劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

東京文化会館の「テノールの饗宴」

2020-06-29 13:50:22 | 音楽
6月28日に東京文化会館大ホールで、「テノールの饗宴」を聴く。15時開演で、20分間の休憩をはさみ、終演は17時5分頃。3月の末にバレエ公演を見て以来なので、3か月ぶりの生舞台。

このコンサートは、過去の東京音楽コンクール入賞のテノール4人が集まって聞かせるコンサートで、当初は5月末に東京文化会館の小ホールで予定されていたのだが、1か月ほど延期されて、会場を大ホールに移して実施された。

政府の指針で、6月19日以降は1000人までの公演で、会場定員の50パーセントまでと制限がついているため、小ホールでの予約チケットは、主催者側により、大ホールの1階と2階の席に自動的に割り付けられて、それでよければお越しくださいという公演だった。

小ホールでは、お気に入りの席があり、そこをとったのだが、大ホールの1階後方に割り付けられてしまい、テノールのソロなので、よく聞こえるかと心配だったが、久しぶりなので聞きに行った。

入口から物々しい雰囲気で、入場に列を作っていた。いつもならば、「間隔を空けずに、前に詰めてお並びください」と案内係が言うが、今回は「間隔を空けて、詰めずにお並びください」と言っていた。

入り口では、サーモカメラによる検温があったので、二人並んでの入場はできずに一人ずつの入場、チケットは入り口の係員が目視で確認後、自分で半券をちぎり、箱の中に入れさせられた。プログラムは机の上に置いてあるので、各自1部ずつ取っていく形だった。係員はみんなマスクだけでなくフェイスシールドまでつけている。こちらだってマスクをしているのだから、そこまでやらなくてもという気がする。

会場内は、前方4列目までは観客を入れずに5列目以降は千鳥格子的な配置となっていた。座れない席には、紙カバーが掛けてある。洗面所に行くと、男性用小便器まで、一つおきにしか使えないようになっているので、ちょっと驚いた。

まあ、それでも久々に生の歌声を聴けたので、それだけでもありがたいと思う。やはり、インターネットでいくら中継があっても生の良さは格別だ。

心配なのは、こうした50パーセントの観客では採算が取れないと思われる点だ。ライブハウスなどとは異なり、クラシックのコンサートや演劇はは、みな席に座って静かに聞いていて、マスクもしているので、100パーセント入れても問題ないように思えるが、政府も早く整理してほしいと思う。

ところで、コンサートの内容は、村上敏明、与儀巧、宮里直樹、小堀雄介の4人が歌う。前半はオペラから2曲ずつ、後半は歌曲やイタリア民謡からで、前半も後半も、トークが10分ほどついた。出演者も3~4か月の舞台で喜んでいた様子。

同じテノールなので、連続して聞くと、声質の違いなどがよくわかって、面白い。一言で言うならば、ベテランの安定感の村上、バランスの与儀、声量の宮里、高音の美しい小堀といった印象。特に小堀は、日本人では珍しい透明感のある声質で、「連帯の娘」からアリアを歌い高音の「C」をたっぷりと聞かせた。

ちょうどよい時刻となったので、帰りはいつものフレンチ・レストランで食事。こちらも久々にディナーの営業。猪肉のクロケットと鴨のコンフィをいただく。ワインはラングドックの赤。やっと日常の生活が戻りつつある気がした。

映画「ホテル・ファデットへようこそ」

2020-06-25 10:56:55 | 映画
衛星放送の録画で、2017年の仏・ベルギー合作映画「ホテル・ファデットへようこそ」を見る。昔からカトリーヌ・ドヌーヴのファンだったので、最近の姿を見ようと思い、見たわけだ。

物語は、一人の中年男性(ジェラール・ドパルデュー)が、金を貯めて自動車修理工場を買おうとしたところから始まる。この男性は、自動車修理工場の支配人みたいなことをしていたのだが、「雇われ」の身分では面白くないので、自分の工場を持ちたいと思ったのだ。

そこで、売りに出ていた小さな町の自動車工場を買うために知らない町へやってくる。工場主と交渉するために、向かいにあったホテル・ファデットに宿をとる。このホテルのオーナーがドヌーヴなのだ。

ドヌーヴは自動車工場の買収の交渉は時間がかかるので、1週間分の前金で払うように求める。男が前金を払うと、ドヌーヴは夕食の注文だけ取って、サービスせずに姿を消して遊びに行ってしまう。残された客たちはおなかを減らしているので、男が冷蔵庫の食品を勝手に調理して皆にサービスする。

