劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

新国立劇場「バヤデール」

2024-04-29 14:15:23 | バレエ
4月28日(日)の昼に、新国立劇場でバレエ「バヤデール」を見る。8回公演で4組のキャストが交替で踊る。いつもベテランで見ることが多いので、今回は初役を踊る若い人の回を選んで見に行った。客席は9割程度の入り。

この作品で中心となるのは、巫女役ニキア、王女役ガムザッティと、ニキヤの恋人役で王女との結婚を求められるソロルの3人。この手の三角関係はオペラ「アイーダ」とも似ている。今回はニキア役に廣川みくり、ガムザッティ役には直塚美穂、二人とパドドゥを踊る男性ニキヤ役は井澤駿だった。廣川と直塚はまだソリストで、井澤はプリンシパル。オーケストラは東フィルで、指揮はいつものアレクセイ・バクラン。

一幕は物語の説明で、3人の関係が描かれる。二幕はガムザッティとソロルの結婚式で、黄金の神像などの踊りやガムザッティとソロルのパドドゥがある。直塚は、そつなく踊ったが、最後に見せたイタリアン・フェッテの連続が、大きな動きで美しかった。二幕の最後はニキアのソロの踊りがあり、蛇に噛まれて亡くなる。このソロの場面ではチェロが憂いのある響きを聴かせる。

三幕は、ニキアを失ったソロルが悲嘆に暮れて、水たばこを吸いながら夢を見て「影の王国」が始まる。映画「愛と喝采の日々」のタイトルバックにも使われた、延々と続くアラベスクの行列があり、美しいコールドバレエを見せる。新国立のコールドの美しさはいつ見てもため息が出るほど素晴らしい。夢の中でニキアとソロルのパドドゥがあるが、今度はヴァイオリンのソロに乗せて美しく踊る。廣川はジャンプも大きいが、演技がうまく、よく情感が伝わった。ソロルの井澤は二人の相手をするので大変だが、とても安定した踊りで、さすがプリンシパルだと思った。

牧阿左美の振付けた版だが、オーソドックスな振付でとても良い。「白鳥」も牧阿左美版が好きだったのだが、ロイヤル版になってしまって残念だ。

新国立のバレエは層が厚いなあと感心して、帰る。帰りにスーパーで買い物して、家で食事。たけのこの水煮があったので、たけのこの若竹煮、たけのこご飯、豆腐のあんかけなどを作って食べる。飲み物は大吟醸。


ヴァイグレ指揮の読響

2024-04-27 11:02:29 | 音楽
4月26日にサントリーホールで読響を聴く。読響は4月から新シーズンが始まるので、シーズン初日のためか、名誉顧問の高円宮妃やホール館長の堤剛の姿も見えた。初日だがチケットは完売ではなく、7~8割程度の入りだった。

指揮は常任のセバスティアン・ヴァイグレで、演目は最初にブラームスの大学祝典序曲、続いてコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲、15分の休憩の後ベートーヴェンの交響曲4番だった。短めの曲が多かったこともあり、8時45分の終演。

大学祝典序曲は、華々しい曲なので、いかにも開幕に相応しい感じで、気分も盛り上がった。ヴァイオリン協奏曲は、オランダのロザンネ・フィリッペンスが弾いた。オランダ人らしく大柄の女性だが、実に繊細な音を聴かせた。

コルンゴルドの名前はハリウッドの映画で知ったのが最初で、クラシックを聴くようになってからクラシックの作曲家出身だと知った。1930~40年代のハリウッドでは、マックス・スタイナーやディミトリ・ティオムキンなどの純音楽出身の作曲家が活躍して、独特のハリウッドの音を作ったが、この流れは現在のジョン・ウィリアムスにも繋がっていると感じる。コルンゴルドは映画の作品数は少ないが、ヴァイオリン協奏曲を聴くと、いかにも昔のハリウッドらしい音がして、何となく嬉しくなった。こういう音楽は純粋クラシック音楽の、正当な後継ではないかという気がするのだが、あまり評価されていないので寂しい。

休憩の後は、ベートーヴェンの4番で、ベートーヴェン節がさく裂という感じ。安心して楽しめる曲。

帰りがけに軽く食事しようと思ったが、金曜の夜とあってどの店も混んでいた。やっと日常が戻ってきた感じがする。結局、家に帰って軽い食事。ビールと白ワイン。マフィンのサンドイッチを作り、いろいろと挟んで食べた。

