劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

日本橋劇場の「お菊さん」

2021-05-30 10:38:19 | オペラ
5月29日(土)の昼に日本橋劇場でアンドレ・メサジュのオペレッタ(オペラ?)「お菊さん」を見る。本来は昨年の今頃の上演が予定されていたのだが、コロナ騒動で中止となり、1年後に50パーセント収容で2回公演となった。

今回も非常事態宣言が出ていたので、本当にやれるのか心配したが、何とか無事に公演が行われてよかった。1年前に電子チケットで買っていたが、1年もたつとスマホ上でうまく表示できず、結局は主催者側で用意してくれた紙チケットで入場した。

主催は「日本橋オペラ研究会」というところだが、こうした公演を自力で実現するのはすごい製作力だと感心した。2013年から活動を開始して最初はワーグナー歌劇の抜粋みたいなことをやっていたようだが、2018年にマスカーニの「イリス」を上演しているので、日本を舞台にしたオペラに興味が出てメサジュの「お菊さん」を取り上げたのだと思う。日本を舞台にした作品ではシドニー・ジョーンズの「ゲイシャ」が有名なので、それも見たい気がする。

メサジュの作品では「ヴェロニク」が有名でヒットした作品だが、この「お菊さん」はパリでは10回しか公演されなかった(プログラムに16回と記載されていいるが誤りだろう)失敗作で、その後もあまり上演されていないので、日本初演となっているが、よくぞこの作品を見せてくれたという感じだ。

内容は、ピエール・ロティの小説のオペレッタ版だが、フランス海軍の将校が長崎に寄港して、芸者「お菊さん」に惚れて「結婚」するが、帰国することになり、「お菊さん」を残して帰国するというもので、のちの「蝶々夫人」とほぼ同じ内容。

プログラムの説明によると、ロティ自身の体験を描いたもので、ロティはその後フランスへ戻って結婚、15年後に再び長崎に滞在するが、その時には「お菊さん」のモデルとなったカネさんは再婚していたので会わなかったらしい。これは作品には出てこないが「蝶々夫人」とよく似た展開。

4幕構成でプロローグとエピローグが付くが、ほとんどカットなしで上演したようでえらいものだ。3幕の途中でバレエが入るところは、能楽の踊りに置き換えていた。日本語上演で日本語で歌ったが、歌詞は日本語で聞き取れない部分もあり、日本語と英語の字幕が出ていた。

オーケストラはピアノにパーカッションが加わり、1か所だけトランペットが入った。珍しい演目を見せてくれたことには感謝だが、歌手のレベルには若干問題があった。経歴を見るとほとんどの人が音楽学校で声楽を学んでおり、それなりに歌っていたが、歌い方の粗さが気になった。特に主役の二人だけでもきちんとした人を配することが望まれる。

演出も専門家がついているのかどうか不明だが、人の動かし方などはもう少し工夫の余地がある。特に4幕の後半の動きは意味不明。エピローグではお菊さんからの手紙を読んだフランス将校は、手紙を投げ捨てるが、これも本来であれば、手紙を握りしめて自分が誤解していたことを悔やみ、お菊さんへの思いを募らせたほうが、余韻が残って良いのではないかという気がした。台本の指定かもしれないが、考える余地があるのではなかろうか。

前半55分、20分の休憩後、75分程度で、4時30分過ぎに終了した。帰りにスーパーで買い物。暑かったのでカレーを作る。キーマカレーと茄子のカレー。タイの香米。トマトとアボガドのサラダピーナッツ・ソース掛け。飲み物はカヴァ。

読響+藤田真央

2021-05-26 11:06:08 | 音楽
5月25日(火)の夜にサントリーホールで読響を聞く。19時開演で、15分間の休憩をはさみ22時55分ごろに終演。50パーセント収容だと思われるが、結構たくさん人が入っていた印象。

曲目はバーバー「悪口学校」序曲と、藤田真央のピアノによるラフマニノフのピアノ協奏曲2番。休憩の後は日本初演と書いてあったハンナ・ケンドールの「スパーク・キャッチャーズ」そしてストラビンスキーのバレエ組曲「火の鳥」。指揮は下野竜也。

