劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

映画「TAR/ター」

2023-06-07 10:39:43 | 映画
6月6日(火)の昼に、新宿のTOHOシネマで映画「TAR/ター」を見る。12時30分開始だったので、早めのランチを新宿の天ぷら屋で食べ、新しくできた東急歌舞伎町タワーものぞいてみた。昔はミラノ座があったところで、上層階にはホテルが入ったので、高級感を出して歌舞伎町の品位も少し上がったかなと思ったが、2階の飲食店街を見ると、周りの歌舞伎町の品位に合わせた感じで、何のためにこんな施設を作ったのだろうと思った。

話題のジェンダーレストイレも見に行った。男子小用だけが独立した小部屋、個別のブースは別の区画で、男女とも使える、と言っても、女子用、男子用、多目的などに分かれ、区分を明確にするため、にわか作りのパーティションもある。おまけに入り口には男子警備員、個室用の区画には女子警備員もいる形で、こんな風に分けるならば、何を狙って兼用区画にしたのだろうという、ばからしいものだった。

この飲食コーナーが並ぶのが2階で、3階はゲームセンター、4階は体験型アドベンチャー施設、それよりも上は映画館等があり、さらに上は別エレベータで上がるホテルになっているようだ。前の広場には浮浪者がいて、若者たちが騒いでいるし、タワーの中に入っても同じような客層なので、二度と近寄るのは止めようという気がした。こんなタワーの中に、バカ高い料金を取る映画館を作ってもだれが行くのだろうという感じ。東京都庁や新宿区役所のお膝下なのだから、本気で再開発して、まっとうな人が集まるような街づくりをしたほうが良いのではないかと思った。

肝心の映画は、批評で高い評価を受けているので、9割以上の客が入っていた。長い映画で、約2時間40分。若い時には長い映画を見ると、何となく同じ時間で長く楽しめて、得したような気分になったが、年を取ったせいか、長い映画は疲れを感じる。面白ければよいのだが、この映画はつまらなかった。台本が悪い。

アメリカ人の女性指揮者の話で、レナード・バーンスタインの教えを受けて、過酷な競争に勝ち抜き、ベルリンのオケの常任指揮者になっている。マーラーの交響曲の録音を全部しているが、大曲の5番だけはベルリン・フィルで録音していないので、それをドイツグラモフォンで、ライブ録音するというイヴェントを控えている。本人はアグレッシブに活動して、レズビアンであることを公言、ジュリアードでも指導しているが、野望を持つ秘書に裏切られて、パワハラ、セクハラを行った指揮者として、SNSなどで批判を浴び、ストレスのため、演奏会で失態を演じてしまう。

本筋とは関係のない話が、おどろおどろしい雰囲気を出すためだけにいくつか挿入され、つまらない逸話が長々と続くわりに、本筋の背景の説明が少なくわかりにくい。1時間ぐらいカットして、余計な部分をそぎ落とせば、面白くなるかも知れないという映画。

クラシック音楽ファンの心をくすぐるような台詞が多く、バッハは作品だけでなく子供をたくさん作ったとか、ユダヤではないのになぜマーラーなのかなどの話も入るが、マーラーの5番と一緒にやるのが、エルガーのチェロ協奏曲という話が出てきて、普通はマーラーの5番だけで長いから、そんな組み合わせはしないのではと思った。

他にもいろいろと気になる点は多かったが、アカデミー賞では6部門でノミネートされながら、一つも受賞しなかったのも当然と思えた。この程度の作品が6部門でノミネートされるというのが、現在の映画の力の低下をよく現しているという気がする。

長い作品でくたびれたので、コーヒーを飲んで少し休み、スーパーで買い物して帰宅。夕食はチンゲン菜のクリーム煮、豆腐のあんかけ、餃子を作って食べる。飲み物は会津の大吟醸。


ジョヴァンニ・ソッリマの「氷のチェロ物語」

2023-04-25 09:52:26 | 映画
4月24日(月)の夜にイタリア文化会館で、ドキュメンタリー映画「氷のチェロ物語」を見る。映画上映の後に、チェリストのジョヴァンニ・ソッリマの対談があり、少しだけだが演奏もするので、ほぼ満席だった。

「氷のチェロ」というのは「氷の微笑み」などと同じような比喩表現化と思ったら、そうではなく、本当に氷でチェロを作り、それを弾くという話。アメリカの氷の彫刻家ティム・リンハートが、イタリアの北のアルプス山中の氷河地帯で氷のチェロを作り、それを使ったコンサートをやりながら、ソッリマの出身地である南のシチリア島まで行く様子が映画に収録されている。