ドヌーヴは要するに無責任な女なのだが、美人で魅力的なので男は何となく惚れてしまう。

ドヌーヴはそのあとも無責任な行為を続けて、その後始末は全部、自動車修理工場の中年男が引き受ける。そうして最後には、お互いに相手を必要としていることを認識して、一緒に道を進むことにする。

中年男は、考えようによっては単なるお人よしだが、見ていると何となく幸せな気分になる映画だった。この映画は劇場では未公開で、衛星放送のみでの放映なので、ちょっともったいないなと思った。

映画「ロケットマン」

2020-06-23 10:53:26 | 映画
衛星放送の録画で、2019年の英米合作映画「ロケットマン」を見る。エルトン・ジョンの伝記映画で、題名は1972年のエルトン・ジョンの曲からとられている。火星へ向かう宇宙飛行士の気持ちを歌った曲だ。先日のアメリカのロケット打ち上げでもこの曲が使われていた。

しかし、2~3年前からトランプ大統領が、北朝鮮がミサイルを発射するたびに「ロケットマン」という表現を使っていたので、この題名を見ると何となく北朝鮮を描いた映画のような気がしてしまった。

こうした歌手や作曲家などの伝記映画は、本人が亡くなった後で作られるのが一般的だが、エルトン・ジョンはまだピンピンしているのに作られたことにちょっと驚いた。クレジットを見ていたら、全体監修はエルトン・ジョン自身となっていたので、まあ公式の自伝みたいなものかもしれない。

本人が監修しているのだから、美しいきれいな部分だけ描いたかというとそうでもなく、中心となっているのは、コンサートのプレッシャーから逃げるために、アルコールや薬物に頼り溺れていく部分も描かれているし、同性愛者だということも公表しているので隠していない。

昔の映画では、表現の制約のためもあり、歌手や作曲家の伝記では、その作品を再現して見せることに重点が置かれていたが、最近の映画では、汚い部分も含めて本人の苦悩などが赤裸々に描かれるようになってきて、ドラマとして評価するならともかく、音楽映画としてはあまり面白みがない。

それでも、エルトン・ジョンのコンサートで定番の、ド派手な衣装や眼鏡がふんだんに再現されていて、そこは楽しい。映画での描き方は、レコード会社が、あまり風采の上がらないエルトン・ジョンに対して、何か目立つ格好をするようにと、アドヴァイスしたことになっている。

もう一つは、ピアノの曲弾きの再現で、鍵盤に手を置きながら、飛び上がって体を水平にして弾く場面などが出てくる。これなども撮影で見せているので、それほど迫力があるわけではないが、まあ、どんなものかわかって面白かった。

ピアノの曲弾きといえば、昔のジェリー・E・ルイスなどもすごいピアノを弾いていたので、そんな映画をだれか撮ってくれないかなあという気がした。

エルトン・ジョンの映画は、結局、薬物、アルコール中毒のままではだめになると悟り、セラピーに参加するところで終わる。その後は立ち直って長く活躍を続けていると字幕で紹介される。

まあ、伝記作品は毛工好きなのだが、もう少し、コンサート場面などをきっちりと見せたほうが楽しめる映画になったのではないかという気がした。歌手の伝記映画では、最近はこうした、薬物依存からの立ち直り、同性愛でのトラブル、やくざなどとの金の関係などが多くて、ちょっと見飽きた感じがした。

映画「ギリー・ホプキンスの不機嫌な日常」

2020-06-20 10:47:13 | 映画
衛星放送の録画で2016年のアメリカ映画「ギリー・ホプキンスの不機嫌な日常」を見る。監督はスティーヴン・へレクで、あまり有名な作品を撮っていないが、見るととても良かった。

ギリー・ホプキンスは、小学校高学年の女の子で、母親に捨てられたために里親に預けられるが、どの里親ともうまくいかずに、新しい里親の所へやって来る。誰からも愛情を与えられた経験がなく、母親の思い出に生きていて、何とか母親のもとへ行きたいと願っているので、ほかのことには関心がなく、いつも相手と喧嘩して問題を起こしたりする。いつも不機嫌なのだ。

新しい里親の家では、小さな男の子も引き取っていて、その男の子は少し自閉症的だが、ギリーは彼に意地悪する反面、助けてやったりもする。

新しい学校の担任は黒人教師だが、ギリーの頭が良いのを見抜いて、何とかその才能を引き出そうとするが、なかなか二人はコミュニケーションがうまくいかない。

里親の家では、向かいに住む目の見えない老黒人と一緒に食事をするが、この黒人がなかなかの教養人で家に一杯本を持ち、ギリーがワーズワースの詩集を朗読すると、諳んじて語ったりもする。