当初は同じ曲目で、指揮者もピアニストも海外から招聘する予定だったようだが、コロナで来日できなくなったため、曲目は同じで指揮者とピアニストが代打となった。下野は以前に読響の首席客演指揮者をやっていたとのことで、オーケストラとの息はぴったりと合い、藤田真央のラフマニノフもレパートリーに入っている曲なので、まずは問題ない。

ラフマニノフの2番はよく聞く曲だが、今回改めて聞くと、オーケストラの演奏がなかなかよく、ピアノの独奏に伴奏をつけるというよりも、本当の意味でのピアノとオーケストラの競演になっていて、楽しく聞けた。

後半の最初の「スパーク・キャッチャーズ」は2017年に作曲された作品の日本初演とあった。10分間程度の小品だが、拍子が4拍子から3拍子に変わったり、2拍子になったり、また戻ったりと頻繁に変わる上にシンコペーションも多いので、下野も珍しく拍子を正確に刻むことを優先したような指揮ぶりだった。あまりにもへんてこなリズムが続くので、演奏がずれたりしないかと、聞くほうもハラハラドキドキとしながら聞いているうちに終わってしまった。やはり、何か「新しい」ことをやらないと現代音楽は評価されないのかもしれないが、楽しむのからはちょっと程遠い。終わった後で下野も安心したのか、楽譜を高々と掲げて自慢げに挨拶していた。

最後はストラビンスキーの「火の鳥」これは第一次世界大戦ごろの作品だから今からざっと100年前の作品。当時としては斬新なリズムの音楽だったのだろうが、「スター・キャッチャーズ」の後に聞くと、とても常識的な美しい音楽に聞こえた。「スター・キャッチャーズ」も100年後に聞いた人は、美しい曲だと感じるのだろうかと思いながら聞いた。

家に戻って軽い夕食。サラダ、ソーセージ、イワシのオーブン焼きなど。飲み物はヴァン・ムスー。

新国立劇場の「ドン・カルロ」

2021-05-21 11:07:15 | オペラ
5月20日(木)の夜に新国立劇場でヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」を見る。当初18時30分開演だったが、コロナのために21時までに終了するように要請があったため、開演時間が1時間繰り上がり、17時30分になった。まあ、中止よりも有り難いが、勤め人が仕事を終えてから見るのはちょっと辛い時間帯だろう。実際に平日夜の公演は人気がないらしく、4回公演のうちの3回はマチネーで、ソワレは1回だけ。50パーセント収容でも売れ残りが出たようで、Z券だけでなく、若い人向けの安いチケットが大量に出たようで若者の姿も多かった。

これからを支える若者に格安のチケットを販売するのはとても良いことだとは思うが、余りが出たときにS席を破格の値段で売るのではなく、4階席の一定量を若者向けに格安で最初から販売するほうが良いのではないかという気がする。2万円を超える価格のS席を買っている人には、若者が5千円でS席に座っているのを見るのは複雑な気持ちだろう。

もし、当日に格安で販売するならば、4分の1などではなく、せいぜい半額ぐらいのチケットにしてほしいと思う。これはS席だけでなく、どこの席でも半額で出せばよいような気がする。

さて、今回の公演は4幕版で、5幕版に比べると、最初のブローニュの森でドン・カルロとエリザベッタが出会って恋をする場面が出てこない。まあ、これがなくても話は通じるが、ちょっとわかりにくいかもしれない。話は実話に基づくシラーの長編戯曲のオペラ化で、結構複雑な話なので、事前に物語を頭に入れておいたほうがより理解しやすい。背景になっているのは16世紀のスペインのフィリッポ王の時代であり、フランスとの政略結婚のため、ドン・カルロとエリザベッタが婚約することになるが、途中で話が変わり、エリザベッタは、ドン・カルロの親のフィリッポ王と結婚することになる。この題材は映画などでも描かれている。

