劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

ブロードウェイでリメイクされた「ウエスト・サイド物語」

2020-02-27 11:08:11 | ミュージカル
2月20日に、ブロードウェイで「ウエスト・サイド物語」の再演版が幕を開けた。「ウエスト・サイド」は1957年に初演された後、60年、64年、80年、2009年に再演されているので、今回が5回目の再演になる。前回の2009年の再演は台本を書いたアーサー・ロレンツの演出で、オリジナルの精神を蘇らせたが、今回の再演はまったく異なったものになった。

「ウエスト・サイド」といえば、やはりバーンスタインの音楽、ソンドハイムの詞、ロレンツの台本、そしてジェローム・ロビンスの印象的な踊りがセットとなって作品の価値が決まっていたが、今回の再演では、音楽、詞、台本はいじっていないが、装置、衣装、振付という視覚面が全面的に改められた。

演出はベルギー出身の演出家イヴォ・ヴァン・ホーヴで、2016年に演劇の「橋からの眺め」の演出でトニー賞を取っているので、どんな演出をするかに期待がかかっていた。振付はやはりベルギー出身のコンテンポラリー・ダンスの振付家アン・テレサ・デ・ケースマイケルで、コンテンポラリー・ダンス分野では数多くの賞を受けている人だ。

この二人は、台本や音楽をそのまま、衣装は現代化して、女性はフレア・スカートではなくミニスカとなった。そうして、舞台の背景に巨大なディスプレイを設置して背景を映し出したり、踊っている人物などをリアルタイムでクローズアップして映写したりする手法を使った。もちろん、踊りはロビンスのバレエベースではなく、コンテンポラリー・ベースのものだ。

一部ではこの革新を評価する向きもないではないが、批評家からは二つの問題点が指摘された。一つはロビンスの踊りは台本と密接に結びついていたのだが、台本との関係がルーズになり長時間観ていると飽きるという点。もう一つは、背景の巨大スクリーンの映像が気になってしまい、踊りに集中できないという点だ。

ブロードウェイのミュージカルは近年、オペラと同じように演出を全面的に見直して現代化しようとする動きが出始めているが、成功例は少ない様だ。「回転木馬」ではアグネス・デ・ミルの振付を捨てて、新振付を行った版があった。昨年には「オクラホマ!」の見直し版があり、これも評判にはなったが、オリジナルよりも良いとも思えなかった。今回の「ウエスト・サイド」も暴力性や、現代的な乾いた雰囲気ばかりで、何か味気ない作品になってしまったようだ。

「ウエスト・サイド」は、現在スティーヴン・スピルバーグが再映画化している。昔のロバート・ワイズとジェローム・ロビンスが作った映画は、舞台的な感覚の残った映画になっていたが、スピルバーグは「映画的」な映画を作りそうな予感もする。まだ、スティール写真しか公開されていないが、どんな作品になるか楽しみだ。

文京シビックセンターのトリプル・ピアノ・リサイタル

2020-02-24 11:12:26 | 音楽
2月23日(日)の昼に文京シビックセンターで、ピアニスト3人によるコンサートを聴く。15時開演で、15分間の休憩を挟み、終演は17時10分頃。ほぼ満席だが、ところどころに空席があったのは、新型コロナウィルスの影響か?会場ではマスク姿も増えて、館内放送では、咳くしゃみのエチケットなどを守るように放送もされていた。

ピアニスト3人は、中野翔太、金子三勇士、坂田知樹の若手たち。どういいう選考基準なのだろうと思ったら、所属している音楽事務所が同じなのだそうだ。この三人が最初はソロで、次にデュオで、最後は3人で一緒に弾くというコンサート。

最初はショパンのノクターンをそれぞれが弾く。昼のコンサートだが、「夜クラシックの特別編」という位置づけなので、ノクターンを選んだそうだ。続いて、モーツァルトの「2代のピアノのためのソナタ」で、3人のうち二人が交代しながら、ソナタを弾く。三楽章まであるので、ちょうど、一人当たり二楽章づつ弾く計算になる。ここで休憩。

