劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

エリアス・グランディ指揮の読響

2024-07-20 11:02:12 | 音楽
7月19日(金)の夜にサントリーホールで、エリアス・グランディ指揮の読響を聴く。7時開演、15分間の休憩を挟み、終演は9時10分頃。約9割の入り。

エリアス・グランディはドイツで活躍する若手指揮者だが、ドイツ人と日本人の両親を持つとプログラムにあった。経歴を見ると、オペラとコンサートの両方で活躍しているようだ。今回のプログラムは、最初に「魔弾の射手」序曲。テンポのメリハリが明確で、若々しい演奏。

続いてアルバニア出身の27歳の女性ピアニスト、マリー=アンジュ・グッチを迎えて、ショパンのピアノ協奏曲1番。散々聞いた曲だが、若い人なので、みずみずしくフレッシュな演奏だった。力強いタッチのピアノ演奏で、オーケストラに負けずに存在感を出した。白っぽい銀色と黒を組み合わせたローブ・デコルテ。アンコールにはラヴェルの左手の協奏曲のカデンツァを弾き、技を見せた。

休憩の後は、ブラームスの交響曲4番。グランディの得意分野なのか、譜面を見ずに指揮していた。まだ、若いせいかダイナミックな指揮ぶりで、テンポも音の強弱もメリハリがある演奏。若さと力強さを感じたが、もう少し熟成感が出るとさらに良くなるかも知れないと感じた。

演奏会が終わってもまだ蒸し暑さが続いていたが、金曜日の夜なので人気店は皆混んでいた。そこで、帰りがけにスーパーで買い物して、家で食事。作っておいたガスパチョ、イタリア産プロッシュート・クルード、ミラノ産のサラミ、くるみパンとゴーダチーズなどを食べる。飲み物はヴァン・ムスー。

シアター・オーブの「天使にラブソングを」

2024-07-18 11:11:47 | ミュージカル
7月17日(水)の夜にシアター・オーブで「天使にラブソングを」を見る。ツアー・カンパニーの来日公演で、同名ヒット映画のミュージカル版。ブロードウェイでの上演は10年以上前なので、ブロードウェイで評判の良かった装置や衣装美術とは異なるが、演出はほぼ踏襲しており、雰囲気はよく伝わった。1幕65分、20分の休憩を挟んで2幕65分。6時の開演で、終演は8時35分頃。ブロードウェイでの休憩は15分が標準だが、日本の劇場では女性トイレに長蛇の列ができるので、20分とる必要があるようだ。観客層は、オペラと比べると圧倒的に若く、老人は少ない。小中学生もいて、空席がないわけではないが、ほぼ満席に近かった。

メインのキャストはデロリス役にニコール・ヴァネッサ・オーティス、修道院長役にメアリー・ガッツィで、二人ともそれほど舞台実績があるわけではないが、立派な歌を披露し、米国の層の厚さを感じた。出演者はみな達者で感心したが、一番良かったのはアラン・メンケンの歌だ。伝統的なミュージカルの手法を使いつつ、70年代末のディスコ調の曲や、50年代風のドゥーワップ、などを織り交ぜて、多様な曲調で書いている。

台本もよくできており、原作とは少し異なるが、うまく省略して、原作の持ち味を活かしつつ舞台化している。修道院が舞台になっているので、何となく「サウンド・オブ・ミュージック」に似た雰囲気の曲が多く、「ドレミの歌」「私のお気に入り」「すべての山に登れ」などと同じ曲想の曲があった。修道院長とドロレスが二重唱で歌う場面は、音楽が美しく、伝統的なオペラの延長線上にあることを感じさせた。

修道女たちとギャングの追っかけは、たくさんの扉を並べて、出たり入ったりする伝統的な喜劇風の演出だが、この場面の音楽には「ピンク・パンサー」調の曲が使わっれていた。

深みのある作品ではないが、毒のない無害な娯楽としてはよくできており、一晩の楽しみには最高。一点だけ、オーケストラが生演奏ではなかった点が気になった。

帰りがけにいつものスペインバルで、軽い食事。生ハム、トルティージャ、サラミとチョリソー、生ハムのクリームコロッケ、ポテトサラダ、イカのフリットスなど。飲み物はワイン各種。

