劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

「クラシック音楽」はいつ終わったのか?

2017-09-30 15:20:49 | 読書
岡田暁生の「『クラシック音楽』はいつ終わったのか?」を読む。人文書房から出ている140ページほどの本で、2010年の出版。薄いので簡単に読める。レクチャー「第一次世界大戦を考える」の一冊として出た本で、副題には「音楽史における第一次世界大戦の前後」とある。題名から推察できるように、現在われわれが「クラシック音楽」と考えているものは、第一次世界大戦により、終わったことを示唆している。示唆しているというのは、本を読んでも、明確には書いてないからだ。

5章からなる構成で、最初の1章は第一次世界大戦の前後に起きた音楽界の変化と社会的な出来事を記述してあり、いわば概説だが、ここが一番面白い。2章と3章は、主要な作曲家たちの、戦前、戦中における作風の変化などが述べられていて、絵画などと比較しながら、前衛へ向かった様子がわかる。

4章、5章はドイツの音楽批評家パウル・ベッカーの戦前、戦中、戦後の変遷などをたどり、音楽と社会の関係が考察されている。この部分は結構難しい。僕なりの解釈では、ベルエポックまでは、ブルジョワ個人の趣味みたいに音楽が扱われてきたが、第一次大戦後には個人を包み込む大衆が出現して、状況が一変したというような話だ。

いろいろと勉強にはなるが、なぜこうした変化が起きたのかは、今一つクリアに述べられていない。いろいろな分野をまたぐ、総合的な研究が必要なのかも知れない。

本件については、気になったので、岡田暁生が同じテーマについて書いた岩波書店の「第一次世界大戦 3精神の変容」のt当該部分も読んでみた。この本は第一次世界大戦100年目にあたる2014年に出版された4巻本の一冊で、岡田氏は「総説」と「第一次世界大戦と演奏会文化の変質」という題名で書いている。しかし、内容的にはあまり変わっておらず、聴衆が第一次世界大戦により、戦争成金などに変わったことが書かれているに過ぎなかった。

ミラーの「新音楽史」

2017-09-28 15:41:27 | 読書
東海大学出版のH・M・ミラー著「新音楽史」を読む。僕が読んだのは2000年に出た改訂版。原著は1947年に初版が出た後、改訂版が何回か出ている。日本語訳は1972年の第4版をベースに翻訳したようだ。著者のミラーは、米国の大学教授。版を重ねているので、それなりに定評のあるものだろうと思い、読んだわけだ。また、音楽史を読んでいく中で、多くの本がドイツ人によって書かれていたので、アメリカ人が書くとどうなるかという点も興味があった。

A5版の横組みで、譜例や図表なども入り、約400ページの本。本文は320ページぐらいで、後ろに参考文献や、用語解説索引などが充実している。また、各章には実際に音を聞きたい人のためにレコードが紹介してある。今やCDやネット配信の時代になってしまったので、レコード番号が載っていても、役に立つかどうかはわからないが、そうした内容の本だ。恐らくは、米国の大学の音楽史の教科書として書かれたものだろうが、米国の教科書にしては、ちょっと薄い本。

構成は全7章で、古代、中世、ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、20世紀、とオーソドックスな分類。各章とも、極めて簡潔で、要領を得た記述になっており、要点は箇条書きになってまとめてある。こうしてまとめてあると分かりやすいが、逆に言えば無味乾燥というか、読み物としては面白みを欠いている。それでも、バランスの良さは抜群で、面白くはないが、一通り音楽史を学びたいという人には、これ以上の本はないかも知れない。

良くまとまって入るが、20世紀の部分は、まだ歴史の評価に入れる段階ではないためか、主要な音楽家の羅列に終わっており、混とんとした印象。まあ、本の書かれた70年代では整理は難しいだろうが、21世紀に入った現在では、そろそろきちんと整理した方が良いかと思われる。

そう思って、現在のアメリカでよく使われている「西洋文化における音楽の簡略史」という2004年に出たマーク・エヴァン・ボンズの本の20世紀部分をざっと見てみると、極めて良くまとめられていた。日本の大学でも、最新のアメリカの教科書を参照した方が良いかと思われる。


紀田順一郎の「蔵書一代」

2017-09-27 14:34:52 | 読書
紀田順一郎は本好きとして知られているが、80歳にして限界を感じて、蔵書をすべて処分して、マンションに引っ越したという所から本は始まる。その後は、個人が蔵書をする理由、意義、古本屋の役割、公共図書館の役割、歴史上の蔵書家の話、これまでの日本の出版界の歴史などが語られる。

そのどれも興味深いが、やはり面白く読んだのは、紀田順一郎個人のこれまでの蔵書との闘いを描いた部分だ。横浜の頑丈な自宅に本をたくさん貯めていたが、岡山に新居を求めて本を移動した話。しかし、家庭の事情などから、結局は横浜に戻ってくるが、本はほとんど戻らなかったという話。そして、生涯をかけて集めた本をいよいよ手放す決心をした話が語られる。

