劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

服部百音のショスタコーヴィッチ

2024-06-30 11:21:42 | 音楽
6月29日(土)の夕方にサントリー・ホールで服部百音のショスタコーヴィッチを聴く。ショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲の1番と2番の演奏会。オーケストラはN響で指揮は井上道義という大豪華な組み合わせ。プログラムに書かれた井上の文章によると、普通は指揮者がソリストを指名するのだが、今回は服部が井上とN響を指名したようだ。

NHK交響楽団演奏会となっていたから、N響の企画かと思ったら主催はサンライズプロモーション東京となっており、N響ではチケットの扱いもなかった。東京で6月29日、大阪で6月30日という2回の公演で、サントリーホールは「売り切れ」となっていた。客層は普段のN響演奏会よりも若干年齢層が若い感じだった。招待席には、小泉元首相や黒柳徹子の姿も見えた。入り口に飾られた花は林官房長官からと、名古屋の宗次ホールからだった。

最初に1番を演奏して、20分の休憩があり後半の開幕はロッシーニの「ブルスキーノ氏」序曲、その後2番という構成。午後4時に始まり、終演は5時55分頃だった。

ショスタコーヴィッチはソ連の作曲家で、スターリン時代に活躍したので、いわゆる社会主義リアリズムの影響を受けているのだろうが、今聞くと、何となくストラヴィンスキーの延長上にいるような気もしないではない。調べると協奏曲の1番は1948年のスターリン時代に書かれており、2番は雪解け後の1967年に書かれているので、スタイルが違っても良いように思うが、続けて聞くと似たような印象なので、自分のスタイルというものを確立しているのだろうという気がする。

服部はショスタコーヴィッチが弾きたいので、同じくショスタコーヴィッチを得意とする井上を指名して実現したコンサートだと思った。特に井上は今年限りでの引退を表明しているので、二人の競演でのショスタコーヴィッチはこれが最後かもしれないという気がした。オーケストラはN響でコンマスはまろさんこと篠崎史紀だったから、現在の日本で聴ける最高のショスタコーヴィッチだったかも知れない。

もともと服部のファンなので、最初の一音からヴァイオリンの音に惹きつけられた。音は力強く、しっかりした音なので、オーケストラのフォルテでもしっかりとヴァイオリンの音が聞こえた。カデンツァの独奏部分も乗りに乗って全身で弾いていたので、弾き終わったらそのまま倒れてしまうのではないかと心配するほどの迫力が感じられた。井上との呼吸もピタリと合い、最高の演奏だった。

前半はブルーの総ラメのドレスで人魚のような雰囲気だったが、後半は深い柴色の中にラメが光るシックなワンショルダーのドレス。故ダイアナ妃の「復讐ドレス」を思い起こした。後半の2番も圧倒的な迫力で、ひきつけられて聴いているうちに終わった。今年の上期のコンサートの締めくくりに、良い演奏を聴いて幸せな気分になった。

弾き終わった服部はふらついていたが、しばらしてやっと平常に戻った感じ。まるで演奏中は何かにとりつかれたかのような、鬼気迫る様子だった。これを翌日、大阪に移動して演奏するのは大変だろう。

以前に盲腸か何かの後、食事がとれなくなり、激やせしたので心配したが、何とかこれだけの大曲を弾けるようになったので、本当に良かった気がする。それでも随分と細かったので、もっとたくさん食べて、しっかりした体になって欲しい。

帰りがけにスーパーで買い物して、家で食事。ほうれん草のお浸し、タコの刺身(ショスタコーヴィッチを聴いたので)、さつま揚げ、冷ややっこなど。飲み物は純米吟醸酒。

マキシム・パスカル指揮の読響

2024-06-29 11:15:14 | 音楽
6月28日(金)の夜にサントリーホールで読響を聴く。仏のマキシム・パスカル指揮。あいにくの大雨で、客席後方は空席も目立った。7時開演で、15分の休憩を挟み、終演は9時5分頃。

曲目は、前半がハイドンの交響曲22番「哲学者」、ヴィバルディの「四季」の「春」部分のギター共演版、そして武満徹の「虹に向かって、パルマ」の3曲。休憩の後はストラビンスキーの「春の祭典」だった。

パスカルの選択なのか、古い作品から現代曲まで、バラエティに富んでいるというか、不思議な組み合わせ。パスカルは長身の細身で、手足が蜘蛛のように長い。指揮棒を使わずに素手で指揮をするが、指も長いので、まるで指揮棒が10本あるかのような指揮ぶりだった。