新国立劇場の「トスカ」

2024-07-11 13:56:27 | オペラ
7月10日(水)の昼に、新国立劇場でプッチーニのオペラ「トスカ」を見る。平日の昼の公演だが、ほぼ満席で人気の高い演目。2時に開演で、25分間の休憩2回を挟み、終演は5時過ぎ。高校生から年金生活者まで幅広い客層だった。

新国立の演目では、ゼフレッリの演出した「アイーダ」と、ゼフレッリの弟子にあたるアントネッロ・マダウ=ディアツ演出による「トスカ」は豪華な舞台で、宝ともいえる存在。いつまでもこの演出を守って欲しい。美術が素晴らしく、1幕最後の「テ・デウム」で大司教や衛兵、侍女を引き連れた王妃などが大勢並ぶ場面はまさにオペラの醍醐味といってよい。2幕のスカルピアの宮殿内の執務室、3幕のサンタンジェロ城と、どれも美しく仕上がっている。

今回はマウリツィオ・ベニーニという、一流の指揮者を迎え、東京フィルが演奏したので、オケも素晴らしかった。主役のトスカとカラヴァドッシは来日組で、ルーマニア出身のテノールのテオドール・イリンカイは、1幕最初の「妙なる調和」は若干不安定だったが、どんどんと調子を上げて、3幕の「星に光りぬ」では素晴らしい歌唱を聴かせた。トスカ役のレバノン出身のソプラノ、ジョイス・エル=コーリーは美しい声で、2幕の「歌に生き、恋に生き」を見事に歌い切った。

敵役のスカルピオ歌手の来日がなくなり、代役で日本人の青山貴が歌った。心配していたが、演技、歌共に立派で感心した。高校生のためのオペラ教室というのがこの時期に予定されており、そこでの出演が予定されていたので、きちんと練習していたようだ。歌の迫力では来日組に及ばない点もあったが、まずは立派な代役だった。他には、1幕しか出ないがアンジェロッティを妻屋氏が演じていた。

この演出で何度も見ているが、何度見ても見飽きず楽しめる。読み替え演出などは、1回見ればもう見たくないと思うのが常だが、こうしたオーセンティックな演出は、見飽きないので、大事にして欲しいし、こうしたレパートリーを増やして欲しいと思う。

帰りがけにスーパーで買い物して、家で軽い食事。サラダ、生ハム、サラミ、くるみパンとチュダー・チーズなど。飲み物はクワントローとカヴァ。


松本和将のショパン

2024-07-10 10:45:04 | 音楽
7月9日の夜にプリモ音楽工房で、松本和将のピアノを聴く。30人しか入れない小さなホールで、ほぼ満席。オンラインでの視聴者が多いらしい。小さな子供から高齢者まで、幅広い客層。7時に始まり、15分間の休憩を挟んで、終演は9時だった。

プログラムは、オール・ショパン。松本氏が今秋にショパンの演奏会を予定していることもあり、曲目は異なるが、オール・ショパンとなったようだ。前半は「幻想曲」「バラード2番」「ソナタ2番葬送」、休憩の後「子犬のワルツ」「ワルツ7番」「スケルツォ4番」「舟歌」「ノクターン18番」「幻想ポロネーズ」と盛沢山だった。

松本氏は精神を集中させるためか、無言で演奏を続けて、すべてを弾き終わった後で、簡単な挨拶と曲目の解説を行った。ショパンというと何となく抒情的で美しい曲という感覚だったが、松本氏の弾くショパンは骨太で力強い響きがした。ショパンがこんなに力強い響きがするとは今まで、思ったこともなかったので、少し驚いた。

前半からしっかりとした曲が続いたので、後半の最初にワルツが入って気分転換した後、一挙に幻想ポロネーズまで、圧倒的な迫力で続けた。最後の「幻想ポロネーズ」は精神性の強さを感じる演奏だった。

久々に迫力のあるショパンを聴いて大満足で帰る。帰りがけに、いつものスペインバルで軽い食事。生ハム、オムレツ、ポテトサラダ、田舎風パテ、塩だらのローマ風天ぷらなどを食べる。ワイン各種。

