イギリス映画「奇跡がくれた数式」を観る。インド出身の天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンの伝記映画。2015年製作で主演はマリーゴールド・ホテル・シリーズに出ていたデーヴ・パテール。原題は「ザ・マン・フ―・ニュー・インフィニティ」なので「無限を知っていた男」とでも訳すのか。
僕は数学は専門ではなくて知らなかったのだが、ラヌマジャンは整数論みたいな分野で天才的な仕事をしたようだ。映画では英国へ渡るところぐらいから始まるが、生い立ちを調べてみると、バラモン階級の出身者なのでカーストは一番上の方だが、貧乏で苦労したようだ。奨学金を得て大学へ進んだものの、数学ばかりを勉強して他のことはまるでダメだったので、卒業できなかったという。
独学で研究を進めて、勧めによってケンブリッジ大学の教授に手紙で研究内容を知らせると、イギリスに呼び寄せられて、一緒に研究することになる。天才肌で、いろいろな法則性や公式を直観により表現してしまい、経過の説明や証明がないので、学会でなかなか認められないのを、イギリス人の教授が助ける。
彼が英国へ渡ったのが、ちょうど第一次世界大戦がはじまったときだったので、食料事情が悪く、厳格な採食主義者だった彼は栄養を取れずに病気となってしまう。映画では出てこないがバラモンの出身なので、厳格な採食主義で宗教的にも信心深い。
イギリス人の教授は証明の大切さを教えて、何とか彼に証明付きで公式を発表させようとするが、彼は公式は自明であり、正しいのだからどうして証明をしなければならないのか、理解に苦しむ。結局、第一次世界大戦後に故郷インドに帰るが、やはり体調が戻らずに、早世してしまう。
伝記に忠実だが、ドラマとしての盛り上がりにはもう一つ欠けるかも知れない。映画の中でいろいろと数式が出てきたり、公式の話が出てくるので、数学が苦手な人はうんざりするかも知れない。
それでも、少ない理解者が彼を助けて、何とか世に出そうと努力する姿は、頑固なイギリス人的な良い面が出ていて、興味深い。イギリス人が、「どのようにしてそうした公式を得るのか」と質問すると、ラマヌジャンは「インドの女神がそっと教えてくれる」と答える。イギリス人の教授は、結婚もせず、神も信じていない偏屈物で、「マイ・フェア・フェディ」に出てくるヒギンズ教授にちょっと似たムードだ。
邦題は「奇跡がくれた」となっていて、「奇跡」を擬人化した表現になっているところがどうも引っかかる。映画の中の台詞からとって「女神のくれた数式」ぐらいの方が良いのではないかと思った。
僕は数学は専門ではなくて知らなかったのだが、ラヌマジャンは整数論みたいな分野で天才的な仕事をしたようだ。映画では英国へ渡るところぐらいから始まるが、生い立ちを調べてみると、バラモン階級の出身者なのでカーストは一番上の方だが、貧乏で苦労したようだ。奨学金を得て大学へ進んだものの、数学ばかりを勉強して他のことはまるでダメだったので、卒業できなかったという。
独学で研究を進めて、勧めによってケンブリッジ大学の教授に手紙で研究内容を知らせると、イギリスに呼び寄せられて、一緒に研究することになる。天才肌で、いろいろな法則性や公式を直観により表現してしまい、経過の説明や証明がないので、学会でなかなか認められないのを、イギリス人の教授が助ける。
彼が英国へ渡ったのが、ちょうど第一次世界大戦がはじまったときだったので、食料事情が悪く、厳格な採食主義者だった彼は栄養を取れずに病気となってしまう。映画では出てこないがバラモンの出身なので、厳格な採食主義で宗教的にも信心深い。
イギリス人の教授は証明の大切さを教えて、何とか彼に証明付きで公式を発表させようとするが、彼は公式は自明であり、正しいのだからどうして証明をしなければならないのか、理解に苦しむ。結局、第一次世界大戦後に故郷インドに帰るが、やはり体調が戻らずに、早世してしまう。
伝記に忠実だが、ドラマとしての盛り上がりにはもう一つ欠けるかも知れない。映画の中でいろいろと数式が出てきたり、公式の話が出てくるので、数学が苦手な人はうんざりするかも知れない。
それでも、少ない理解者が彼を助けて、何とか世に出そうと努力する姿は、頑固なイギリス人的な良い面が出ていて、興味深い。イギリス人が、「どのようにしてそうした公式を得るのか」と質問すると、ラマヌジャンは「インドの女神がそっと教えてくれる」と答える。イギリス人の教授は、結婚もせず、神も信じていない偏屈物で、「マイ・フェア・フェディ」に出てくるヒギンズ教授にちょっと似たムードだ。
邦題は「奇跡がくれた」となっていて、「奇跡」を擬人化した表現になっているところがどうも引っかかる。映画の中の台詞からとって「女神のくれた数式」ぐらいの方が良いのではないかと思った。