転機は里親のバッグから金を盗み、母親に会いに行こうとした時に訪れる。バスに乗る前に見つかって連れ戻されるのだが、その時に里親は体を張ってギリーを守るので、ギリーは初めて愛情を感じる。

里親がインフルエンザに罹ったときにはギリーは、一生懸命家族らの面倒を見るが、ちょうどその時に、ギリーの存在を知った祖母が訪ねてくる。それまで、孫娘がいることを知らなかったのだ。

せっかく、里親と学校の担任の愛情を感じ始めたギリーは、祖母に引き取られる。祖母の家は広大で大金持ちなのだ。祖母はギリーの母親を呼び寄せるが、母はギリーに会いたいのではなく、祖母の金目当てに現れたことを知ったギリーは、抜け出して里親の所に戻る。

最後には、自分に愛情をかけてくれる人が、あちこちにいると知って、彼女は家族と生きていく決心をする。

ちょっとコミカルに仕上げていて、見ていて疲れないのが良い。昔見た「ドライヴィング・ミス・デイジー」にちょっと通いじるものがあるような気がした。

映画「アウトブレイク」

2020-06-13 10:58:48 | 映画
衛星放送の録画で、1995年のアメリカ映画「アウトブレイク」を見る。ウィルス感染の怖さを描いたパニック映画で、題名は「爆発的感染」とでも訳すのだろうか。

現在の世界でコロナ・ウィルスのパンデミックが起きているので、昔の映画でウィルス感染を描いた作品を探したら、たまたまこの映画があったので見てみた。

この映画で扱っているのは、エボラ出血熱ウィルス的なものだ。時期的にも、映画の中で描かれた症状などもエボラを感じさせる。

映画はアフリカでの傭兵部隊に原因不明の伝染病が広まるところから始まる。アメリカ軍が調査にきて、伝染病が流行している村を調査。血液サンプルを採取した後、必要な物資をすぐに届けると言い残してヘリで去るが、すぐにやってきた飛行機が落下していったのは、「気化爆弾」だった。伝染病が広がることを防ぐために、村を焼き払ったのだ。

ここで使われたのが、なぜ気化爆弾なのかというのが若干気になった。気化爆弾は燃料を燃やすような爆弾だから高温を発生するので、それによりウィルスを不活性化させるのかな、などと勝手に考える。

イントロはここで終わるが、アフリカのジャングルで捕らえられた一匹の猿が、実験動物としてアメリカに運び込まれ、その猿が横流しされてペットショップに持ち込まれたことから、問題が発生する。この猿に症状はないが、ウィルスを持っているいたため、猿に接触した人物は次々に発症し始める。

アメリカ軍は患者が発生した村を封鎖して、CDCが調査に来るが、映画館でクラスターが発生して、患者が急激に増えたことがわかる。そのうちに、ウィルスの変異が発生して、接触感染だけでなく空気感染もするようになる。

軍の将軍が、感染を広げないために、人口2600人程度の小さな町を、アフリカの村と同じように「気化爆弾」で浄化しようとする。そんなことは許されないとの議論もあるが、戦死者と思えば少ないものだと将軍が言う。

これに立ち向かったのが、軍の感染研究所のダスティン・ホフマンで、原因となった猿を探し出して、その血液を使って抗ウィルスの血清成分を抽出、それを大規模に合成して、患者を治療して村を救う。

軍の将軍は村の爆破にこだわるが、その理由は、軍内部においてこのウィルスの存在を認識しており、生物兵器としての使用を検討していたのが発覚するのを恐れてのことだったことがわかる。

まあ、ハリウッド映画だから、ハラハラ、ドキドキする見せ場が満載で、それなりに面白いし、ウィルスへの対処方法などはよく調べて書いているという印象。血清による治療などは、今回のコロナ・ウィルスの流行初期段階でも、武漢で試されたというニュースが流れていたので、それを思い出した。

RNAウィルスは変異しやすいので、コロナの場合でもそれが気になる。スペイン風邪の流行でも、第2派や、第3派の流行が半年~1年後に起きたのは、一般的にはウィルスの変異によるものと説明されている。インフルエンザのワクチンにも、型があるように、現在開発中のワクチンも変異が生じると効かなくなる可能性だってある。

それにしても、マスコミ報道で、第2派が心配などと連日のように伝えられるのは、違和感がある。現在の流行は、第1派の残りでしかない。

それでも、武漢でのウィルスと、欧州型のウィルスは異なっているし、細かい変異は毎日のように起きているようなので、注意は必要だろう。