N響のシューマン

2024-04-26 11:06:27 | 音楽
4月25日(木)の夜に、サントリーホールでN響のコンサートを聴く。チケットは完売だが、1割ぐらいの空席はある。Nは高齢者が多い印象で、定期会員でも休む人が結構いるようだ。聴衆は高齢者が多いが、指揮者も84歳のクリストフ・エッシェンバッハ。歩くのは遅いが、まだしっかりした足取りだ。

プログラムは、オール・シューマンで、最初に歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲。続いてチェロ協奏曲。休憩の後に交響曲2番だった。シューマンの曲はメリハリに乏しい感じで、苦手だが、最初の「ゲノヴェーヴァ」は、オペラ用に書かれたためか、結構劇的な構成になっており、退屈せずに聞けた。

続くチェロ協奏曲は、ペルシャ系のキアン・ソルターニのチェロだった。まだ若い人で、エネルギーに満ちているが、音色は低音から高音までとても柔らかく響いて心地よい。シューマンの曲らしく、それほど面白さは感じないが、音色の美しさで聴かせた。途中で、N響首席奏者の辻本玲と二人でチェロ二重奏を弾く部分があり。これがとても美しく響いた。アンコールはペルシャ民謡「シーラーズへの旅」で、美しい旋律を聴かせたが、5分ぐらいの曲の間、N響のチェロパート全員が、通奏音をピアニッシモで弾き続けた。あんなに弱い音を、ゆっくりとしたボーイングで切れ目なく続けるのはさすがと、妙な点に感心。

最後は交響曲の2番。シューマンは歌曲や標題音楽が多いので、交響曲はあまり聞かないが、何となくベートーヴェンを感じさせるようなムードの曲で、結構面白かった。エッシェンバッハの得意曲なのか、譜面を見ないで指揮をしていて、なかなか良い演奏だと思った。

帰りがけ仁いつものスペインバルで軽い食事。トルティージャ、生ハム、田舎風パテ、生ハムのクリームコロッケ、鮭とエビのソテー、サフランソースなど。


新国立劇場の「デカローグ」AB

2024-04-21 11:24:38 | 演劇
4月20日(土)の昼と夜で、新国立小劇場の演劇「デカローグ」のAとBを見る。全10話の短編演劇が4~7月に2本づつ上演されるうちの前半4本となる。どの作品も50分程度で、20分の休憩を挟んで、2本上演されるので2時間で終了。午後の部は1時開演で、3時に終了。夜の部が5時半開始で、7時半終了だった。観客は中年層の一人客が多く、8割程度の入り。

「デカローグ」は、基は冷戦末期に作られたポーランドのTV作品で、それを演劇化したもの。ポーランドの団地に住む人々の風景を描いた作品だ。須貝英が脚色して、小川絵梨子と上村聡史が演出している。俳優も演出も良く、セットもうまくできていて、面白い作品だった。

原作はキェシロフスキ監督の作品で、僕などは「二人のヴェロニカ」と「トリコロール」しか見ていなかったので、フランス系の監督かと思っていたが、解説を読むとポーランドの監督だった。冷戦末期の作品なので、社会主義の体制下で抑圧された市井の人のごく普通の生活が描かれる。

「デカローグ」とはラテン語起源で「(モーゼの)十戎」の意味だ。そこで、10の戒律に対して、10話の話が作られている。どのエピソードがどの戒律に相当しているかは、明らかではないが、番号順にほぼ戒律とエピソードが一致しているように感じられた。

1話は、「ある運命に関する物語」となっていて、言語学を教える無神論者の大学教授は妻を失い、12歳の息子と二人で暮らしている。息子には科学を教え、自分でも科学を神のように考えているが、科学に裏切られて最愛の息子を失う。これは、十戎の最初の「主を唯一の神とせよ」をテーマにしている。

2話は、「ある選択に関する物語」で、重病の夫を抱えたヴァイオリニストの妻が、寂しさに耐えられずにほかの男性と関係して妊娠する。夫が亡くなるならば産もうかと考えて、担当医を訪ねるが、「回復の可能性は数パーセント、植物人間として生き続ける可能性は15%程度が、過去の統計的数字」だと教えられる。女性は堕胎を決心するが、医者に止められる。夫は奇跡的に回復して妻が妊娠したと聞き喜ぶ。戒律の2番目は「偶像を拝むな」だが、この物語にはしっくりこない。むしろ9番目の「嘘をつくな」の方がうまく当てはまるかも知れない。個別の問題に対しては統計的な数字は役に立たないとするのが確率論だ。この話を見て、物理学者ボーアが量子の位置に関して確率的な説明をしたのに対して、アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と懐疑的だったエピソードを思い出した。