最初のハイドンは、テンポの変化はあまりないので、長い両腕を存分に使って曲想を付けた感じ。極オーソドックスな演奏だった。ヴィバルディの「春」は村治佳織がギター独奏。弦と一緒にギターが演奏するが、ギターで演奏する必要はあまり感じられない。

武満の「虹に向かって、パルマ」は、村治のギターと北村貴子のオーボエ。北村は読響の団員で、よくイングリッシュホルンなどを吹いているが、今回はオーボエ・ダモーレという、通常のオーボエとイングリッシュホルンの中間の音域の楽器。朝顔のところに膨らみがあり、音がまろやかな印象。武満らしい現代曲だが、美しい響きで、なかなか面白かった。村治はアンコールでビートルズの「イエスタデイ」の変奏曲を3声で弾き、技を見せた。オケとの共演でなく、単独の演奏の方が魅力的。

後半は「春の祭典」で、パスカルが長い両腕を振り回して熱演した。30分を超える曲だが、まったく退屈せずに、思わず引き込まれる演奏。こういう演奏がいつも聞きたいと思った。

演奏会が終わっても雨は降っており、帰りがけにいつものスペインバルで軽い食事。ハモン、トルティージャ、イワシのエスカベッシェ、タコのガリシア風、イカのフリットスなど。飲み物はワイン各種。

チョン・ミョンフン指揮の東京フィル

2024-06-25 11:13:05 | 音楽
6月24日(月)の夜にサントリーホールで、チョン・ミョンフン指揮の東京フィルハーモニーを聞く。曲目はメシアンのトゥランガリーラ交響曲。休憩なしの80分連続だった。場内はほぼ満席。

メシアンのトゥランガリーラ交響曲は、名前は知っていたが聴くのは初めて。100人ぐらいの大編成のオケで、ピアノとオンド・マルトノという初期の鍵盤式電子楽器のソリストが必要なので、あまり演奏の機会がないようだ。今回はピアノは務川慧悟で、オンド・マルトノは原田節だった。

20世紀の代表的な音楽ともいわれているが、実際に聴くと、苦行というよりも拷問に近い音楽だった。最初から不協和音の連続で、気分の良い音楽ではないが、音の大きな打楽器が鳴り通しなのには閉口した。大太鼓、シンバル、銅鑼などが、これでもかというほど連続で鳴り響き、聴いているうちに気分が悪くなった。途中休憩なしで80分連続の理由がわかるような気がする。途中休憩が入ったら、多くの観客は帰ってしまうと思われる。それでも、演奏が終わると熱狂的に「ブラボー!」と叫んでいる人もいたが、本当に良いと思ったのだろうか。それとも、僕が現代音楽が苦手というだけなのだろうか?

10楽章もあるが、静かな楽章は少なく、ほとんどが大音響。これを演奏するのも、指揮するのもさぞや大変だろうと思った。唯一良いと思ったのは務川のピアノで、音が際立ち、粒の立った演奏だった。今度は、まともな曲を聴こうと思った。

聴き終わると、ワーグナーの長大なオペラを聞くよりも疲労感が残り、重い足取りで帰路についた。帰りがけにテイクアウトのすし屋で何品か購入、家で軽く食事した。押しずし、各種の巻物など。飲み物はビールと、吟醸酒。


アーリドラーテ歌劇団の「シチリアの晩鐘」

2024-06-24 14:07:36 | オペラ
6月23日(日)の昼に、新国立中劇場でアーリドラーテ歌劇団の「シチリアの晩鐘」を見る。22日と23日の2回公演でダブルキャスト。ほぼ満席。珍しい演目なので、見に行った。パリオペラ座初演の5幕物グラントペラで、パリオペの流儀に合わせて3幕にバレエが入っているが、バレエを含めての上演はあまりないので、楽しみにしていた。

アーリドラーテ歌劇団というのは今まで知らなかったが、今回が10回目の公演となっている。2011年から原則毎年1回のオペラ公演を実施しており、すべてヴェルディ作品だ。最初は「椿姫」で所沢市民文化センターから始まり、昭和音大のテアトロ・ジーリオ・ショウワ、シアター1010、そして新国立の中劇場となっている。オペラファンとしては、行きなれている新国立劇場だと足が向きやすいと思う。

2回公演の1回目は村上敏明や須藤慎吾が出るベテラン中心の回だが、村上敏明は何度もエネルギー切れでろくに声が出なかったのを見させられたので、今後は絶対に観ないと心に決めており、若い人中心の2回目を見に行った。

最初に5分程度のプレトークがあり、主催者兼指揮者の山下達夫がストーリーを簡単に説明した。プレトークというので、歴史的な背景やヴェルディのこの作品の特徴などを説明するのかと思ったら、物語説明だけだったので、ちょっと驚いた。

