劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

トニー賞前の駆け込み新作ミュージカル

2017-03-28 14:28:56 | ミュージカル
6月初旬のトニー賞を前に、駆け込みで新作ミュージカルがオープンしている。そろそろオープンしないと、今年の選考対象から外れてしまうので、駆け込み上演だといえる。

最新の話題としては「チャーリーとチョコレート工場」がある。ロアルド・ダールの有名な小説(チョコレート工場の秘密)のミュージカル版だが、過去に2回程映画化もされている。1回目の映画化はミュージカル版で、「キャンディ・マン」がヒットしたが、確か日本公開はされなかったと記憶している。2度目の映画版はティム・バートンの「チャーリーとチョコレート工場」で、ミュージカルではないが、日本公開されている。

今回のミュージカル版は、1回目の映画版とは関係なく、新しい曲をマーク・シャイマンが書いている。台本はデイヴィッド・グレイグで、主演のウィリー・ウォンカ役は、「何か腐っている」でトニー賞を取ったクリスチャン・ボールが演じることになっている。子供がたくさん出てくるので、それが受けるかどうか。プレヴューは3月28日から、正式な開幕は4月23日と発表された。この作品はロンドンで2013年にオープンして今年の初めまで上演されていたので、それを手直ししたものとなるだろう。

もう一つの新作は、3月23日からプレビューが始まった「アナスタシア」で、4月の24日に正式オープンとされている。僕などは古い世代だから、「アナスタシア」と聞けばイングリッド・バーグマンとユル・ブリナーの出た映画「追想」を思い出すが、作者たちは若い世代だから、アニメ版の映画を見て舞台版を作ろうと思い立ったという。曲はリン・アーレンとスティーヴン・フラハティの二人、台本はテレンス・マクナリーで、主演のアーニャには「マンマ、ミーア」などに出演したクリスティ・アルトメアという布陣。

プレヴュー中で、オープンを待つ作品はもう一つ「化粧の戦い」がある。これは3月7日からプレヴューで、4月6日に開幕予定。ヘレナ・ルビンシュタインとエリザベス・アーデンという二人の化粧品合戦を描いたもので、20世紀前半が舞台。ルビンシュタインにパッティ・ルポン、アーデンにクリスティン・エバーソールという豪華な顔合わせで、個人的にはこれが一番見たい。音楽はスコット・フランケルで、台本はドゥーグ・ライト。プレヴューでの切符の売れ行きは9割ほどで、売り切れてはいない。

さて、今年のトニー賞はどうなるか楽しみだ。

吉右衛門の「伊賀越道中双六」

2017-03-23 20:13:33 | 歌舞伎
23日に国立劇場で「伊賀越道中双六」を観る。国立劇場50周年の最後を飾る作品としての上演だ。2年ほど前に上演して、読売演劇大賞を受けた公演だった。今回は2年前と殆んど同じキャストによる再演だが、「円覚寺」の場面が追加になっている。

「伊賀越」は文楽ではよく出るし、「沼津」は有名だが歌舞伎での「岡崎」はしばらく上演が途絶えていたので、それを復活したことはなるほど意義深いと思う。

「伊賀越」は全十段の長い芝居だが、今回の上演は半分以下の通しで、いわば「遠眼鏡」のチャリ場と「岡崎」に絞った上演だといえる。だから、この場面が面白ければそれはそれで成功だといえるのだが、「円覚寺」を追加したのはどういう意図かと思った。まず、観ていて全く面白くない。それは役者が弱いせいもあるが、股五郎の母の出番を全くカットして単純化した内容だけでなく、チョボも全く入らないような上演であれば、「円覚寺」を入れる意味はあまりないのではないかと思う。

今回の眼目の「岡崎」については、チョボは入るのだが、前半の御簾の中の太夫の語りは全く弱く、力を欠いていた。後半の奥はさすがにエースが登場してしっかりと締めたが、歌舞伎で語る義太夫の質も一定以上のものが求められると思う。