チェロを氷で作ると言っても、氷で作るのは音を響かせる本体のボディ部分であり、さすがに指板や弦は普通のチェロと同じ部材を使う。弦がのるコマも弦に触れる部分だけは金属だが、コマ本体は氷だった。表と裏の共鳴板を作り、かなり太い魂柱で両者を繋ぐなど、本格的なチェロの構造になっている。普通のチェロよりも少し厚みがあるように思えたが、形はまさにチェロ。出来上がると棺桶のような箱に入れてロープウェイでふもとに降ろして、トレントの町で最初のコンサートを開いた。常温だと溶けてしまうため、冷凍機で冷風を作り、透明なバルーンの中に冷風を送り込んでマイナス10度程度に保ち、その中でジョヴァンニ・ソッリマが弾いた。箱から出すときには「甦れラザロ」などと呼ぶ。

終わると、マイナス18度に保つ冷凍庫付きの車に乗せて、南に向かいシチリアに向かう途中でコンサートを開く。ヴェネチアでは冷凍庫付きの船で運び、ローマでは冷凍機が故障してドライアイスの粉をかけながら演奏、シチリアでは運搬用の車の冷凍庫が故障して、お菓子屋の冷凍庫を借りてチェロを保管など、さまざまな問題を乗り越えて目的を果たす。最後は地中海に氷のチェロを葬った。

映画の後ではソッリマがインタビューに答えたが、マイナス10度の中でも、演奏をすると体の中に「炎」がともり、寒さは感じなかったと答えていた。技術的には、弾いているうちに溶けたりして楽器の状態が変化するので、それに合わせるのが大変だったという。こうしたバカげた企画を真面目にやるというのが、アメリカ人彫刻家とイタリア人演奏家の良さなのだろう。

最後に4曲ほど自作の曲を演奏してくれたが、シチリアの土俗的な歌を感じさせる音楽を、超絶技巧で即興的に演奏した。クラシックともジャズとも違う、チェロ版のパガニーニといった雰囲気で、一度は聞くに値する面白さだった。

9時に終了したので、帰りがけに遅くまでやっている焼き鳥屋で軽い食事。焼き鳥各種のほか、小松菜のお浸し、長芋のバター醤油焼きなど。日本酒各種。

マルコ・ベロッキオの「結婚演出家」

2023-04-21 15:05:02 | 映画
4月20日の夜にイタリア文化会館でマルコ・ベロッキオ監督の映画「結婚演出家」を見る。2006年の作品だが、日本では2017年のイタリア映画祭で上映された作品。今年もゴールデンウィークにイタリア映画祭が開催されるので、その宣伝も兼ねた企画か。イタリア映画祭と立ち上げた古賀太が新書本でイタリア映画史を出版したことの宣伝も兼ねているようで、古賀氏の講演も付いていた。7割程度の入り。

映画監督がシチリアの田舎町で結婚式の撮影を頼まれて、騒ぎに巻き込まれる話で、すべては幻想だという話だが、さして面白い作品ではなかった。ベロッキオはイタリアでは硬派の作品を撮っているイメージだが、この作品は自分の映画作りの悩みの告白のようにも感じられた。ある意味、フェリーニの自伝的な「81/2」に似たような話になっている。

自分の娘の結婚式風景から始まり、次作を考える中で謎の美女が登場して、その美女に惹き寄せられる。また、自分の尊敬する先輩監督が有名な映画賞を受賞したいがために、自殺狂言を演じていることを知り、自分たちが時代から取り残されているのではないかとの恐怖も抱く。そうした中で、謎の美女は、やはり時代から取り残され、財産を失った貴族の娘だと判明する。貴族は自分の借金を返済して屋敷を守るために、娘と金持ちを結婚させようとしているのだ。そうして映画監督はヴィスコンティの「山猫」のように華麗な映像で記録を残せと言われる。「山猫」も没落貴族の話だ。

シチリアの風景の中でこうした物語が展開して、それなりに面白いという気はするが、すべては幻想だったように終わるのは面白くない。現実として終わってほしかった。

帰りは土佐料理の店で、鰹を食べる。鰹の炙り焼き、白魚のような稚魚、鰹のユッケ、サラダなどを頼み、土佐の地酒を飲んだ。この時期の鰹は何となく季節感が合っておいしく感じられる。

マチルダ・ザ・ミュージカル

2023-01-04 11:06:24 | 映画
映画版の「マチルダ・ザ・ミュージカル」が年末に配信され始めたので、正月に見た。昨年末に世界的に公開されたのだが、日本では映画館での上映がなさそうで、ネットフリックス配信だけなので、ちょっと困ってしまう。

