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オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

東京オペラ・プロデュースの「ラインの妖精」を観る

2017-05-28 10:40:43 | オペラ
27日(土)の午後に東京オペラ・プロデュースの「ラインの妖精」を新国立の中劇場で観る。プログラムを読むと、東京オペラ・プロデュースは設立43年目で、今回は100回目の記念公演だそうだ。オペレッタで有名なジャック・オッフェンバックが書いたオペラは2本しかないが、その1本目の日本初演とある。まずは、43年も活動を続けて、100回目を迎えたことに賞賛の拍手を贈りたい。個人の情熱だけでは続けられない、組織としても機能した素晴らしい記録だと思う。

そんな記念すべき100回目の公演で、日本初演のオッフェンバック作品となれば満員かというと、客席は5~6割の入りで空席が目立つ。今回の公演は土曜と日曜の2回公演だから、両日合わせてもこの作品を観るのは千人ぐらいか。日本のオペラ・ファンというのはそんななのかなあと、ちょっと寂しく思う。

公演は15時からで、25分の休憩をはさんで、終演は6時45分なので、正味は3時間20分と、結構長い。4幕構成だが、今回は1~2幕の後に休憩、3~4幕という実質的には2幕構成で見せる。

序曲が始まると聴きなれた曲で、「ホフマンの舟歌」そのもの。後に「ホフマン物語」に転用された名曲が結構あるらしい。全体的にオッフェンバックらしい美しいメロディの曲が多く楽しめる。あまり本にも紹介されていないので、今回は全く予習なしに臨んだが、1~2幕が終わって、これはオペラ版の「ジゼル」そのものだと思った。初演の年を見ると1864年となっており、バレエ「ジゼル」が初演された1941年の23年後だ。

オッフェンバックはドイツ生まれのユダヤ系で、音楽の勉強のために1833年にパリに出てきており、1835年からパリのオペラ・コミーク座でチェロを弾いていたというから、1841年に初演された「ジゼル」には当然接触していただろう。

今回のプログラムによると、「ラインの妖精」はウィーンのハプスブルグ家からの依頼で、ロマン派のオペラを書いたということだ。18世紀前半はロマン派の時代だったから、64年というのはもう時代が変わり始めていたのではないかという気がするが、まあ、ロマン派のオペラはおかしくない。「ジゼル」もロマン派のバレエとして数少ない現在に伝わる作品だ。

「ジゼル」では、母親と住む踊り好きの村娘ジゼルに狩人の恋人がいるが、村人に化けた王子がジゼルに求婚して、ジゼルは王子に恋をする。しかし、王子には許嫁の姫がいることが分かり、ジゼルは踊って亡くなる。精神的なショック死なのか、体が弱いのか、はっきりしないが、ここまでが1幕で、2幕は森の場面。ウィリィという妖精が、通りかかる旅人を誘惑して死ぬまで踊らせてしまう。ウィリィというのは未婚のまま亡くなった娘たちの亡霊で、この世に未練があって森の中をうろついているのだ。ジゼルの墓参りに来た狩人は、ウィリィに弄ばれて踊り死ぬ。一方、王子はジゼルが身を張って守り切り、朝になって救われる。一幕が村の現実、二幕が妖精の世界という典型的なロマン派の構成となっている。

さて、「ラインの妖精」の方は、主人公の娘アムルガートは踊り死にではなく、歌い死にする。それ以外は「ジゼル」と全く同じ設定だ。父親不在で母と暮らしていること。狩人から恋されているが、自分は兵士のフランツに恋していて、1幕の終わりで歌い死にすること。その後は、妖精の森に舞台を移して、旅人たちは妖精に惑わされて死んでしまうのを、フランツに恋したアムルガート守ることなど、瓜二つといってよいほど構成は同じだ。

だから、どうだということのほどはないのだが、僕としては新発見の気分だった。

3幕の冒頭で妖精たちが出てくるところで、「ホフマンの舟歌」のメロディが使われる。これは妖精たちの歌だったのだと納得。歌手は特に問題なくそれぞれ良かったが、母親役の羽山弘子が特に良かった。物語の最後で明らかになる実は父親というコンラートを歌った羽山晃生という人は、羽山弘子と役柄だけでなく本当に夫婦なのかなあ。プログラムで見ると同じ時期にイタリアに留学をしている。まあ、作品の出来とは関係ないのだが、ちょっと気になる。

装置、演出はそつなくまとまっているが、衣装はもう一工夫欲しい。兵士たちの衣装がなんとなく東洋的過ぎるし、コーラスと主演級の歌手が全員同じ色の衣装なので、わかりにくい。デザインは変えてあるのだが、もっと目立つように色も変えてほしい。

最後に苦言を一つ。オーケストラは50人と大編成で、東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団となっている。どういうオーケストラかは知らないが、演奏が低調というよりも、ハッキリ言うと下手だ。編成も気になる。この人数でホルンが4本、トロンボーンが3本、トランペット2本というのは明らかに多過ぎないか。金管が多すぎるので、フォルテで演奏すると、音が大きすぎて合唱が全く聞こえない。合唱は男女とも10人くらいで、オケに負けている。このオケ編成ならば合唱の人数は倍にする必要がある。普通に考えれば、合唱の人数はこのままで、オケの管楽器を半減して、30人編成位にすればちょうど良いと思う。おまけに、今回はホルンの音が不安定で、聴きづらかった。明らかな練習不足。今後の課題だろう。

終演が7時近くになったので、初台から新宿近くまで歩き、初めて行くスペイン・バルへ入る。白ワインを飲みながら、トルティージャ、ヒコイワシのマリネ、エビのアヒージョ、アロス・ポルポス(要するにタコ飯)を食べる。土曜の夜で満席だが料理の水準は低い。駅に近い店はおいしくないという法則が当てはまる。特にトルティージャは、ジャガイモも少なく、たまごにも何か小麦粉が混ざっているようでボソボソトとしてダメだ。パンもバゲット風に見えるが、ふわふわの牛乳パンみたいで、小麦粉の香りが感じられない。店を新規開拓するのは、やはりリスクが伴う。家に帰ってシェリー酒を飲んで寝る。


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2 コメント

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音響が気になりました (イタオペファンファン)
2017-05-28 22:08:57
このホールでのオーケストラは、私が聴いた経験ではどの団体も苦労しているようですね。舞台と客席の構造上の問題と私は思っていますが、両者の音量バランスがとても悪いです。ピットが深くなりきれないのか、構造と材質とが悪さをしているかでしょうか?東京文化会館が開館当時の銭湯状態から何度も修正して、現在の素晴らしい音響空間を創り上げた事を思うと、こちらも時期を見て工夫してもらいたいものです。
今回音響作業の手違いか状況判断の詰めが甘かったのかが気になりました。
舞台中央の大岩の様な装置の上で歌う方々が、どなたも不自然に音量が大きく聞こえました。二階中央前から二番目でしたが、終演後に同様の感想を話している方がおられました。舞台空間と装置との関係なのか、音響機器での増幅レベルの間違いか分かりませんが、舞台の上に大口がイメージされたのは、物語から現実世界に引き戻されたようで、驚きました。
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re:音響が気になりました (イタオペファンファン) (francesco)
2017-05-29 10:26:00
コメントをありがとうございます。ホールの特性も影響が大きいのですね。

時々金管が強すぎると感じるので、上手側の客席をとったのですが、それでも合唱は聞こえませんでした。

中劇場のピットは、1~6列目位をつぶすことが多いように感じますが、今回は舞台をプロセニアムよりも前に出して、その前にピットを置いたため9列目までつぶしていました。
ピットの場所も問題かも知れませんね。
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