唐木政右衛門役の吉右衛門はさすがにうまいが、体力的には限界で立ち回りを演じるのに体が動かないのは仕方がないと思うが、台詞に力を欠く。しかし、ここぞという時にはきちんと決めていたさすがだと感心した。周りを固めた東蔵、雀右衛門、歌六、又五郎らが、達者な演技を見せる。また、菊之助、米吉の演技もそつがない。

こうして、全体でみると上演の質も高く、岡崎を復活した意義も大きいのだが、「通し狂言」と謳うからには、「沼津」や「饅頭娘」、「伏見船宿」なども合わせて上演してほしいと思う。特に、「岡崎」では政右衛門が自らの子を殺す場面があるので、その前段として「饅頭娘」を入れておくのが良いのではなかったかと思った次第。

「ハーロー」にがっかり

2017-03-20 21:03:22 | 映画
昔見逃していた映画を見る。「ハーロー」という1965年の作品。当時は映画を見始めてはいたが、タイミングが合わずに見逃していた作品。ジーン・ハーローという女優の伝記で、MGMのトーキー初期の女優。僕などはごひいきなのだが、最近はほとんど衛星放送でもやらないので、若い方はご存じないかも知れない。

プラチナ・ブロンドのきれいな髪を持ち、マリリン・モンローのずっと前の1930年代に、セックス・シンボルとして、映画界では有名だった。残念なことに26歳で亡くなったために作品は多くないが、彼女のスキャンダラスな物語を書いた小説を映画化したもの。映画でも出てくるが、清潔感がありながらも性的な魅力に富み、演技はうまいとは言えないがスポンタニティとでもいうのか、天然の魅力を持った女優だった。

極細の「柳眉」をかなり上まで持ち上げて描くのがトレード・マークで、19360年代前半にはこうしたメイクが流行した。彼女を演じるのはブロンド美人のキャロル・ベイカーだが、ベイカーは画面で見るとハーローとあまり似ていない。トレード・マークの柳眉は雰囲気を出そうとしているのだが、うまくいっていないし、ジーン・ハーローの独特のほんわかとした魅力が出ていない。

そこの魅力が出ていないので、がっかりだが、映画としても平板で、ゴードン・ダグラスの演出も全く面白くない。役者は、母親役にアンジェラ・ランズベリー、継父役にラフ・バローネ、エージェントにレッド・バトンズを配しているので、それなりに充実しているのだが、何としても陳腐な作品となった。

唯一の救いは豪華で美しい衣装の数々。これはイーディス・ヘッドだから安心できる。ジーン・ハーローは、最初はハワード・ヒューズに拾われたが、本当の大スターとなったのはMGMでのこと.MGMが「オズの魔法使」を作るときに、フォックス社からシャーリー・テムプルを借りるため、バーターでジーン・ハーローを貸し出そうとしたが、ハーローが亡くなってしまい、テムプルを借りる話は流れて、ジュディ・ガーランドが主演することとなったという話があるくらいだから、当時の大スターだったということがわかる。

当時の映画スタジオの雰囲気が良く出ていて面白いが、ハワード・ヒューズもMGMも実名では出てこない。どうしてだろうと思ってみていたら、パラマウント社の映画だった。どうせならばMGMに作ってほしかった。

東京オペラ・プロデュースの「ラインの妖精」

2017-03-20 09:48:11 | オペラ
歌舞伎や文楽のチケット売り出しは原則として前月だから良いが、オペラは半年や1年前からの売り出しが多く、毎回購入の度に、この舞台を観るまで果たして僕は生きているのだろうかという気持ちになるくらいだ。そうゆうことだから、オペラのチケットが遅くまで売りに出されないと、逆に心配になってしまう。

東京オペラ・プロデュースは、他のカンパニーでは絶対やらないようなレアな作品を上演してくれるので、大変ありがたいが、切符を売るのが大変控えめな態度なので、こちらの方がハラハラする。5月の27日、28日に新国立中劇場で上演される予定の「ラインの妖精」は、気付かないうちにひっそりと売り出しが開始された。

