劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

N響コンサート

2022-02-25 15:48:31 | 音楽
2月24日(木)の夜に東京芸術劇場でN響のコンサートを聴く。都民芸術フェスティバルの一環で、料金が格安なこともあり、ほぼ満席だった。オーケストラによって入りがかなり異なるので、N響は満席だということは人気が高いことを表している。観客はいつもより男性の高齢者が多い印象。珍しく男性用トイレが長蛇の列になっていた。N響の演奏者は男性比率が高いが、聴衆も男性が多い印象。

演目は最初にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲で、南紫音の独奏。指揮は高関健。休憩の後は高関の指揮によるブラームスの交響曲1番という、ポピュラーなもの。

南紫音のヴァイオリンは初めて聞いたが、音色も落ち着いており、音楽性も豊かで楽しめた。後半の高関のブラームスも長い曲をダレずに聞かせた。おまけに、ブラームスのハンガリアン舞曲1番もアンコールでやったので、サービス精神旺盛だと感心した。コンマスの篠崎史紀が音色を響かせる個所はやはり美しい音色だと感心をした。

都民フェスでは珍しく、終演が9時を過ぎ、家にそのまま帰って軽い食事。前日の残り物が中心で、変なメニューになったが、数の子、かんぴょうの煮物、キャベツサラダ、小籠包など。日本酒の大吟醸を飲む。

映画「ウエスト・サイド・ストーリー」

2022-02-23 11:23:51 | 映画
2月22日(火)の猫の日に、「ウエスト・サイド・ストーリー」を見る。第二次世界大戦以前には、ミュージカルの映画化は2度、3度と行われることもあったが、戦後の舞台ミュージカルで、再映画化されるのは珍しい。それに1961年に作られた映画が飛び切りの傑作だったので、それを超えるような作品が一体作れるのかという疑問も生じる。一方、監督がスティーヴン・スピルバーグだから、きっと面白いに違いない、などと不安と期待の入り混じった気持ちで映画館に向かった。平日の午前中だったこともあり、観客は少なかった。

映画が始まると、1950年代のムードが満載で、お金をかけてきちんと作ったというのが一目で分かった。今回の映画は、大変優れた台本で映画的にもうまく作られているので、2時間半を超える長さだが、全く退屈することもなく、夢中になってみた。すでに何度も見てよく知っている作品だが、新たな感動もあった。それは、前作では見られなかったほど、時代の背景や、若者たちの置かれた状況、各人の性格などが台本に見事に書き込まれていたからだ。

トニーは喧嘩相手を殴り殺しそうになり、1年間服役して仮出所中で違法行為をする人物の接触を禁じられているという設定になっている。また、シャーク団のベルナルドは差別的な社会でのし上がるためにボクサーとして腕を上げているという設定だ。マリアの相手として選ばれたチコは勉学して出世を目指す真面目な青年でシャーク団には入れてもらえない。

そしてトニーを保護しているのは、ドクの店の未亡人ヴァレンティーナで、白人ドクと結婚したプエルトリコ人という設定で、これを演じたのが前作の映画でアニータ役を演じたリタ・モレノだった。ドクとヴァレンティーナの関係は、トニーとマリアの関係も暗示している。そこで、これまでの舞台ではこの役に歌はなかったが、トニーとマリアが歌う「サムホウェア」をリタ・モレノが歌っている。

こうした周到な台本により、今回の映画化は大成功しており、感動をもたらした。

音楽はほぼ昔のままに踏襲されたが、物語との結びつきではいろいろと工夫がなされている。一番感心したのは「クール」の入れ方で、前回の映画化では決闘の後で気を静めるためという設定だったが、今回は舞台版と同じで決闘の前に決闘をやめさせようとする形で挿入された。この場面の振付はジャスティン・ペックだが、素晴らしい振付を見せている。ほかの場面ではジェローム・ロビンスの有名な振付を少し残しつつ簡素化した印象だったが、この場面ではペックの完全な新振り付けで力強い彼の特徴をうまく生かした印象。