僕自身も、それなりの本をため込んでいるので、他人ごととは思えずに、ついつい真剣になって読んだ。昔と違って、今やため込んでいるのは、本だけではない。CDやDVD、そして捨てられないLPレコード、もっと古いSPレコードまであるのだ。なんとなく、どこかの図書館で引き取ってくれないかなあと、漠然と考えているのだが、そうした考えが、甘いということは、この本を読むとよくわかる。

それにしても、体力のあるうちに何とかしなければと思う日々だ。こちらが処分しなければと考えているのに、時たま電話をくれる友人は「本を引きっとってくれないか」と相談してくる。みな同じなのだ。

涙なくしては読めない本だった。

「明治大正の民衆娯楽」

2017-09-26 13:33:39 | 読書
倉橋喜弘著の「明治大正の民衆娯楽」を読む。岩波新書で1980年の出版。200ページほどの本だが、面白いだけでなく、勉強にもなった。民衆という存在は江戸時代にはなく、明治の時代に徐々に形成されていったことが良く分かる。同時に、明治政府がこうした娯楽を公序良俗を乱すものとして抑圧的に管理しようとしていたが、徐々にこれを利用して民衆管理を徹底しようとする政策に変化していったこともわかる。

そういう観点から見ると、演劇改良運動に取り組んでいた團十郎は、政府からある意味で利用されていたことがわかる。

また、明治期、大正期に流行した多くの娯楽の中には、今ではすっかり忘れられた用も物が多いことにも、気が付かされる。例えば、「生人形」、「どどいつ」、「浪速節」、「娘義太夫」、「戦争講談」、「琵琶」などがどのように流行していたかは、この本で初めて分かった。

最終章では、「女性台頭」として、初めて舞台芸人などになった女性が、どのように社会から見られてきたかが、当時の新聞などを引用しながら判りやすく説明されている。こうした芸能は、最終的には首都たる東京で認められて、一流との評価を受けるのだが、東京は政府のお膝元で取り締まりも厳しく、新しいものを産み出さないような気がする。むしろ地方で育った芸人が、その評判を持って東京に乗り込んできて、東京でも名声を得るというパターンが多いように感じた。

こうした庶民の娯楽は、レコードや映画の登場する1910年代以降、急速に変化するが、その変化に入るところまでが、本書で説明されていた。

最低評価の「薔薇の素顔」を観る

2017-09-25 12:29:49 | 映画
衛星放送でやっていたので、ブルース・ウィルス主演の映画「薔薇の素顔」を観る。1994年の作品だが、アカデミー賞に対抗して「最低の映画」を選ぶ「ゴールデン・ラズベリー賞」で「最低作品賞」を見事受賞した作品として有名。

興行的にも振るわずに、散々だったようだが、ビデオの貸し出しでは結構人気があるらしい。僕は見逃していたので、どんな映画だろうと今回初めて観た。

主演のブルース・ウィルスは、ニュー・ヨークの精神分析医で、患者の治療中に、その患者がビルから飛び降り自殺してしまう。傷心のウィルスは、ロスで成功している友人の精神分析医を訪ねて行くが、その友人は何者かに殺害され、ウィルスは行きがかりで、彼の担当していた患者たちを引き受けることになる。

そうして、変な警察の警部や、謎の美女などが現れて、彼は否応なく事件に巻き込まれて、その解明をせざるを得なくなる。

全体の雰囲気は、にやけたハード・ボイルド調というか、物語の展開はレイモンド・チャンドラーの小説のようで、次々と起こる事件や、謎の美女の出現など、探偵小説、ミステリーの道具立てが揃っている。おまけに、いかにもこうした話が似合うロス・アンジェルスが舞台となっている。違うのは、主人公のウィルスが私立探偵ではなく、精神分析医だということだ。

ブルース・ウィルスは「ダイ・ハード」の印象が強いので、マッチョな、アクション映画に似合うが、昔はテレビの「こちらブルームーン探偵社」で、シビル・シェファードと共演していて、ハードボイルドではないが、にやけた探偵役を演じていたから、その流れを汲んでいるのかも知れない。

物語の意外な展開などもあり、映画的には退屈せずに面白く観ることができた。問題があるとすれば、ウィルスのキャラクター設定で、ニヒルなのか、にやけているのか、真面目なのか、不真面目なのかよく分からない描き方だろう。

結構エキセントリックな人物が沢山出てくるので、にやけた部分を除いて真面目に作ればヒッチコックの「サイコ」みたいな恐怖映画にもできるし、もっとふざけた作り方をしてギャグを入れてもよかったのかも知れない。中途半端だったのだろう。

まあ、「最低映画賞」には該当しない作品だと思った。