劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

新国立のレベルの高さを見せた「ジゼル」

2017-06-24 16:59:52 | バレエ
新国立の今シーズン最後の鑑賞となるバレエ「ジゼル」を6月24日の昼に観た。「ジゼル」の初日で、米沢唯と伊澤駿の組み合わせ、ミルタは本島美和で、ハンスは中家正博という配役。全6回の公演で、ジゼルを踊るのは米沢唯、小野絢子、木村優里が各2回づつとなっている。切符は未だ売れ残っていたようだが、客席を見回した感じではほぼ満席だった。

24日は昼夜の2回公演だが、昼の回の上記キャストで見る限り、どのダンサーもよく踊っただけでなく、コールド・バレエも含めて高い水準の舞台を見せた。米沢唯は安定した踊りを見せただけでなく、1幕の感情表現もうまく見せた。相手役の井澤駿はプリンシパルではなくファースト・ソリストだが、高い技術レベルで踊る。特に2幕でミルタに踊らされて、連続するアントルシャを見せる場面があるが、ジャンプの高さに感心した。ジャンプの高さではハンス役の中家正博も負けてはいない。これからが期待できる。

この作品では、ミルタもジゼルと同様に重要な役だが、本島美和のミルタは冷酷さと強い意志を感じさせるミルタで、まさにはまり役だった。コールド・バレエの水準も高く、まさしく日本国内で最高水準の「ジゼル」を見せた。世界的に見てもかなり高いレベルといえるだろう。

ロマンチック・バレエの代表作であるが、今見ても古さは感じない。むしろその後の古典派の時代よりも、きちんとマイムで物語を伝えるし、付け足したようなディヴェルティスマンがたくさん入るわけではないので、ドラマとしても感動的に仕上がっている。僕などは、やはりマイムを使ったやりとりがバレエらしくて、結構好きだ。バレエだって演劇なのだ。

今回の振付はコンスタンチン・セルゲーエフ版となっているので、現在のマリインスキーなどに伝わる振付と同じだと思う。セルゲーエフ自身は1992年に亡くなっているので、その振付を知る人が実質的に監修したのだろうが、そこらの情報も公演リーフレットに書いておいてほしい。ビデオで観ると現在のマリインスキーではジゼルの墓は舞台下手の手前にあり、ジゼルは舞台下からせり上がって登場する。ところが、新国立の版では下手奥にあり、ウィリが墓の周りに集まっている後ろからジゼルが登場する。この登場スタイルは、確かロイヤル・バレエではなかったか。別にどちらでもよいのだが、実質的な慣習が誰なのかがわかるとありがたい。

舞台美術や衣装もオーソドックスで好感が持てる。オケは東京フィルハーモニーで、指揮はアレクセイ・バクラン。熱演だった。


映画「さよならミス・ワイコフ」を観る

2017-06-21 13:07:27 | 映画
見逃した古い映画を衛星放送でやっていたので、録画してみる。この作品はウィリアム・インジの小説の映画化なので、ちょっと気になっていたのだが、仕事が忙しかった時期で見逃してしまっていた。1978年の映画で、監督はマーヴィン・チョムスキーという、言語学者みたいな名前の人。知らなかったので、調べてみると、テレビの監督として活躍したようで、映画は少ない。

原作を書いたウィリアム・インジは、有名な劇作家で「愛しのシバよ帰れ」、「ピクニック」、「バス停留所」、「階段の上の暗闇」などの名作を1950年代に書いている。これらの作品は映画にもなったりしているので、多くのファンがいるかも知れない。

1960年代にも戯曲を書いているが、エリア・カザンの映画「草原の輝き」の台本を書いたのが有名かも知れない。1970年代に小説を二つ書いていて、その最初に書いた小説がこの「さよならミス・ワイコフ」だ。映画の日本公開題名は「さよなら」となているが、原題名は「グッド・ラック、ミス・ワイコフ」なので、「お元気で、ミス・ワイコフ」としたほうが内容にあっている。

内容は1950年代中ごろのアメリカ中西部の閉鎖的な田舎町での話。主人公のミス・ワイコフは、高校のラテン語の教師で、題名からもわかるとおりに独身女性。30歳代半ばだが、いまだに男性経験がなく、そのためにヒステリー症状を起こして「早期」更年期障害と診断されて、医師から男性と付き合ってはどうかと勧められる。

