新国立の今シーズン最後の鑑賞となるバレエ「ジゼル」を6月24日の昼に観た。「ジゼル」の初日で、米沢唯と伊澤駿の組み合わせ、ミルタは本島美和で、ハンスは中家正博という配役。全6回の公演で、ジゼルを踊るのは米沢唯、小野絢子、木村優里が各2回づつとなっている。切符は未だ売れ残っていたようだが、客席を見回した感じではほぼ満席だった。
24日は昼夜の2回公演だが、昼の回の上記キャストで見る限り、どのダンサーもよく踊っただけでなく、コールド・バレエも含めて高い水準の舞台を見せた。米沢唯は安定した踊りを見せただけでなく、1幕の感情表現もうまく見せた。相手役の井澤駿はプリンシパルではなくファースト・ソリストだが、高い技術レベルで踊る。特に2幕でミルタに踊らされて、連続するアントルシャを見せる場面があるが、ジャンプの高さに感心した。ジャンプの高さではハンス役の中家正博も負けてはいない。これからが期待できる。
この作品では、ミルタもジゼルと同様に重要な役だが、本島美和のミルタは冷酷さと強い意志を感じさせるミルタで、まさにはまり役だった。コールド・バレエの水準も高く、まさしく日本国内で最高水準の「ジゼル」を見せた。世界的に見てもかなり高いレベルといえるだろう。
ロマンチック・バレエの代表作であるが、今見ても古さは感じない。むしろその後の古典派の時代よりも、きちんとマイムで物語を伝えるし、付け足したようなディヴェルティスマンがたくさん入るわけではないので、ドラマとしても感動的に仕上がっている。僕などは、やはりマイムを使ったやりとりがバレエらしくて、結構好きだ。バレエだって演劇なのだ。
今回の振付はコンスタンチン・セルゲーエフ版となっているので、現在のマリインスキーなどに伝わる振付と同じだと思う。セルゲーエフ自身は1992年に亡くなっているので、その振付を知る人が実質的に監修したのだろうが、そこらの情報も公演リーフレットに書いておいてほしい。ビデオで観ると現在のマリインスキーではジゼルの墓は舞台下手の手前にあり、ジゼルは舞台下からせり上がって登場する。ところが、新国立の版では下手奥にあり、ウィリが墓の周りに集まっている後ろからジゼルが登場する。この登場スタイルは、確かロイヤル・バレエではなかったか。別にどちらでもよいのだが、実質的な慣習が誰なのかがわかるとありがたい。
舞台美術や衣装もオーソドックスで好感が持てる。オケは東京フィルハーモニーで、指揮はアレクセイ・バクラン。熱演だった。
24日は昼夜の2回公演だが、昼の回の上記キャストで見る限り、どのダンサーもよく踊っただけでなく、コールド・バレエも含めて高い水準の舞台を見せた。米沢唯は安定した踊りを見せただけでなく、1幕の感情表現もうまく見せた。相手役の井澤駿はプリンシパルではなくファースト・ソリストだが、高い技術レベルで踊る。特に2幕でミルタに踊らされて、連続するアントルシャを見せる場面があるが、ジャンプの高さに感心した。ジャンプの高さではハンス役の中家正博も負けてはいない。これからが期待できる。
この作品では、ミルタもジゼルと同様に重要な役だが、本島美和のミルタは冷酷さと強い意志を感じさせるミルタで、まさにはまり役だった。コールド・バレエの水準も高く、まさしく日本国内で最高水準の「ジゼル」を見せた。世界的に見てもかなり高いレベルといえるだろう。
ロマンチック・バレエの代表作であるが、今見ても古さは感じない。むしろその後の古典派の時代よりも、きちんとマイムで物語を伝えるし、付け足したようなディヴェルティスマンがたくさん入るわけではないので、ドラマとしても感動的に仕上がっている。僕などは、やはりマイムを使ったやりとりがバレエらしくて、結構好きだ。バレエだって演劇なのだ。
今回の振付はコンスタンチン・セルゲーエフ版となっているので、現在のマリインスキーなどに伝わる振付と同じだと思う。セルゲーエフ自身は1992年に亡くなっているので、その振付を知る人が実質的に監修したのだろうが、そこらの情報も公演リーフレットに書いておいてほしい。ビデオで観ると現在のマリインスキーではジゼルの墓は舞台下手の手前にあり、ジゼルは舞台下からせり上がって登場する。ところが、新国立の版では下手奥にあり、ウィリが墓の周りに集まっている後ろからジゼルが登場する。この登場スタイルは、確かロイヤル・バレエではなかったか。別にどちらでもよいのだが、実質的な慣習が誰なのかがわかるとありがたい。
舞台美術や衣装もオーソドックスで好感が持てる。オケは東京フィルハーモニーで、指揮はアレクセイ・バクラン。熱演だった。