「ラインの妖精」はオペレッタをたくさん書いたジャック・オッフェンバックの書いたオペラ作品で、オッフェンバックのオペラというのは、この「ラインの妖精」と「ホフマン物語」ぐらいしか有名作品はないから、オペラ・プロデュースの前回公演「ベルファゴール」のチラシの裏の予告を見て楽しみにしていた。

そろそろ売り出す時期だはないかと思い、3月に入ってからは東京オペラ・プロデュースのホーム・ページを丹念にチェックしていたのだが、公演の予告さえない。資金面ではいつも苦労している様子なので、もしかしたらお金が集まらずに公演中止になったのではなかろうかと、真剣に心配を始めた。

そうした折に、新国立の「ルチア」を観にいったら、配られたチラシの中に黒一色のいかにもお金をかけていないチラシで、「速報」東京オペラ・プロデュース第100回記念公演として「ラインの妖精」のチラシが入っていたが、予約・お問い合わせは電話でみたいな形で書かれていて、いつから売り出しとも書いていない。

そこでネットで検索してみると、東京オペラ・プロデュースのホーム・ページにはまだ予告さえ出ていない。他でも検索すると、チケット・ぴあで3月20日10時から売り出しとなっていた。電話受付は13時から19時となっていたので、とりあえずチケット・ぴあで購入したのだが、これでは誰もチケット売り出しに気が付かないのではないだろうか。

せっかくのよい企画なので、多くの人に見てほしいと思うのだが、出演者が売りさばいたり、仲間内で観るだけでなく、広く知ってもらうために、ホーム・ページをもっと活用した方が良いと思う。こうした活動を応援したいので、あえて苦言を呈する次第。
恐らく、切符の予約は仲間内で進めているのだろうと思うけれど、「売り出し日」を宣伝することで、観にいく人も背中を押されるので、こうしたイベントはあった方が良いと思った。

中村恩恵の新作ダンス「ベートーヴェン・ソナタ」

2017-03-19 17:27:24 | ダンス
新国立の中劇場で、中村恩恵の新作ダンスを観る。上演時間は休憩25分を入れて2時間10分で、ダンスとしては大作。僕はコンテンポラリー作品は苦手なのであまり観ないが、今回見たのは新国立バレエの米沢唯、小野絢子、本島美和、福岡雄大、伊澤駿といったスター・ダンサーが一堂に揃って踊り、ゲストに首藤康之という豪華メンバーだったからだ。

18日と19日の2回公演で、ベートーヴェンの生涯を女性関係を中心に描いた作品。これだけ長時間の作品だから、プロットがないと観る方はつらいが、プロットといえるほどの展開ではないが、3人の女性をめぐるエピソードを綴ったコラージュ風の作品で、ベートーヴェンの女性関係についてある程度知っている人は、面白く見る事ができるだろう。

逆に言うと、ベートーヴェンのいろいろな女性関係について知識のない人には、このダンスだけ見ていてそれを理解できるだけの構成とはなっていない。配られたパンフレットのプログラム・ノートには、日記や手紙、メイナード・ソロモンの研究から学んで作ったとしか記されていないので、予備知識なしのこの作品を観て、楽しめる人がどのくらいいるのだろう。不親切な事この上ないと思った。

僕もベートーヴェンの曲は聞いたりするが、その生涯、特に女性をめぐるエピソードなど全く研究したこともないので、ちょっと辛いと思った。それでも、1994年に公開されたベートーヴェンの女性関係を描いた映画「不滅の恋 ベートーベン」を観ていたので、ははあ、そういうことかとなんとなく理解した次第。

ベートーヴェンは、生涯結婚しなかったが、結構女性関係は賑やかだったらしい。亡くなったときに「不滅の恋人」にあてた3通の手紙が出てきたので、その恋人とは誰なのかというのが、好事家の格好の議論のテーマになっている。先の映画でも3人の恋人を吟味しているが、この「ベートーヴェン・ソナタ」で描かれた3人の女性は映画とは違う選び方になっている。

