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オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

放送大学の「舞台劇術の魅力」はてんでつまらない

2017-05-12 13:39:44 | 放送
今年の4月から放送大学のテレビで、「舞台劇術の魅力」が始まったので、毎週録画して見始めた。ところが、まるっきり面白くもなんともない。今時、大学の市民講座レベルだってもっとましな内容を話すのではないだろうか。ましてや、正規に単位認定する授業がこんな低レベルというか、偏った内容でよいのだろうかと疑問を持たざるを得ない。

毎回50分間の放送枠(授業)で、15回で2単位となっている。心配になって文科省の大学設置基準をチェックしてみると、21条に45時間の学習を必要とする構成をもって「1単位」とすると書いてある。ただし、その1項で、講義及び演習は15~30時間で1単位としてよいとも書いてある。更に33条では、授業時間数を定めた授業科目は授業時間の履修をもって、単位の習得に代えるともある。政令を読むと50分×15回で1単位としてもよさそうだが、どうして2単位も修得できるのかよくわからない。まあ、放送大学なので、そこいらへんはきちんとしているのだろうが、ずいぶんと柔軟なのだと驚く。

さて、15回の講義の内容は、導入1回、オペラ2回、バレエ2回、ダンス1回、ミュージカル1回、演劇8回で、演劇は日本の伝統芸能3回(歌舞伎、能、人形浄瑠璃)、日本現代演劇1回、世界現代演劇1回、世界古典演劇3回(シェイクスピア、フランス、ギリシャ)という構成だ。全体の取りまとめは放送大学の青山昌文で、それぞれ専門性の高い講義は別の大学教授が担当している。

さて、5回ほど見ての話だが、なんとも退屈な番組だ。それは、講義の内容があまりにも薄く、統一感のないもので、こんな講義を聞いてもなんの意味もないと感じさせるからだろう。

最初の回はシラバスによると、「生身の人間が歌い、演じ、踊り、それを同じ場で見聞きする観客がいる舞台芸術の独特の魅力を明らかにします。演出家・役者と観客の双方が作り上げる現場性の芸術哲学的意味の解明が考察のめざすところです。歴史的考察も行います。演出家へのインタヴューもお見せします。」と立派だが、結局は蜷川幸雄へのインタビューが流されるだけで、体系的な説明もなければ、これからの講義全体で目指すべき内容の説明もほとんどなかった。インタビューの内容を聞いていれば、それが判るだろう、ということか。

オペラとバレエは2回ずつで、それぞれ「古典」と「現在」という構成、オペラは青山氏の講義で「古典」はベルサイユやパリのオペラ劇場がなぜ馬蹄形なのかを語る。オペラそのものの説明は全くなく、王侯貴族の社交の場としてのオペラ劇場の存在が語られる。オペラの現在の方はワーグナーの建てたバイロイトの話から入って、ニーチェやヒトラーとの関係にも触れる。これでオペラの説明は終わり。イタリアやフランスはどうしたのかな?オペラのスタイルの説明はなくても良いのかな?

バレエの2回は鈴木昌が担当、古典の方はバレエの歴史の概説で、「ジゼル」から始めて、プティパの古典バレエ、ディアギレフの話で終わり。2回目の現在の方は現在というよりも日本の現状で、牧阿佐美バレヱ団の練習風景と牧阿佐美本人へのインタビューで構成。芸術一般は古典主義⇒ロマン主義なのに、バレエだけはロマン主義⇒古典主義と変な時代区分になっているが、そこらの説明も時間が足りないので、説明しかけて終わってしまった。

こんな調子で講義を聞いても、オペラやバレエを観たことも聞いたこともない学生は全く役に立たないだろうという感じ。バレエの方はこれ以上短くできないというぐらいの歴史説明があるが、オペラの方はイタリアの説明なしでは、殆んど高校の授業以下という感じ。

この講義はシラバスで見る限り2011年に放送された「舞台劇術への招待」の焼き直しで、まったく同じ内容。前の講義がダメだって誰も言わなかったのかなあと、心配になる。大学教授連中は、こうしたオムニバスみたいな研究書を出版して業績にしている。学会でテーマを定めた発表会を行い、そこで発表された論文集みたいな形で出版して業績に加えるわけだ。それはそれで学会誌として意味があるだろう。

だが、入門講座みたいなもので、各人が自分勝手にやりたいことを、話したいこと、自分で話せることを講義したところで、そんなのが体系的な知識とか学問になるわけではない。講義とする以上、体系的に整理してきちんとまとめたものを出すべきだ。

てなことで、日本の大学では、「教えるべきこと」ではなくて、「教授の得意なこと」だけを教えているのではないかと心配になった。