ところが、それまで男性と付き合った経験がないので、どんな男性と付き合うべきかわからなくなってしまい、黒人の若い男と関係をもったのが町の人々に知るところになり、町にいられなくなって、ひとり町を出ていく決心をする。そうした彼女に投げかけられた言葉が、「お元気で、ミス・ワイコフ」である。

まず、アメリカで公民権運動が本格化する前の黒人差別的な雰囲気が漂う1950年代半ばであり、その中でも特に閉鎖的な雰囲気を持つ中西部の小さな町を舞台にしていることがカギとなっている。これが、1930年代であれば、関係した黒人青年はリンチに会うかも知れない。1970年代ならば、町の人の対応も違うかも知れない。そうした、1950年代中ごろなのだ。

映画の冒頭で、ミス・ワイコフが高校の同僚の女先生と下宿先の保守的な夫人と一緒に、マーロン・ブランドとヴィヴィアン・リーの「欲望という名の電車」を見に行くという場面が出てくる。同僚の女性教師はブランドの体がすごかったわねなどと話題にして、あんな男に抱かれてみたいなどとおしゃべりするのだが、ミス・ワイコフはまるで不潔なものにでも出会ったような反応をする。

しかし、映画の進展とともに、ミス・ワイコフはヴィヴィアン・リーのようになっていくのだ。まあ、雰囲気としては、ジャンヌ・モローの主演した映画「マドモアゼル」に近い作品だろう。テーマ的にもそっくりだ。

なかなか、面白いテーマなのだが、この映画が作られた1970年代末の雰囲気かもしれないが、性的場面の描写が直接的過ぎて、僕などはちょっと嫌になってしまう。もっと上品に描けないのかなあと思う。テレビの監督なので、普段のテレビで描けない表現をと考えて張り切りすぎたのかも知れない。

というわけで、見逃していた作品を一つこなした。

仁左衛門の「御所五郎蔵」が良い歌舞伎座の夜

2017-06-20 14:09:21 | 歌舞伎
6月19日に歌舞伎座の夜の部を観る。3本立てで、夕方の4時半から午後9時15分まで。休憩は2回で30分と15分。演目は幸四郎と雀右衛門の「鎌倉三代記」、次が仁左衛門と雀右衛門に左団次が絡む「御所五郎蔵」、最後が幸四郎と猿之助の「一本刀土俵入」となっている。

3本の中では、「御所五郎蔵」がダントツに良い。黙阿弥の七五調の名科白が心地よく響く演目だが、幕開きの両花道に左団次と仁左衛門が対峙して、引き連れた家中の者も加わって連れ台詞となるあたりから、わくわくする。仁左衛門の啖呵、傾城となる雀右衛門、そして米吉の美しさを堪能できる。まさに歌舞伎の醍醐味。

「鎌倉三代記」は、赤姫の代表的な演目で時姫が登場、雀右衛門が見事に演じる。幸四郎が相手役だが、こうした時代物となると、幸四郎のセリフはちょっと聞き取りにくい。チョボの語りはなかなか良かっただけに残念。

最後は「一本刀土俵入」は、長谷川伸の代表作といわれている新歌舞伎で、1931年の作品。いわゆる任侠物といってもよいかも知れないが、若いときに腹をすかして困っていた駒形茂兵衛がお蔦に助けられて、十年後にその恩返しをする話。家を守るために個人を犠牲にするような江戸時代の歌舞伎のテーマとは異なり、近代的な自我意識を持つ芝居なので、観ていてもどうも歌舞伎という感じがしない。幸四郎の駒形は、役柄に似合うかどうかは別として、まあ良いが、猿之助のお蔦が、まだちょっと完成していない印象。もう少し経験を積む必要がある。

行きつけのスペインバルが休みだったので、家に帰って食事した。

メトの「リゴレット」を観る

2017-06-18 10:10:54 | オペラ
以前に録画しておいた、メトロポリタン歌劇場の「リゴレット」を観る。2013年の上演で、1960年代のラス・ベガスに場所を移した読み替え上演。リゴレット役はゼリコ・ルチック、ジルダ役はディアナ・ダムロウ、公爵はピョートル・ベクツァラといった布陣。新演出はマイケル・メイヤー。ラス・ベガスに移すアイディアはメイヤーのものだ。もともとはブロードウェイの演出家で、オペラの演出は初めてだとインタビューで答えていた。

メイヤーは調べてみると、1999年に「冬のライオン」を演出、ミュージカルの「モダン・ミリー」でトニー賞のノミネートを受けるが、受賞は逃す。その後、2006年の「春の目覚め」の演出でトニー賞をとったのが注目されて、メトから声がかかったのだ。メトの製作サイドとしては、読み替えで構わないが、台本を変えない(つまり役柄をうまくあてはまるようにする)こと、というのが条件だったらしい。