後半は、チャイコフスキーの「花のワルツ」をデュオで、プーランクの「2台のピアノのためのエレジー」、ピアソラの「リベルタンゴ」のデュオ版、最後はホルストの惑星から「火星」「金星」「木星」の三台ピアノ版。編曲は中野翔太となっていた。

こうしてみると、案外2台や3台のために書かれたピアノ曲は少ないのだなあと思った。実際に聴いてみると、ピアノは一人でかなりたくさんの音を出すことができるので、一人でも音が多過ぎると感じることがあるぐらいだから、二人とか三人で同時に演奏すると、音が多過ぎてかえって聞きにくい印象もある。結局、3台用に編曲していても、一人は休んでいたり、二人で同じ音を弾いたりしているので、あまり3台の良さというのは感じられなかった。和音が多い作品は3台だと無理だという気がするので、複雑な対位法の作品みたいなものを3人で弾いたら面白いのにと勝手に考える。

また、指揮者がいるわけではなく、相手の音を聞きながら合わせて弾くので、テンポも比較的ゆっくりめで、あまり個性的な弾き方をするわけでもなく、三人のピアニストを集めて弾かせる意味は何なのだろうと考えてしまった。まあ、選曲から言っても、午後のひと時を楽しんでねということなのだろうと理解した。

帰りは丁度夕食時間だったので、いつものスペインバルで軽く食事。マンチャゴ風のカポナータや、若鳥のローストなど。

新国立劇場のバレエ「マノン」

2020-02-23 11:20:45 | バレエ
2月22日(土)の昼に新国立劇場で、ケネス・マクミランのバレエ「マノン」を観る。5回公演の初日。14時開演で、25分と20分の休憩を挟み、終演は16時50分頃。場内はほぼ満席。

ケネス・マクミランは20世紀後半に、物語性のある3幕物の長編バレエを多く生み出し、復活させた点で評価されているが、彼の作品の中でも「ロメオとジュリエット」などと並んで有名な作品だが、日本では上演機会が少ない気がする。

18世紀に書かれたアベ・プレヴォーの小説が原作だが、新国立劇場で配られたリーフレットには「ケネス・マクミランの『マノン』」という風な表記はあるが、プレヴォーについてはまったく触れられていない。解説に書けとは言わないが、せめてクレジットには載せておくべきだろう。

プッチーニやマスネなどもオペラにしているので、物語自体は良くなじんだものだ。僕などは若い時に見たフランス映画で、ジョルジュ・クルーゾーが監督した「情婦マノン」が鮮烈な印象なので、最後は砂漠で亡くなるようなイメージを抱いていたが、バレエで描かれた通りに、フランスの植民地だったニューオリンズ(新オルレアン)近くの湿地帯で亡くなるというのが原作通りだと思う。

こうした長編バレエを新たに作る時に、一番の問題点はバレエ向きの音楽を新たに書く作曲家がいないことだ。これは作曲界が前衛ばかり追求しているためで、サボリとしか思えないが、このバレエ作品ではマスネの音楽を使っている。困ったことに、新国立のリーフレットには、マスネの音楽とも書いてなく、編曲マーティン・イエーツとなっている。念のために手元にあるオックスフォードの事典で調べると、マクミランの作品はマスネの音楽で、編曲はリートン・ルーカスとなっている。ということは、編曲はオリジナルではないのだろうか。いろいろと疑問がわいてきた。

さて公演の方だが、主演のマノンには米沢唯、相手役の神学生にはワディム・ムンタギロフで、難しい踊りだとは思うが見事に踊っていた。マノンは美しいが小悪魔的な魅力もあり、誘惑には勝てないという天性の気質を持つが、米沢唯は時にはちょっと可愛らしすぎたかも知れない。これは表現の問題というよりも役柄があっているかどうかという問題だろう。ムンタギロフは一幕はちょっと安定を書くかと思ったが、二幕三幕は見事な踊りだった。

木村優里がマノンの兄レスコーの愛人娼婦役で、結構沢山踊っていてなかなか良かった。他の踊り手たちも水準が高く、やはり新国立のバレエは安心して観れると感じた。

踊りはテクニック的には難しそうに思えたが、そうしたことよりもこの作品をドラマとして面白く見せていて退屈させないところが良いと思う。原作があるので、そのどの部分を描くかによってかなり印象が異なってくると思うが、最初の場面からしてうまく作ってあると改めて感心した。