ほかにも「マリア」の歌では連呼する「マリア」を、本人を探すための呼びかけととらえて、呼びかけに応じて何人かのマリアが窓から顔を出すのがしゃれている。また、二人の秘密の結婚式は、マンハッタン島最北部の「クロイスター」と呼ばれる中世の修道院を移築した美術館で行われる設定で、ムードにあふれた。また、マリアの歌う「アイ・フィール・プレティ」は夜勤で働くギンベル百貨店の掃除中に歌われる設定で、これもうまいと思った。

こうしてドラマとしては、前作よりも格段と充実したが、歌や踊りはその分簡略な印象。特にプロローグの踊りや体育館でのダンス、「アメリカ」でのダンスなどは、物足りなさがないわけではない。

それでも、トニー・クシュナーの台本、スピルバーグの演出、ペックの振付、ニューヨーク・フィルの演奏、美術、衣装とどれも文句のつけようがなく、見事な傑作だと思った。

すっかり気分が良くなって、お昼は天ぷら屋で食事。春満載の天ぷらを食べた。

ミスター・シンデレラ

2022-02-21 13:47:21 | オペラ
2月20日(日)の昼に新宿文化センターで、「日本オペラ協会」のオペラ「ミスター・シンデレラ」を見る。観客は5~6割といったところ。日本オペラ協会というのはよく知らないが、藤原歌劇団と同じホームページだから、藤原歌劇団の別動隊かもしれない。この団体は日本の創作オペラをよく取り上げているが、今回も高木達の台本・演出、伊藤庸英の作曲・音楽監修による作品。

チラシの説明では、2001年に鹿児島オペラ協会の委嘱作品として初演され、好評で東京でも何回か上演されたようだ。高木氏は青年座の文芸部、伊藤氏は様々なジャンルの曲を書いている作曲家。作品は鹿児島の雰囲気を盛り立てるような地元ネタ満載で、ひと昔前のアチャラカ喜劇風。新宿文化センターではなく、鹿児島市民会館で見ているような気分になった。

物語は鹿児島の大学を背景に展開される。冴えない男でミジンコ研究に夢中になっている夫を持つ女性研究者が、夫にうんざりして、新たに着任したハンサムで独身の学長の惚れるが、最後は夫とよりを戻すという話。冴えない夫はビタミン剤と間違えて、女王蜂の性ホルモンを飲み、潮の満ち引きに合わせて、絶世の美女となったり元の冴えない男に戻ったりする。絶世の美女となった時に、新学長を誘惑、新学長とベッドにいる姿を妻に見せつけて、妻の気持ちを戻そうとする。この話にひと昔前の価値観を持つ、男の両親が絡む。

「ジキルとハイド」みたいな話だが、新学長は求められて、男に戻る薬を作るが、女に転換する薬も同時に作り、どちらを飲むか男に迫るのがクライマックスとなる。

つまらない作品ではないが、台本の整理が悪く損をしている。前半の一幕が背景説明に終始した感じで、物語の展開がなく単調。後半は物語が進み「寝室喜劇」風の展開になるが、もう一歩の突込みが欲しい。冴えない夫とその妻、そして新学長のほか、男の両親が寝室で鉢合わせする展開だが、もう一組ぐらいが出入りして混乱させると、さらに面白い喜劇になると思う。

どちらの薬を飲むかというくだりでは、男に戻る薬を選択した後で暗転となるが、どちらを選択したかわからないように暗転させたほうが、面白いと思う。

歌については、親しみやすさを重視してか、民謡や有名な歌曲などを取り入れているが、1幕の研究室コンパの場面は「オペラ座の怪人」の「マスカレード」を使っていたので、ちょっと驚いた。こうしたいろいろな曲を使ったために、全体としての音楽的な統一感が失われた感があった。もちろん「蝶々夫人」だって日本の旋律を取り入れてうまくやっているので、要はやり方だという気がする。

説明的な歌が多いのも気になった。女性に変身した男性が、なぜ学長を誘惑するのかということを延々と説明する歌があるが、こうした説明は、だれかと相談するような形で会話などにしないと、興をそがれる。むしろ、女性になる苦悩を独白するような歌があったほうが良いという気がする。

