風」は大体600年ぐらい前の成立だろうが、その頃は人間は超自然的な物への畏怖もあり、こうした異界との交流や、神話的な世界を描いていた。もちろん、ギリシャ劇を真似て始めたオペラだって、最初は「オルフェウス」みたいなこうした異界との交流を描いてきたが、そうした世界観は啓蒙的な時代を経て19世紀にはほとんどなくなり、演劇の世界だって人間を描くようになってきたはずだ。こんな神話的なおどろおどろしい世界を描くのは、時代遅れのワーグナーが最後かと思っていたら、21世紀になってもいまだにこんな世界を描きたがるとは驚きだ。

勿論、古代的、神話的な世界を借りて、その中に人間を描くというのであれば、現代的な意味を持ちうるが、この作品にはそうしたテキストの読み直しの姿勢が感じられない。ただ、おどろおどろしい演出によって、何か人を驚かせようというように思えた。

細川氏の音楽はとても現代的で、パーカッションにより、日本の鼓のような音を出したり、フルートで横笛的な響きを再現していたが、それだったら、いっそのこと和楽器を入れたオケ編成をした方が良いかもしれないと感じさせる。抽象画みたいな音楽なので、30分ならばよいが、連続で90分きかされると、退屈する。序破急ではないが、もっとテンポの緩急や音色に変化があって欲しい。

まあ、こうした現代的な作品がもともとあまり好きでないということもあるのだが、新しい作品だとは思うが、面白いとは思わなかった。何を描きたかったのか、よくわからなかったというのが、最大の疑問点だ。

帰りは、いつものスペインバルで軽い食事。ワカサギのエスカベッシェなどを頂く。それでも「松風」の後遺症から逃れられずに、家に帰ってからもチョリソーとケソをつまみにして、シェリー酒を飲みながら、録画しておいたオリンピックのフィギュア男子シングルの決勝を観た。


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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-03-19 12:36:50
昨日NHKの放送で見ましたが、貴殿と同感で、コンテンポラリーダンスに所謂現代音楽の歌で伴奏を付けた作品に思えました。
音楽もダンスも20世紀後半のスタイルで、発想の飛躍が感じられず、つまらなかったです。
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re: (francescouno)
2018-03-19 12:46:41
コメント下さりありがとうございます。新聞評などは褒めて書いてあったので、そうなのかなあと、思っていましたが、私と同じように感じた方もいることがわかり、心強く思いました。
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Unknown (Unknown)
2018-03-19 13:30:39
新聞評は読んでいませんでした。
私は職業音楽家ですが、仰るように松風を現代のオペラとして上演するにあたっての、意義が感じられず、とても90分なんてもたなかったです。
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