今回はカットされている序幕では、ドン・カルロが婚約者エリザベッタの姿を見ようとブローニュの森へ出かけて、そこでエリザベッタと出会い、二人は熱烈に恋をするが、エリザベッタの結婚相手が年老いたフィリッポ王に代わるので、エリザベッタは心を閉ざして王を愛せないし、王は彼女が息子のドン・カルロと通じているのではないかと気に病む。

このメインの物語に、現在はオランダとなっているフランドル地方での圧政で人々が苦しんでいるのを救おうとする話が絡む。これはスペインはイスラムから苦労の末に領土を取り戻したこともあり、ガチガチのカトリックなのに対して、北方のフランドルなどでは新教といわれるプロテスタント系の土地だったので、教会が異端を許さず弾圧していたためで、異端審判をする宗教裁判所が大きな権力を持っていたことも描かれる。

最後はまるで「ドン・ジョバンニ」のように、ドン・カルロは先祖によって墓に引き込まれるが、今回の演出では、見ているだけではわかりにくい演出だった。

テノールはドン・カルロ一人だけで、かっれの友人のロドリーゴがバリトン、そして、フィリッポ王、宗教裁判長、修道士と3人のバス歌手という面白い構成。女性陣もエリザベッタとエボリ公女の二人がソプラノだ。3幕ではバスの二重唱の後にソプラノの二重唱も出てくる。

歌手は突出して素晴らしい人がいるわけではないが、まあまあの水準で、コロナ禍の下、予定の歌手の大半が変更になったことを考えれば健闘したといえる。日本人の男性ではロドリーゴ役の高田智宏がよく声が出ていてよかったが、多少歌い方に荒っぽさがあるので、丁寧に歌えるようになれば飛躍しそうな予感がした。

エリザベッタ役の小林厚子も立派なソプラノで、十分に楽しませてくれた。主役のドン・カルロを演じたジュゼッペ・ジパリは、美しい声のテノールだが、声量の点で今一つで、オーケストラが大音量を出すと負けていた。本当に立派なテノールというのはなかなかいない。

ヴェルディの後期の作品で、中期の傑作ほどメロディアスではないが、金管楽器がこれでもかと活躍してオーケストラの演奏も楽しめる。こういう作品を見ると、やっぱりオペラは楽しいなあと、改めて感じる。

劇場後のレストランはやっていないので、家に帰って食事。サラダ、サラミ、ソーセージ、チーズなどで軽い食事。飲み物はボルドーの白と赤。

日生劇場の「ブロードウェイと銃弾」

2021-05-18 13:28:17 | ミュージカル
久々に日生劇場でミュージカルを見る。ブロードウェイで6年前に上演された作品で、原作はウディ・アレンの映画。これをアレン自身が舞台化した作品。コロナのために、収容率は50パーセントぐらい。観客は見やすい利点もあるが、こうした形態で持続可能性があるのかどうかちょっと心配だ。観客数が少ない割には、休憩時間には女性用洗面所に長蛇の列ができる。昔の日生劇場では男性用の洗面所が結構広かったが、今は女性陣に圧倒されて、男性用はずいぶんと小さくなってしまった。アメリカでの幕間の休憩は15分というのが多いが、日本では洗面所の行列が長いので25分と長い。そのため、6時開演で、25分休憩、終演は8時50分ぐらいだった。

原作の映画のムードとしては、デイモン・ラニヤンの小説の世界の再現で、ニューヨークの与太者、この場合はギャングの愛嬌のある姿が描かれている。ギャングといえばもちろんイタリア系で、出てくるギャングが、「俺の親父もオペラファンだった」みたいなセリフを言うが、こういうセリフがなかなか生きてこずに、リアリティが乏しい。話の内容は面白いのだが、丁寧にエピソードを描きすぎており、最近の作品としては物語の展開のスピード間に欠ける。1時間半の芝居に1時間の音楽を入れ込んだ印象で、ちょっと長いと感じる。要するに芝居と音楽が別々なのだ。