10年位前に舞台ミュージカル化された作品の映画版で、ロアルド・ダールの小説のミュージカル版。ロアルド・ダールの作品はブラックユーモアに溢れていて、どの作品も面白い。この作品の主人公は、両親から無視されて育てられた少女だが、図書館の本を片っ端から読んで、小学一年生なのに大人以上に知識を身に着けて成熟している。本人は、正しく生きるべきだとの価値観を持ち、不道徳は避けるべきだと考えるが、父親が詐欺まがいの商売で金儲けするので、いたずらで父親を困らせる。通い始めた小学校では、独裁者のような校長が子供たちを苦しめていたが、正義感の強いマチルダは、超能力を身につけて校長を追放して、子供たちが楽しんで学べる学校に変革する。

ロアルド・ダールの原作なので、映画版も基本的な物語は舞台をなぞっているが、曲は映画向きに若干変更され、映像的に見せる部分が面白く作られていた。悪役の女校長をエマ・トムプソンが演じており、憎らしさがよく出ている。

イギリスの作品なので、いかにもイギリス的な風俗で描かれており、言葉もイギリス英語。なかなか楽しめる作品だった。

映画「ウエスト・サイド・ストーリー」

2022-02-23 11:23:51 | 映画
2月22日(火)の猫の日に、「ウエスト・サイド・ストーリー」を見る。第二次世界大戦以前には、ミュージカルの映画化は2度、3度と行われることもあったが、戦後の舞台ミュージカルで、再映画化されるのは珍しい。それに1961年に作られた映画が飛び切りの傑作だったので、それを超えるような作品が一体作れるのかという疑問も生じる。一方、監督がスティーヴン・スピルバーグだから、きっと面白いに違いない、などと不安と期待の入り混じった気持ちで映画館に向かった。平日の午前中だったこともあり、観客は少なかった。

映画が始まると、1950年代のムードが満載で、お金をかけてきちんと作ったというのが一目で分かった。今回の映画は、大変優れた台本で映画的にもうまく作られているので、2時間半を超える長さだが、全く退屈することもなく、夢中になってみた。すでに何度も見てよく知っている作品だが、新たな感動もあった。それは、前作では見られなかったほど、時代の背景や、若者たちの置かれた状況、各人の性格などが台本に見事に書き込まれていたからだ。

トニーは喧嘩相手を殴り殺しそうになり、1年間服役して仮出所中で違法行為をする人物の接触を禁じられているという設定になっている。また、シャーク団のベルナルドは差別的な社会でのし上がるためにボクサーとして腕を上げているという設定だ。マリアの相手として選ばれたチコは勉学して出世を目指す真面目な青年でシャーク団には入れてもらえない。

そしてトニーを保護しているのは、ドクの店の未亡人ヴァレンティーナで、白人ドクと結婚したプエルトリコ人という設定で、これを演じたのが前作の映画でアニータ役を演じたリタ・モレノだった。ドクとヴァレンティーナの関係は、トニーとマリアの関係も暗示している。そこで、これまでの舞台ではこの役に歌はなかったが、トニーとマリアが歌う「サムホウェア」をリタ・モレノが歌っている。

こうした周到な台本により、今回の映画化は大成功しており、感動をもたらした。

音楽はほぼ昔のままに踏襲されたが、物語との結びつきではいろいろと工夫がなされている。一番感心したのは「クール」の入れ方で、前回の映画化では決闘の後で気を静めるためという設定だったが、今回は舞台版と同じで決闘の前に決闘をやめさせようとする形で挿入された。この場面の振付はジャスティン・ペックだが、素晴らしい振付を見せている。ほかの場面ではジェローム・ロビンスの有名な振付を少し残しつつ簡素化した印象だったが、この場面ではペックの完全な新振り付けで力強い彼の特徴をうまく生かした印象。

ほかにも「マリア」の歌では連呼する「マリア」を、本人を探すための呼びかけととらえて、呼びかけに応じて何人かのマリアが窓から顔を出すのがしゃれている。また、二人の秘密の結婚式は、マンハッタン島最北部の「クロイスター」と呼ばれる中世の修道院を移築した美術館で行われる設定で、ムードにあふれた。また、マリアの歌う「アイ・フィール・プレティ」は夜勤で働くギンベル百貨店の掃除中に歌われる設定で、これもうまいと思った。

こうしてドラマとしては、前作よりも格段と充実したが、歌や踊りはその分簡略な印象。特にプロローグの踊りや体育館でのダンス、「アメリカ」でのダンスなどは、物足りなさがないわけではない。

それでも、トニー・クシュナーの台本、スピルバーグの演出、ペックの振付、ニューヨーク・フィルの演奏、美術、衣装とどれも文句のつけようがなく、見事な傑作だと思った。

すっかり気分が良くなって、お昼は天ぷら屋で食事。春満載の天ぷらを食べた。