出演者はプロのオペラ歌手、オーケストラは寄せ集め、踊りはコンテとクラシックの組み合わせ。衣装は簡単ながら一応そろえてあり、セットはほとんどなかった。合唱団はプロとアマの混在の様子。上演のレベルとしては文京区の区民参加オペラといい勝負だが、音楽的には文京区の方が上かなと思った。

山下達夫は経歴などを読むと現役の弁護士で、弁護士業の傍らヴェルディ好きが高じて歌劇団を作り、自分で製作、上演しているようだ。プログラムによると2回公演が満席になっても赤字らしいので、道楽とは言え、自分で指揮までしてしまうなど、すごいものだと感心した。

物語は13世紀のシチリア島で、フランス系に支配されていたシチリアの住民たちがスペインの支援を受けて反乱を起こし、フランス系住民を多く虐殺した話。フランス人総督の行方不明だった息子アリーゴが反乱に加わり、シチリア系の公爵の娘エレナと恋仲となる話が中心で、アリーゴやエレナの心の葛藤が描かれる。ヴェルディの作品の中では出来が悪いとされているが、聴いてみるとヴェルディ節満載で楽しめる。

序曲は指揮、オケ共に低調で、心配したが、だんだんと調子を上げ、後半になるとなかなか良かった。歌手ではエレナ役のソプラノ中村真紀がよく、そのほかの出演者もそれなりに頑張っていた。合唱団の人数が多いこともあり、群衆処理が難しく、演出に難があったように感じた。簡単な装置を作り、立体的な装置の中で群衆処理したほうが効果的だと思ったが、恐らくは費用の点から断念したのだろう。アメリカなどでは、高校生や大学生の演じるミュージカルでも結構、装置を作っているので、簡単なものや背景幕を準備できないのだろうかという気がした。

バレエは3幕の30分を超えるバレエ「四季」のほか、タランチェラの踊りもあったが、どちらも面白くなかった。コンテもクラシックも10人程度が参加していたが、両方が混在していて、不思議な感じ。昔風にやるならばクラシックバレエで、現代的にしたいならばコンテで統一したほうが良いのではなかろうか。

いろいろと問題がないわけではないが、個人の力でここまでやるとは立派だと感心した。帰りは雨が降っていたので、スーパーで買い物して帰り、家で簡単な食事。サラダ、田舎風パテ、生ハム、サラミ、ブリーなど。飲み物はマンサニーニャとボルドーの赤。

鈴木優人指揮のN響

2024-06-20 10:08:32 | 音楽
6月19日(水)の夜にサントリーホールで、N響を聴く。鈴木優人指揮で、ヴァイオリンのソリストがイザベル・ファウスト。7時開演で、20分の休憩を挟み、終演は9時10分頃。9割程度の入り。

曲目は変な組み合わせで、最初にウェーベルンの「バッサカリア作品1」、続いてシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲。休憩の後、ウェーベルン編曲による「バッハのリチェルカータ」、最後にシューベルトの交響曲第5番。前半は20世紀前半のいわゆる十二音階技法による曲、後半は調性のある作品。なんで、こんな変な組み合わせなのか、理解できなかった。こうしたプログラムを組んだ人が、きちんとその意図を説明すべきだろうが、当日配られたリーフレットには、何も説明がない。プログラムノートは、まったく的外れな説明がなされているので、呆れてしまった。

前半のヴァイオリン協奏曲は、イザベル・ファウストの独奏で、音が美しい。しかし、曲が全く面白くない。あまり演奏されない珍しい曲だが、演奏されない理由がよく分かる。ブラヴォーと叫んでる人もいたが、本当に良かったと思っているのだろうか、疑問に思った。イザベルはアンコールで、イタリアのヴァイオリニストが作曲した小品を弾いたが、繊細で澄んだ、柔らかい音色で、素晴らしい演奏だった。こういう音楽が聴きたいと思った。

後半はバッハのリチェルカータで、ウェーベルンがいじっているが、最後はバッハらしい響きがあり、楽しんだ。メインのシューバルトの交響曲第5番は初めて聞いたが、弦楽器中心で、管楽器は木管とホルンで7本だけ。打楽器もなく全編を通して美しい響きの曲だった。僕の中ではこのシューベルトの美しさを際立たせるために、前半に十二音階の変な曲を聴かせたのだろうと理解した。それにしてもへんてこなプログラムだ。

帰りがけにいつものスペインバルで軽い食事。トルティージャ、ハモン、いわしのエスカベッシェ、サーモンとチーズのパテ、豚ヒレのカツ。飲み物はワイン各種。