音楽は、最初はオリジナルの音楽を書かせたらしいが、1929年という時代設定に合わないとアレンが感じて、アレンが自分で当時の流行歌を選んで挿入し、新しい詞をつけたようだ。アレンはニューヨークの高級ホテルの酒場で、以前はジャズを演奏していたくらいの音楽好きだから、なかなか良い曲を選んではいるが、なんとなく物語と音楽がしっくりと溶け合っていない印象だ。

スーザン・ストローマンの振り付けも話題になったもので、日本人ダンサーもよく踊ってはいたが、舞台を賑やかにするだけで、ものすごく面白いわけでもなかった。

出演者は女性陣が達者だった。男性陣ではギャングのチーチ役を演じた城田優が演技も歌も良かったが、美しく歌いすぎて歌になるとギャングではなくなってしまうところが惜しい。主役のデビット役を演じた高木雄也は、歌も演技も今一つ。気の弱い悩める劇作家というキャラはなかなか難しい役柄かも知れないが、興行側は客席を埋めるために実力本位ではなく、人気の高そうな役者をキャスティングする傾向があり、今回もそうした欠点が如実に表れた。

実力のある人もどんどんと出てきているので、しっかりとした人で上演してほしいと思った。

家に帰って軽い食事。サラダ、サラミ、トロトロに溶け始めた期限切れのカマンベール・チーズとバゲット。ボルドーの赤。


国立劇場の文楽「生写朝顔話」

2021-05-14 13:37:01 | 文楽
5月13日(木)の昼に国立小劇場で文楽を見る。5月11日までだった緊急事態宣言が延長されたので、てっきり中止かと思ったら、劇場関係は50パーセント収容で再開となり見ることができた。劇場やイベントはOKで、映画館は休業要請、美術館も文科省は開けるといったが、東京都の横槍で休業。大型百貨店は「生活必需品のみ」ということで食料品売り場だけで営業していたのが、我慢しきれなくなって、衣料品やランドセルまで生活必需品だとして営業を拡大している。一体、どこに違いがあって、片や休業で一方はOKなのか、まことに分かりにくい。これでは映画館が怒るのももっともだろう。東京都は、科学的な根拠を示してきっちりと説明してほしいものだ。この説明がないから、皆うんざりとしているのだろう。

それでも、文楽を久しぶりに見れたのはありがたい。「生写朝顔話」は一応の通しになっているが、メインの宿屋の段の前半のチャリ場がカットされていたので、短くてスピーディーな反面、なんとなく気分転換できずに見ることになり、二人の恋人のすれ違いだけが残ってまるでメロドラマという印象だ。今回はコロナのためか3部制になっていて、入れ替え時間をたっぷりと取っているため、公演時間は2時間半程度になっているため、カットせざるを得ないのだろうが、やはり寂しい。早く3部制をやめて2部制にしてほしいものだ。

オペラなどでは、ワーグナーの長時間の楽劇も上演しているのだから、歌舞伎にしろ文楽にしろ3部制にする意味はないのではないかと思う。

3部制になると、人数の少ない太夫も大変そうで、1部は千歳太夫と呂勢太夫、2部は三輪太夫と咲太夫、3部は呂太夫と織太夫で頑張っている。今回見たのは、咲太夫聞きたさに2部だったが、明石浦船別れの段の深雪など、聞いているほうが辛いくらいの出来で、改めて太夫の層の薄さを感じる。この段の三味線は清志郎が支えていたが、このレベルの太夫ではどうにもならない印象。後継者は人形ばかり増えてしまい、太夫が人数的にも少なそうなので、どうにも心配だ。

人形遣いも蓑助が、4月末の大阪公演で引退したと、ロビーに写真が掲げてあった。本来ならば引退記念興行を華々しくやってしかるべきだろうが、大阪は国立文楽劇場がコロナで休業しているので、それもかなわず、残念至極だ。

2時15分開始で、15分間の休憩をはさみ16時半ごろ終了。買い物をして家に帰り食事。テレビの料理番組でやっていた鶏むね肉の衣揚げにオーロラソースをかけて食べた。胸肉にしてはおいしくできた。一緒にスナップエンドウ、玉ねぎ、グレープフルーツのサラダ、レモンドレッシング掛け。ワインはカヴァ。