3話は「あるクリスマス・イブに関する物語」。タクシー運転手がクリスマス・イブを家族と過ごそうとしていると、愛人の女に呼び出されて、認知症気味の愛人の夫が行方不明となっているので、町中を朝まで探し回る手伝いをさせられる。最後に愛人は、実は夫はおらず、他の家族が団欒を楽しむのを見て嫉妬しただけだと明かす。これは十戎の3番目「安息日を忘れるな」がテーマだろう。

4話は「ある父と娘に関する物語」で、娘を生んですぐに母親が亡くなったため、父と娘が二人で暮らしている。母親は複数の男性と付き合っていたので、父と娘は本当の親子かどうか不安を感じるが、必死になって親子を演じ続けようと努力する。これは戒律の4番目の「父母を敬え」がテーマなのは明白。

こうした読み替え的な作品は好きだが、普通の日本人にはキリスト教的なテーマは説明なしではわかりにくいだろうと思う。プログラムも読んでみたが、あまり「十戎」との関係は説明されておらず、もう少し丁寧な説明をしたほうが良いと感じた。

原作が映画だということもあるだろうが、日常の生活を淡々と描く中でテーマが浮かび上がるような描写となっているが、演劇化に当たってはもう少し演劇らしく手を入れたほうが良いのではないかという気がする。どの話も、考えようによっては喜劇的な要素が多く含まれている。「近景は悲劇でも、遠景では喜劇」という言葉の通り、少し引いた形で喜劇的要素を浮かび上がらせた方がよいのではないだろうか。真面目に描きすぎると、重たいテーマで、見ているほうもくたびれる気がした。映画べったりの描き方ならば、映画を見ればよいのであり、演劇科の意味はない。

家に帰って軽い食事。マフィンにチーズ、トマトなどを挟んで食べる。ビールとボルドーの白を飲む。


ムーティの「アイーダ」

2024-04-18 14:28:22 | オペラ
4月17日(水)の昼に東京文化会館で、リッカルド・ムーティ指揮によるヴェルディの「アイーダ」を見る。演奏会形式で、2時に開演、20分の休憩が2回あり、終演は5時35分頃。珍しく東京文化会館の大ホールが満員。若い人から年寄りまで多くの観客で埋まった。

東京春音楽祭の一環で、オーケストラは寄せ集めだが若手の腕のある人が揃っていた。コンマスはN響の郷古廉。各パートも有名オケの首席クラスだった。弦は50人だが、管が多いので、100人近い大編成。それに、100人を超える大編成のコーラスが付いた。主要歌手5人は来日組で、それ以外の3人は日本人歌手だった。

ムーティの指揮は冴えた感じで、ピアニッシモは本当に小さな音で、フォルテは強い大きな音という大原則が守られ、素晴らしいテンポのコントロールで聴きごたえがあった。2幕の凱旋の場面などは、演出付きの舞台だと、舞台に気をとられてオーケストラの音はあまり耳に入らないが、演奏会形式だと、ヴェルディの書いた音楽がよく分かり面白かった。

歌手は一流劇場に出演する人を集めたようで、皆立派な歌唱だったが、アムネリス王女役を歌ったユリア・マトーチュキナが力強い歌唱で、一番良いと思った。男性では神官役のバス歌手ヴィットリオ・カンポがうっとりするような良い声で聞きほれた。日本人歌手では巫女役で歌ったソプラノの中畑有美子が美しい声を聴かせて印象に残った。

一番良かったのは男声合唱で、55人ぐらいの大編成なので、すごい迫力。男性コーラスが50人を超えることなどめったにないので、この迫力だけでも聴いた甲斐があると思った。

演奏会形式は、これまで足が向きにくかったが、変な読み替え演出が付くぐらいならば、演奏会形式の方がまだましだと思うようになった。ただしコンサートホールでやると残響が長すぎるので、オペラハウスや東京文化会館のような中程度の残響の会場で上演して欲しい気がする。

やっぱりムーティはいいなあと、すっかり良い気分になって帰宅。家で夕食を食べた。具だくさんのサラダ、ロースト・ポーク、ジャーマンポテトなど。飲み物はスペイン産のカヴァ。