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ピーターとザ・スターキャッチャー

2020-12-18 13:52:46 | 演劇
新国立の小劇場でリック・エリス作の「ピーターとザ・スターキャッチャー」を見る。12月17日の夜の回で、午後7時に始まり、20分間の休憩があり、終演は9時半ぐらいだった。ほぼ満席で、小劇場の1列目まで入れていた。小劇場なので1列目は舞台に近く、1メートルも離れていないので、舞台最前列で演じる場面では、全員がマウスシールドをつけての演技だった。これがOKならば、大劇場でバレエやオペラ公演の場合に前3列を開けて公演する必要は全くないのではないかと思う。大体舞台と客席の間にはオーケストラピットがあり、最初から4メートル以上離れているからだ。

さて、この「ピーター」は、2012年にブロードウェイで上演された「ピーターパン」の前日譚で、ピーターパンの明らかになっていなかった誕生秘話がいろいろと出てくる。子供向きを意識したのか、公演はほとんどマチネーで、ソワレはあまりなかったが、昼は忙しいのでソワレをとって見に行った。トニー賞をたくさん取ったというのがチラシに書いてあったので、それなら面白いかと思って出かけたが、ちょっと期待外れに終わった。

調べてみると、確かにトニー賞をたくさん取っていたが、5部門でとった内訳をみてみると、装置賞、衣装賞、照明賞、音響賞と、美術関係が多く、黒ひげ役を演じたクリスチャン・ボ-ルが演劇部門の助演男優賞をとっていた。クリスチャン・ボールはこの後の「何かが腐っている」でもトニー賞を取った俳優だ。今回の日本公演では、装置、衣装、照明、音響ともちろん役者も米国版とは異なるので、トニー賞で評価された部分は全く含まれていないことになる。

お話はピーターパンを知っていることが前提となるが、ピーターパンが「ネヴァーランド」と呼ばれる島に住み着いた理由、永遠に子供である理由、ワニがおなかに時計が入っている理由、ウェンディがピーターパンと一緒に冒険をする理由、黒ひげの海賊が右手首を失った理由などが、2幕で明らかになっていく。1幕はそれまでの背景説明。こうした有名な物語の前日譚というのは、2003年にヒットした「オズの魔法使い」の前日譚である「ウィキッド」と基本的には同じ作り方だが、作品としては「ウィキッド」のほうが断然面白かった。

今回の上演での1番の問題点はピーター役を演じた入野自由にまったく魅力が感じられなかったことが大きい。ピーターはディケンズの描くオリヴァー・ツイストみたいな設定で、孤児なので大人を信用せずに育ち、大人になることを拒否していくのだが、それがうまく描けていない。ウェンディの母親となるモリーはよく演じていたが、ヴィクトリア朝時代の活発な13歳の英国娘という雰囲気は感じられない。アメリカの舞台では、思いっきりイギリス英語で演じられた役だ。

全体にセリフが早口で音響がうるさすぎる。翻訳作品は時間が伸びないようにするために、全体として早口となる傾向があるが、ちょっと早すぎて芝居が楽しめない。それに小劇場なのに、マイクを使い、楽器の音もスピーカーから聞こえるだけでなく、歌の音量が突然上がってうるさい響きになってしまう。最近はPAを使いすぎだ。

2幕の幕開きの人魚の踊りと歌は、1930~40年代にアメリカで流行したバーレスクのパロディで、衣装も振り付けもそうしたものだと思うのだが、日本版では全く単なる歌と踊りなので、見ていて面白くもなんともない。2幕の島の住民たちとのやり取りも、ちょっと「モルモン書」の影響が感じられるが、そうした雰囲気があまり出ていなかった。全編がこんな調子だから、気の抜けたサイダーのように感じられた。

それでも若い娘さんたちがたくさん見に来ているので、誰か人気のある人が出ているのだろうと、妙に感心した。休憩中のロビーのムードも演劇は何となく暗いムードで、オペラやバレエとはちょっとムードが違うよなと感じる。

コロナのために飲食店の営業は10時までなので、9時半に終わるともう外の店では食べられない。不便なことだ。飲食店でもこれまでに経験した一番暇な12月だと嘆いている。16日にもフレンチレストランに夜に食事に出たが、客は我々1組だけで、貸し切り状態。厨房にあいさつすると3人で作っていた。ホールは1人。この体制はもう維持できないと嘆いていた。結局レストランは無理なので、家に帰って食事。作り置きのナスのカレーと、コールスローサラダ。飲み物はカヴァとした。

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