結局、主な役柄はシナトラ一家に置き換わっている。1950年代まではシナトラは自信のなさげな青二才役が多かったが、1960年代になると貫録をつけて子分たちをたくさん集めて「シナトラ一家」と呼ばれる仲間を集めた。英語ではラット・パック、すなわちバカ仲間というような言い方だったが、日本では「シナトラ一家」と呼んでいた。代表的なメンバーは、ディーン・マーティン、サミー・デイヴィス・ジュニア、シャーリー・マクレーン、アンジー・ディッキンソンらだったと思うが、シナトラはそうした仲間たちを集めて、何本か映画を撮った。代表作は「オーシャンと11人の仲間」だ。

今回の「リゴレット」の新演出は、その「オーシャンと11人の仲間」の「世界」を使っている。そう、歌舞伎でいう所の「世界」という言葉がぴったりと来る。時代や場所の背景を言う。幕府の規制を避けるため、江戸時代の事件でも室町時代に移したり、太平記の世界に移したりして芝居を書いたのだが、それと同じように、時代と場所を移してしまった。

1960年代のマントア公爵は、シナトラのイメージで、自分のカジノを中心に悪戯仲間(貴族たち)を集めて、女あさりに夢中になっている。貴族たちは退屈しのぎに、いつも悪ふざけばかりしている。ここはうまく嵌っているのだが、肝心のリゴレットの役柄がはっきりとしない。宮廷の道化師の役柄だが、ここではシナトラの太鼓持ちのような役柄となっている。なかなか難しいが、まあ、許容範囲。殺し屋なども、ラス・ベガスにいかにもいそうなタイプなので、全体としてはうまくいっているように感じた。

美術や衣装も1960年代のラス・ベガス風で、背景にはネオン・サインが多用されて、いかにも賭博の町といった雰囲気を盛り上げる。そうした意味では、ひとまず新演出は成功といっても良いかも知れない。しかし、こうした奇をてらった演出は何のためにやっているのだろう。まあ、話題性があるので、一度ぐらいは見ても良いが、何度も見るような代物とも思えない。歌舞伎だって、「寺子屋」を現代に移して上演したりするのを観たくはない。

蜷川幸雄が「マクベス」を日本の時代劇の世界に置き換えたのは、なかなか面白かったが、そう何度も使える手ではないだろう。

メイヤーはインタービューに答えて、ブロードウェイとメトの違いについて、役柄の解釈については歌手は過去に何十回と経験していて、すでに完成している点が大きく異なる、と答えている。そう、オペラは歌舞伎と同じで、定番の作品はいくつかの型があっても、役者は得意の型で演じるので、それほど演出家を必要としないのだ。だから、結局、新演出で張り切ると、へんてこな読み替えをやったりする。

こういう舞台を観ると、2002年にバズ・ラーマンがブロードウェイで演出した「ラ・ボエーム」の方が、よっぽど正当だという気がしてきた。いつも、伝統的な重いソースのフレンチばかりを食べていると、たまにヌーベルキュイジンヌのような軽いソースの料理を食べたくなるが、いざ食べてみると、結局は昔からの伝統料理の方が良いなあと感じてしまう。だけど、最近は何処へ行っても創作料理や軽いソースが大流行で、伝統料理は食べられなく成ってしまった。オペラの世界もそうなのかなあ。

歌も演奏も良かったので楽しめたが、こういう創作料理系はどうも苦手だ。

新国立劇場でサローヤンの「君が人生の時」を観る

2017-06-16 18:11:52 | 演劇
6月16日の昼に「君が人生の時」を観る。新国立の小劇場ではなく、中劇場だ。劇場に着いて入ろうとしたときに、思わず驚いてしまった。何に驚いたかというと、普段の新国立の演劇の客層と、あまりにも違ったからだ。オペラなどを観にいくと、いかにも経済的に余裕があって、うまい物や酒を飲んでますとか、マニアっぽい人種が多いが、演劇の特に小劇場などを観にいくと、観客層は自然健康食品を食べて、哲学書でも読んでいて、人生を楽しんでいなさそうな人々が多いような気がする。これはあくまでも、私の主観で、両方に顔を出す僕はどちらに属しているのかはわからない。

