劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

2021年のトニー賞

2021-09-28 11:09:35 | ミュージカル
9月27日(月)に衛星放送でトニー賞の中継を見る。コロナ騒ぎで2020年のトニー賞は中止されて、1年半ぶりに2020年分の表彰式が現地時間の9月26日の夜に行われた。日本では27日の午前中だ。ブロードウェイは2020年3月12日から閉鎖されて、1年半ぶりに開幕し始めているので、その宣伝を兼ねてのトニー賞となった。

しかし、コロナのため何もかも変則ずくめのトニー賞だった。最初に客席が映り、客席は100パーセントの収容だが、全員がマスクをしていて、ワクチンも接種済みだとの話。最前列にはバーナデット・ピータースの姿も見えたが、マスクをしていても何となく誰かわかるものだと、変な点で感心した。

今年のトニー賞は、現地の7~9時が授賞式で、9~11時が「ブロードウェイが帰ってきた」と題された、ブロードウェイ紹介のショーとなっていたようで、衛星放送で中継されてのは後半のショー部分のみ。現地では長年CBSテレビが全国中継していたが、今回のCBSテレビの放送はやはり後半部分だけで、前半部分はparamount+によるネットのストリーミング中継だったようだ。放送されなかった前半部分にもショーが少し入っていて、前半最後にジェニファー・ホリデイが歌ったのはすごい迫力だったので、これが放送されないのは、もったいない感じ。

どうせショー部分だけしか興味がないだろうから、後半だけでよいとのではといわれるとその通りかも知れないが、やはり、授賞式のスピーチもちょっと聞きたいという感じがして残念だった。昔のトニー賞では受賞者が長く話したために、途中のショー部分をカットせざるを得なくなる事態も発生して、近年はスピーチ時間に制限が設けられていたが、全然中継されないのも寂しい。

それでも、後半部分では、演劇作品賞と再演賞、ミュージカル作品賞が発表されて、ミュージカル作品賞のパフォーマンスが行われた。会場がラジオ・シティ・ミュージック・ホールからウィンター・ガーデン劇場に変更になり、準備が整わなかったためか、ミュージカルのパフォーマンスは、事前収録のビデオが流された。やはり生で演じる魅力を伝えたいのだろうから、きちんと生でやって欲しかった。

ミュージカルの作品賞は「ムーラン・ルージュ」だったが、今回はそもそも対象期間が例年の半分ぐらいしかなく、限られた作品の中での選択だったから、有難みも半分ぐらいという感じ。おまけに、「ムーラン」の録画品質が悪く、画面にブロックが出るような品質で、ちょっとどうかと思った。ブロードウェイの観客は今や2/3が観光客だから、早く観光客が戻ってこないと上演を維持できなくなってしまうだろう。

結局、「ムーラン」のほかは、「ティナ」と「ジャグド・リトル・ピル(傷ついた小さな錠剤)」がやはりビデオで流された。対象期間ではないが、最近試演が始まった「シックス」や「北国の娘」、また、過去の作品となるが「ヘイデス・タウン」をやらないかなと思ったが、そうしたサービスはなかった。

代わって上演されたのが、「ウィキッド」「レント」「ラグタイム」などのオリジナル・メンバーによるデュエット。これも衣装や装置があるわけではなく、出てきて歌うだけなので、ミュージカルらしい面白さが感じられない。それでも、「ウィキッド」でチェノウェスとメンゼルの二重唱はなかなかよかった。メンゼルは緑色の衣装かと思ったら黒の衣装で、その代わり、イアリング、指輪、ネイルは緑色にしていた。

プレゼンターではミュージカル作品賞は、88歳のチタ・リヴェラとアンドリュー・ロイド・ウェバーという豪華顔合わせ。チタ・リヴェラは、ちょうど65年前の9月26日にこの劇場で「ウエスト・サイド物語」の初日に出演したと語った。この伝統の重みと、チタ・リヴェラの驚異的な活動を改めて認識した。

「ウエスト・サイド物語」は、2020年初頭に再演されたのだが、残念ながら、今回の対象期間には入らなかった。意欲的な新振付、新演出だったのでちょっと見たかったのだが、演出家も振付家もベルギー人で、準備が難しいというので、公演の打ち切りが発表されている。