最初のジュリエッタは米沢唯が踊る。実際にはピアノの弟子だったらしく、当時は未だ16歳ぐらいで若かったが、ピアノソナタ「月光」は彼女にささげられている。今回もその「月光」で踊る。次の女性はアントニエで小野絢子が踊る。これは弦楽四重奏曲の第7番。恋人ではテレーズ伯爵夫人が有名だが、この作品には登場しない。一幕はアントニエとの恋の破局までで、二幕は弟の妻ヨハンナを本島美和が踊る。ベートーヴェンは弟一家をウィーンに呼び寄せて生活の面倒を見ていたが、弟が亡くなり残された子供カールの後見人になり、カールの引き取りをめぐってヨハンナともめたらしい。しかし、結局ヨハンナとは深い仲になってしまうというのが描かれている。

カールは腕白な遊び人だったようで、自殺未遂事件を起こす。ダンスでもこのシーンは描かれるが、実際には未遂事件であり、亡くなってはいない。最後は交響曲第9番の第四楽章で人生の意義を見出す?みたいな場面があるが、難聴のエピソードが入り最後は弦楽四重奏曲第15番で終わる。ベートーベンの曲は、ほぼ年代順に配置されていて、恐らくは、出てくる女性と密接に結びついているのだろうが、僕の知識ではそこまでわからない。

中劇場の座席を9列目までつぶして、舞台を張り出し、奥行きの深い空間で踊りを創造している。前半は幕を置いて舞台の前半のみを使用して、後半は奥深くまで使用して変化を付けている。美術は白と黒を基本にしたシンプルなもの。音は録音素材が使用されている。

踊のテクニックは、クラシック・バレエを基本としているが、バレエにとととまらずに斬新な動きを取り入れている。男性陣では福岡雄大がベートーヴェン役でよく踊っており、首藤はベートーヴェンの分身で狂言回し役。伊澤はカールといった配役だ。

クラシック・バレエの場合には、マイムと踊りとが分かれていて、マイムがプロットの展開を助けるが、現代作品では古典的なマイムはほとんど使われずに、踊りそのものでプロットの展開を図ろうとするが、なかなか踊りだけで物語を語るのは難しい気がする。その理由は会話やプロットの展開をする踊りと、心象風景を描く踊りとが混在していて、観客に混乱を与えるからだ。

同じような理由から、レチタティーヴォを使った古典的なオペラの方が、レチタティーヴォを廃した20世紀のオペラよりもずっと好きだ。いっそのこと、歌を繋ぐのは台詞にしてオペレッタやミュージカルの形態をとった方が、ずっといろいろと描けるので、ダンスも演劇と一緒にしてマイムだけでなく台詞を大胆に取り入れたらどうだろうか。

今回の公演では、第一幕よりも二幕の方が面白かった。それはダンスの内容なのか、音楽の内容のためなのか、はたまた一幕は空調が弱くて異常に暑かったせいなのか良くわからないが、その三つが原因だと思う。

今回の公演では米沢唯だけがトゥ・シューズでなく、素足(もちろん足裏はカバーしているが)で踊っていたが、これにはどんな演出意図があったのだろうか。有名な古典作品や、だれでも知っているような話であれば、説明は不要で、「見て感じてください」でよいだろうが、今回のような誰も知らないテーマを扱うならば、製作側はきちんと製作意図と、話の内容、選曲のポイントなどを説明した方が良いのではなかろうか。

レストランだって、とにかくうまいから食べろではなくて、食材や調理法の説明を詳しくしてくれる。どんな料理かわからないと、客だってワインが選べないだろう。ソムリエ任せだけでよいわけではない。もっとも和食の料理屋はあまり説明抜きに出して客の知識を試すような店もあるが、もうそういう時代ではないような気がする。

作者自身の製作趣旨と作品解説を聞いてみたいものだ。中村恩恵をロビーで見かけたのだが、さすがにその場で聴くだけの勇気はなかった。ごめんなさい。