新国立のバレエはいつも沢田祐二の照明だが、全体的にもう少し明るく、というよりも正面から光を当てた方が良いのではないかと感じる。幻想的な雰囲気を出したいのだろうが、ある程度明るい方が、舞台を見る観客の方も楽だからだ。

バレエは、大抵ハッピーエンドで、美しい衣装で終わるが、この作品は汚れた衣装で、亡くなってしまうので、ちょっと寂しい。宝塚だと、この後フィナーレをやるだろうと思った。何か大喜利で短く目出度い作品が後ろにあると良いと感じるのは、あまりにも日本人的な感覚だろうか。

家に真っ直ぐ戻って食事。大根のサラダと天津飯を作る。飲み物は日本酒の大吟醸。

映画「今そこにある危機」

2020-02-21 11:04:57 | 映画
衛星放送の録画で、1994年のアメリカ映画「今そこにある危機」を観る。ハリソン・フォードの主演で、フィリップ・ノイス監督。

ハリソン・フォードはCIAの捜査官で、癌のためリタイアせざるを得なくなった副長官に代わり、職務に就くが、ホワイトハウスの政治の世界に巻き込まれて、苦労する。

南米からの麻薬密輸をどう止めるかというので、相手国の政府に資金援助するが、大統領の友人だった男が麻薬資金のマネロンに関与していたことが分かり、その男が殺されるので、CIA長官は密かに武力行使することにして、郡から選び抜いた12名の工作員を密かに送り込む。しかし、現地の麻薬王とその側近の内部抗争があり、工作員たちを見捨ててしまうことになり、それを知ったハリソン・フォードが大統領と直談判するが、埒が明かずに、上院の調査委員会に報告するという展開になる。

まあ、どんどんんと話が展開して退屈せずに見れるので、エンターテインメントとしては良いが、それ以上でもそれ以下でもない感じ。今から四半世紀も昔の映画だが、南米からの麻薬の密輸問題は解決しておらず、なかなか難しいのだろうと痛感した。

映画「バイス」

2020-02-19 11:14:52 | 映画
衛星放送の録画で、2018年のアメリカ映画「バイス」をみる。バイスとは、この場合は副大統領の「副」という意味で使ったのだろうが、「邪悪」という意味を重ねているのかも知れない。

ジョージ・ブッシュ大統領の下で副大統領を務めた、ディック・チェイニー副大統領の伝記的な作品だが、かなり批判的に描いている。チェイニーの駆け出し時代から描かれるが、一番の見せ場は、2001年に9.11の多発テロが起きた時の様子で、この時に大統領は飛行機で移動中だったので、ホワイトハウスではチェイニーが指揮を執った。大統領には、危険だから暫く着陸しない方が良いと伝える。アメリカでは大統領にもしものことがあれば、即座に副大統領が大統領に就任するから、これはチェイニーが一番大統領に近づいた瞬間かも知れない。

ホワイトハウス地下のコントロール・ルームでは、チェイニーのほか、パウエルやライスなどがいるが、これが皆結構似た俳優が演じているのが面白い。中でもチェイニーは特殊メイクをしたのか、とても似ていたので驚いた。アカデミー賞でメイク賞を取っただけのことはあると思った。

この映画では、チェイニーは無能の悪人のように描かれているが、大統領のジョージ・ブッシュはさらにひどく、無能のお坊ちゃんとして描かれていて、バカにされている。いくら何でもかなり極端な描き方だと思ったが、コメディなのかも知れない。

それと、もう一つ気になったのは、監督のアダム・マケイが、映画の約束事を破って、変な編集をしていることだ。途中でいかにも映画が終わったような字幕を流したり、変な描写を入れている。これでは、映画に集中できずに面白くないと思った。

アカデミー賞シーズンなので、過去のアカデミー賞受賞作品がいろいろと放映されるが、こうした下らない映画も多いので、気を付ける必要があると感じた。