今回は圧倒的にぺちゃくちゃと会話している女性陣が大半。普段の演劇よりも年齢層も若い。僕はサローヤンの芝居のつもりで見に来たのだが、観客のお目当ては、ジャニーズ系の主役男性と、宝塚元トップの女性だろう。そのために、普段とは全く異なる客層となったのだ。約1200席の中劇場はほぼ満席。単なるサローヤンの芝居というだけでは、こんなには埋まらないから、人気のある俳優を使うのも大事かも知れない。それで商業的に成り立つのならば何よりだ。

ところで、この芝居の内容は、この戯曲が上演された1939年のサン・フランシスコの港にある酒場を舞台にしていて、その時代の雰囲気をそのまま切り取ったような構成だ。だから、80年近くたった現在の東京で観て、何が面白いと感じることができるのかが問われる気がした。舞台となる酒場はイタリア系の移民(おそらくは2世か)が経営していて、社会から溢れてしまったような人物のたまり場になっている。一人ひとりは、いろいろな背景を持っているが、1939年のアメリカ社会という場所に居場所を失ってしまった人々だ。そうした人々を群像的に、鮮やかに描き出しいるのだが、逆に言うとその時代がどんな時代だったのかが判らないと、芝居の面白さもなかなか判らないかも知れない。そこらをどれだけ伝えられるかというのが、問われるわけだ。

いろいろな人物が登場するが、劇中でタップダンスを踊る男は、「ヴォードヴィル」に出ていたという。ヴォードヴィルは、1910年代までが全盛で、20年代から衰退して30年代には壊滅状態だったと思われる。1939年にヴォードヴィル出身のタップダンサーが残っていたら、確かに場末の酒場がお似合いだろうが、もっと年をとっていた方が良かったかも知れない。タップダンスを踊れる中年がいなかったのかなあ。名前は確認しなかったが、タップダンスは結構ちゃんと踊っていたので、驚いた。

野々すみ花が演じるヒロインは、バーレスクで踊っていたという。バーレスクは19世紀にはパロディ演劇という意味で使われていたが、1920年代後半ぐらいからセクシー・ショーというような意味になり、戦後はストリップ・ショーと同義語となってしまった。10年ぐらい前に「バーレスク」という映画があったが、それを見ると最近はまたセクシー・ショーに戻ったようだ。ヒロインは、昔バーレスク・ショーに出て全米を巡業していたのを、結構自慢げに語ったりしているが、最後の方でその踊りを踊らされると、いかにも屈辱的だというムードで語られる。この格差はどこから来るのだろうか。野々すみ花の踊りは、場末のバーレスク小屋の煽情的な踊りのムードはよく出していた。

他にも、テノールで自慢の声を売り込むギリシャ系の男がいる。なぜかこの男はアイルランドを扱った「君のアイルランドの瞳が笑う時」という歌を歌って見せる。この曲は1910年代の曲だが、トーキー初期の映画に使われてヒットしたので、1930年代にもまだよく歌われていたのだろう。この曲はよく仲間内でみんなで一緒に歌ったりもするような、民謡調で、リズムのはっきりした曲だが、劇中では結構美しく歌いすぎて、何か他の曲を聴かされているような印象を持った。

バブル景気の1920年代が終わり、1930年代というのは前半は大不況の時代で失業者が溢れ、後半は景気は回復したものの、戦争の足音が聞こえてきた時期だ。だから、そうした時代背景が劇の中ににじみ出ている。さらに、不況の中で労働運動も盛んになり、ストも増える、そして台頭するナチと対抗するために、共産主義とも手を組む局面があり、いろいろな意味で、社会の治安や秩序の維持にアメリカは苦しんでいた時代かもしれない。

そうしたことから、この作品はピュリッツァー賞に選ばれたのだろう。この賞は、演劇的にすぐれている作品ではなく、最先端の時代感覚を示した作品に贈られることが多い。最近では、ミュージカルの「ハミルトン」が受賞して話題になった。

結局、この劇では大したことは起こらない。場末のバーで日常的に起きていることが描かれているだけだ。だからドラマとしてみると、いかにも詰まらない。単に、時代と場所のムード、そしてサローヤンの人間的な描き方を味わうだけだ。ちなみに、当時のニューヨーク・タイムスのブルックス・アトキンズの批評を読んでみると、「一幕劇でも十分」みたいに言っている。サローヤンの代表作だが、今見ておもしろいかなあ。

休憩20分を入れて3時間の公演。ちょっと長く感じた。日本語で上演すると、どうしても長くなるなってしまうのだろう。でも3時半に終わったので、家に帰って食事した。