アメリカ政府は、ブロードウェイの作品の公演維持のため160億ドルを投じたので、トニー賞の授賞式には法案を通した院内総務の議員が招かれて挨拶をしていた。日本円にすると、1兆8千億円近い巨額の支援だ。公演維持のために、1作品当たり約11憶円が支払われたという。「ウエスト・サイド」の再演はこの補助金を受け取ったと報道されたので、どうなるのかと気にしていたら、上演再開しないので返却するとの報道があった。それにしてもすごい金額で、日本でもちょっと見習ってほしい感じ。

先日の「ハミルトン」の舞台中継もDiseny+のネット配信だったし、今回の授賞式もネット配信。サッカーの日本対中国戦のネット配信しかされなかったようで、衛星放送だけでは情報収集できない時代となってしまった。アメリカのネット中継を日本から視聴するのはいろいろと制約がかかる可能性があり、なかなか、難しい時代になったなあと感じた。




エレジーの演奏会

2021-09-27 13:21:16 | 音楽
9月26日(日)の昼に、「エレジー」の演奏会を聴く。桜上水駅から徒歩15分ぐらいのベリオスタジオという会場。住宅街にある仕舞屋風の家がスタジオになっている。そこでチェロ村上耀、ピアノ大森大輝による演奏会があるというので覗いてみた。入場者は20人ちょっとに制限して、ネット中継をやっていた様子。当日のパンフによると、村上氏は美学者、大森氏は指揮者となっていた。

なぜこの時期に「エレジー」なのだろうかというのが気になるが、パンプレットによると、コロナ禍で世界中が苦しんでいることと、それに伴い世界中の芸術家、とりわけ音楽家が苦しんでいること考慮したのだろう。演奏者が二人だけなので、チェロ・ソナタでエレジーってたくさんあるのかと気になったが、最初が有名なフォーレのエレジー、続いてロシアの作曲家カプースチンのエレジー。これはちょっとジャズっぽい曲だった。そして大森氏の作曲によるアダージョ・エレジアコ(欧文題名はイタリア語と英語のちゃんぽんだった)。

短い休憩の後、ワーグナーのエレジー。短い曲だが、こんなものがあるとは知らなかった。日本人の尾崎宗吉による「夜の歌」。これは死を覚悟して太平洋戦争へ向かう直前に作曲された哀しみの曲だという。そして、ロシアの作曲家グラズノフのエレジー。

休憩が入り、イギリスのレイトンのエレジー。最後はブラームスのソナタOp.38。これはエレジーと題してはいないが、哀しみの曲だという。

悲しい状況で悲しい曲を聴きカタルシスを図るか、パンドラの匣を開けた時のように最後に残った希望を語るべきなのか、あるいは勇気づける必要があるのか、それは状況により異なるかもしれないが、この日はとにかくエレジーだった。

終わったのは16時50分ごろ。家に帰って食事。サラダ、キーマカレー、最後はトロトロになったカマンベール・チーズと田舎パン。前半はフランスの白。後半はボルドーの赤。

読響のハイドンとマーラー

2021-09-25 10:23:19 | 音楽
9月24日(金)の夜に、サントリー・ホールで読響の演奏会を聴く。指揮は高関健で、前半はハイドンの交響曲22番「哲学者」、15分の休憩をはさみ後半はマーラーの交響曲4番でソプラノ歌手の中江早希が加わった。50パーセントを下回るぐらいの観客。

前半のハイドンは、緩急がはっきりしてメリハリのついた曲。安心して聴ける。金管はホルン2本だけで、35人編成ぐらいの小編成。

後半はマーラーなので、一挙に大編成となり80人ぐらいか。ホルン4本とトランペット3本が入るが、トロンボーンとテューバはなし。コンマスが、調弦を変えたバイオリンと普通のバイオリンを取り換えながら弾いていた。CDで聞くと面白くないが、生で聞くと楽器の使い方と音色が面白く、退屈しなかった。1時間近い大曲で、最後の4楽章はソプラノが入る。中江の歌はちょっと迫力不足。オケの音に負けて声が聞こえない部分もあった。しっかりとした体型なので、声もしっかりと出してほしい。

マーラーの演奏の前に、指揮者の高関から簡単な説明があり、現在、楽譜の見直しが行われていて、最新の研究に基づ校閲した楽譜を使用しているので、これまでとは、少し表情のつき方が変わっている部分があるとのことだった。この曲が完全に頭に入っているわけではないので、依然とに違いは判らないが、聞いていて違和感はなかった。