新国立劇場の「デカローグ」

2024-07-07 11:14:57 | 演劇
7月6日(土)の昼と夜に、演劇「デカローグ」の7~10を見る。これまでに1~6は見て来たので、後半の四本。モーゼの「十誡」に基づいて1989年当時のポーランドを描くテレビ映画の舞台化で、1作品は55分~60分程度になっている。昼に7と8を、夜に9と10を見た。昼の部は9割を超える入りだったが、夜の部は7割程度。客層は20代から60代まで多様で、男女の数もほぼ同じくらい。オペラやバレエと異なり、圧倒的に一人客が多い。お友達は、演劇には付き合ってくれないのかなあと思う。

モーゼの十誡は、前半の半分は信仰に関することで、後半の半分は道徳的な内容なので、今回の7~10は道徳的な内容がテーマだった。前半は十誡の順番とは異なったが、後半はほぼ十誡の順序と同じ順番だった。「デカローグ」とは「十誡」のことであり、各物語はそれぞれのテーマに沿っているので、それを知るととても面白いと思うのに、プログラムにもどこにも、十誡との関係を論じていないので損をしている。聖書学者が十誡の解説はしているが、この作品との関係はほとんど論じられていない。これでは見る人にとって不親切だろう。

7話の「ある告白に関する物語」は、娘二人と一緒に暮らす中年夫婦の物語。娘は22歳と6歳だが、下の娘は上の娘が16歳の時に生んだ子供を、祖母が「娘」として育てていた。しかし、祖母がその娘を溺愛し、娘もなついていたので、本当は母にあたる上の娘は、自分の子供を奪われたような気になって、両親から逃れようとする。16歳当時関係した元国語教師の助けを求めるが、結局はうまく行かない。これは「姦淫するなかれ」に基づく。

8話の「ある過去に関する話」は、大学で倫理学を教える中年女性を尋ねて、彼女の著書を米国で翻訳している若い女性大学教授がやって来る。そして1943年当時のワルシャワで、当時6歳だったユダヤ系の少女を匿うため、カトリックの洗礼を受けるために代父母を務める予定だった夫婦が、その当日に代父母を断ったのは、倫理的に問題ではなかったのかを問う。米国の翻訳者はその6歳の少女であり、倫理学の教授は断った夫婦の妻だったのだ。米国から来た翻訳者の女性は、その後ずっと「なぜその時に裏切られたのか」を疑問に感じて生きてきたのだ。もしかしたら、「偽証をしてはいけない」という教えを守ろうとしたのか、と思い悩んできたのだ。倫理学の教授は、当時のレジスタンスの活動家で、その少女を匿うとした家族が、当局のスパイであり、レジスタンスの組織が危険にさらされることを恐れて断ったと話し、二人は理解し合うことができる。

9話の「ある孤独に関する物語」は、性的に不能で治らないと知らされた男が、友人から離婚を進められる。妻はそんな彼に優しく接していたが、実は大学生と浮気していた。それに気づいた男は自暴自棄となり、妻は男子大学生との関係を清算するが、男は自殺を図る。「これは隣人の妻を欲してはいけない」に相当する。

10話の「ある希望に関する物語」は、会社員の兄とロックバンドをやっている弟の父親が亡くなり、その父親のアパートを尋ねると、膨大な切手コレクションを発見する。二人には価値が分からなかったが、専門家の話を聞くと、ポーランドでは並ぶものがないほどの貴重なコレクションだとわかり、兄弟はそのコレクションを守ろうとする。中でも貴重な3枚組の切手のうち、2枚を集めて1枚が手に入らないまま亡くなった父親の遺志を継ぎ、二人は何とか残りの1枚を手に入れようとする。それを持つ蒐集家は、金では売らず、他の貴重な切手との交換を求めていることを知る。そして、その交換用の切手を手に入れるため、兄は腎臓の一つを提供して残りの1枚を手に入れた。しかし、父親のアパートは、何者かに荒らされ、コレクションはすべて盗まれているのだった。これは「隣人の財産を欲してはならない」に基づく。

どれも、映画的な作品なので、舞台化には苦労が伴っただろうが、うまく舞台化されていた。特に10話などは、O・ヘンリーの短編を読むような面白さ感じた。出演者は概ねキチンと演じていたが、9話では、舞台的な訓練がうまくできておらず、台詞が聞き取りにくい出演者もいた。

午後1時から見始めて、終了したのは、午後7時50分頃。帰宅の途中で、天丼を食べて帰る。