最後の、どちらの薬を飲むかという場面は、4重唱となっているが、これに両親も加わって6重賞にしてほしい感じがする。どちらの薬を飲むかという苦悩も良いが、「絶世の美女になれるならば自分が飲みたい」という妻や母親が出てくる展開もありではないのかという気がした。

これで終わりにせずに、台本を持って練り上げれば、だんだんと良い作品にできるのではないかと思う。

オーケストラは40人編成ぐらいの東京フィルで、指揮者は大勝秀哉。音が立派すぎて歌手が負けていた。経験の浅い歌手が中心なので、オーケストラは30人以下の編成にしたほうが、声がよく聞こえてよいのではないかという気がする。

4時半ごろに終演したので、スーパーで買い物して帰り、家で食事。サラダ、ニンジンのスープ、ラムのソテー。シラー・ベースの赤。

サントリー・ホールのN響

2022-02-18 14:33:07 | 音楽
2月17日(木)の夜にサントリー・ホールでN響を聴く。コロナのためか、入りは薄く6割程度。プログラムは英米物で、最初がブリテンの「ピーター・グライムス」から「四つの海の間奏曲」、続いてバーバーのヴァイオリン協奏曲作品14。休憩後にエルガーの変奏曲「謎」。当初はパーヴォ・ヤルヴィ指揮、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの予定だったが、コロナのために来日できず、尾高忠明指揮で金川真弓のヴァイオリンとなった。

指揮者は代わったが、尾高は英国の音楽が得意なので、順当な人選。エルガーの変奏曲「謎」は聴きごたえがあった。

金川のヴァイオリンは温かみのある音色で、バーバーの協奏曲もなかなか聞かせた。使っている楽器はドイツ国家楽器基金から貸し出された17世紀後期のグァルネリだという。ドイツが拠点なのだろう。力強い響きだが、心地よい音色で感心した。

家に帰っての食事。サラダ、ソーセージ、イワシオイル漬けのオーブン焼き、マフィンなど。飲み物はヴァン・ムスー。

小林壱成のヴァイオリン・コンサート

2022-02-17 11:15:35 | 音楽
2月16日(水)の夜に紀尾井ホールで小林壱成のヴァイオリン・コンサートを聴く。紀尾井ホールの「明日への扉」シリーズで企画されたコンサートで、これから有望な新人を紹介するシリーズだ。昨年の4月に予定されていたが、コロナで2回も延期となり、やっと今回10か月遅れで実現した。その間に小林は東京交響楽団のコンマスになったので、もう新人ではなくなってしまった感がある。コロナのためか、日程変更が2回もあったためか、寒かったためかわからないが、会場は半分ぐらいしか埋まっていなかった。

プログラムは、シマノフスキーの「ノクターンとタランテラ」、ショーソンの「詩曲」、サンサーンスの「ヴァイオリン・ソナタ1番」、休憩の後にピアソラの「ル・グラン・タンゴ」とプロコフィエフの「ヴァイオリン・ソナタ1番」。アンコールはピアソラの「タンゴの歴史」だった。昨年の企画で、サンサーンスの没後100年記念、ピアソラの生誕100年記念のプログラムとしていたが、年が変わったので、1年ずれてしまった。

どの曲もメランコリックな感じで、変化があまり感じられない。伴奏のピアノは小澤佳永で、ピアノが元気な音を響かせる割には、ヴァイオリンは繊細な細い音なので、バランスが崩れているようにも感じられた。ピアソラで変化をつけたプログラムかもしれないが、聴いていると確かにピアソラ節なのだが、どうもタンゴらしいリズムに聞こえない。ピアソラの曲はもともとタンゴらしくないのだが、ピアノもヴァイオリンもどうもムードの出ない印象だった。

寒いのをこらえてまっすぐ家に帰り、簡単な食事。キャベツのサラダ。焼き豚、ツナペースト、マフィン、ブルゴーニュのシャルドネなど。