帰宅して簡単な食事。サラダ、ボイルしたソーセージ、パンとポーク・ペーストなど。飲み物はイタリア産の白。


N響のバッハとハイドン

2021-09-17 11:01:20 | 音楽
9月16日(木)の夜にサントリー・ホールでN響を聞く。7時開演、20分間の休憩があり、8時50分頃終了。50パーセント収容。

当初予定していた指揮者とチェロのソリストが来日できないとのことで、曲目も指揮者も変わった。指揮は鈴木秀美。前半はバッハの組曲3番と、CPEバッハのシンフォニア変ロ長調とニ長調。後半はハイドンの交響曲98番という構成。

バロック期から、古典派の入り口までの音楽のムードを楽しめる。時代に合わせて、小編成のオケにチェンバロが入る。金管も古い楽器を使ったようで、ホルンはバルブのついていないナチュラル・ホルンという昔の楽器を使っていた。

鈴木はずいぶんと年がいってそうな外観だが、エネルギッシュで若々しい指揮ぶりだった。オーケストラもそれに応えて、実に見事な演奏だった。なんとなくこの時代の音楽は、バック・グラウンド音楽のような感じでメリハリがなく、退屈なのではという印象を持っていたが、実際に聞くと、メリハリのついた音楽で、なかなか良かった。

オーケストラは小編成だったが、昔の楽器と比べると、音が大きくなったせいか、チェンバロの音はほとんど聞こえない。昔の人が聞いた音とは違うのかもしれないという気がする。

コロナが続いて、本来のプログラムがなかなか聞けないが、一体いつまで続くのだろうかと、だんだんうんざりしてきた。それでも、演奏そのものは楽しめて、気分を良くして帰宅。翌朝に健康診断を受ける予定だったので、何も食べずに、そのまま寝た。

伊賀越道中双六

2021-09-15 10:56:51 | 文楽
9月14日の夜に国立小劇場で文楽の「伊賀越」を見る。17時15分開演で、20分間の休憩を挿み、終演は7時45分。50パーセント収容なのはこうした状況だからやむをえないが、客を入れているのは2列~8列と一番後ろの2列だけで、真ん中がすっぽり空いて空調もよく効かず、暑かった。なぜこんな売り方なのだろうか。

文楽の場合は前の方が見やすいということはない。むしろ、8列目までは近すぎて見難いし、上手側の太夫と三味線の床も見難いので、むしろ避けたい席だ。半分しか売り出さないというならば、1列おきに売った方がよっぽど見やすいし、コロナ対策にも有利だろう。国立劇場はいったい何を考えているのかさっぱりわからない。その割には、休憩中のロビーでちょっと談笑をしていると、「しゃべるな」と注意にきて興ざめだ。芝居や文楽が分かった人がきちんと運営してほしいものだ。

今回は3部制で、どれも短く中途半端なプログラム構成。早く2部制に戻してきちんと見せてほしいと願う。「伊賀越」は、「沼津」「伏見北国屋」「伊賀上野仇討」で、原作の6段目、9段目、10段目という感じだが、メインは「沼津」。太夫もここに重点が置かれていて、藤太夫と千歳大夫が力演。それなりにきちんと語っていて楽しめた。

「伏見」は、最近見ていないのでよくわからないが、ちょっと短いように感じられ、織大夫が一人で30分間語った。織大夫はふしで語るのは上手だが、ちょっと高いキンキン声が過ぎて、長く聞くと疲れる。もう少し、美声をうまく聞かせるように工夫してほしい感じ。

最後の仇討は15分で、話のけりをつけるだけなので、芝居としては全く面白くない。だから、太夫も人形も新人の訓練場みたいな配役だが、それにしても学芸会のようでレベルが低すぎ。太夫の育成を急がないと、本当に文楽がなくなってしまうのではないかと心配になる。

12月の文楽公演は久々の「仮名手本忠臣蔵」で、前半部分のみの公演だが、配役表を見るとベテランは休みで、中堅と若手だけの公演。太夫などは、この人で大丈夫かと今から心配になる段があった。

太夫の訓練は、原則として先輩太夫が行うようだが、昔のように三味線が教えることも併せてやらないと、いつまでたってもうまい太夫が育たないのではないかと心配している。何とか考えてほしいものだ。

いろいろと考えながら帰宅して、軽い食事。レストランが開いていないので困る。キャベツのサラダと、イワシのオーブン焼きなど。飲み物はカヴァ。