劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

ニコラス・ケイジの「あなたに降る夢」

2017-10-31 13:51:55 | 映画
衛星放送で1994年の映画「あなたに降る夢」を観る。同じニコラス・ケイジの「月の輝く夜に」が結構好きなので、同じような路線だろうと考えて観た。原題名は「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユウ」で(あなたにも起こるかも知れない出来事)という意味。

ニコラス・ケイジの貧乏警官が、宝くじ(ロット)で大金を当てて、その宝くじをチップで渡すと約束した食堂のウェイトレスとの約束を守って、賞金を渡す。ウェイトレスはそれを元手に自分の食堂を持ち、警官は金遣いの荒い自分の妻に嫌気がさして、二人は当然に恋に落ちる、嫉妬した警官の妻が裁判で訴得るので、警官は賞金を巻き上げられてしまうが、ウェイトレスと警官の優しさが新聞で報道されて、寄付が集まり、新しい食堂を続けることができる、という内容。

ロマンティック・コメディで、しっとりとした、心温まる内容なので、監督も役者もそれほど良いというわけだはないが、安心して、理屈抜きに楽しめる映画。

映画の最後に、「実話に触発されて作られた」となっていたので、本当にこんな話だったのか調べてみると、ヨンカースにあるピザ屋のウェイトレスと、その店の行きつけの警官が共同で宝くじを買って、分け合ったという実話らしい。

しかし、二人の間にロマンスが芽生えるというのは映画向けの脚色で、実際の二人は別のパートナーと結婚して生活しているようだ。

二人の話が有名になったのは、大衆紙ニューヨーク・ポストが大々的に報道したからのようだ。

アメリカにおける警官というのは、なんとなくアイルランド系の貧乏な移民みたいなイメージだろうし、ウェイトレスというのも、何も手に職がない女性が簡単に雇ってもらえることから「とうとう、ウェイトレスになっちゃった」みたいなイメージがあるのではないか。

現在ブロードウェイでヒット中の「ウェイトレス」というミュージカルも、そうした職業観があるということを前提に観たほうが良いかも知れない。

この作品の最後では、大勢からの善意の寄付がどんどんと届くという場面だが、なんとなくサンタクロースを描いた「34丁目の奇跡」に似ていると感じたのは僕だけだろうか。

この映画の良いのは、宝くじに当たるという幸運が「あなたにも起こる」ということではなく、正直な優しさが人々に通じて多くの人からの愛の手紙が届くというのが「あなたにも起こる」と感じさせてくれることだろう。




面白い歴史書「ドイツ史10講」

2017-10-30 12:58:35 | 読書
同じシリーズの「イギリス史10講」が結構分かりやすかったので、岩波新書の「ドイツ史10講」も読んでみた。酒井榮八郎著。230ページ程度の小著だが、たいへん判りやすい。全体が10講に分かれてはいるが、古代から現在までの通史となっている。

これだけ長い間の話を、わずか230ページに纏めるとなると、個別の事項について詳しく説明することができないが、ともすれば、こんなことがあったと、事項をただ並べただけのつまらない歴史書になってしまうことが多い。

ところが、この本は、詳細を省いて、なぜそのようなことが、その時代に起きたのかが分かるように、大きな流れを説明している。学校で習う世界史というのは、時代別に各地域ごとに説明がなされているため、一つの特色ある地域について、民族性とか、地理的な条件なども含めて連続的に見る目が育ちにくいが、こうした小冊子でも、国、地域の通史がうまくかけていると、そうか、そうだったのかと、よくわかる。

特に、オーストリア、チェコ、ハンガリー、イタリアとの関係が長い通史の中で見えてくるので、有難い。それと、ワイマール憲法のようななかなか良い憲法を持ちながら、なぜヒトラーが台頭できたのか、長年の疑問だったのだが、この本を読むと、なるほどそうかという気になった。他にも、いろいろと気付かなかった点を、教えてくれる本だ。

たいへん判りやすくて、しかも面白かったので、「フランス史10講」も読んでみようという気になった。

男バレエだった「クレオパトラ」

2017-10-29 09:30:06 | バレエ
熊谷哲也のKバレエの新作「クレオパトラ」を文化村オーチャート・ホールで観る。この日は、二回公演で夜というか16時30分の回。2幕構成で、一幕65分、休憩25分、二幕60分で、19時終演だが、結構長くカーテンコールがあり、雨で混み合っていたこともあり、劇場を出たのは19時半ごろだった。場内は超満員で、立ち見まで出ていた。Kバレエの人気に改めて驚かされる。

グッズの販売も人気で、豪華プログラムは3000円と驚くような値段と重さだが、結構売れている。新作バレエなのだ、物語が判らないと困るので、買おうかと思ったが、値段に驚いて手が出ず、チラシに印刷されていた物語を読んで済ませた。

新作の長編バレエ、それも物語バレエを作るというのは、大変なことで、物語も音楽も踊りも、美術も一から作ることになるので、こうしたことに挑み、興行的に成功させるバレエ団の努力には敬意を表する。この中では、音楽のハードルが高く、新作曲をする作曲家がなかなかいないので、今回はデンマークの作曲家カール・ニーセンの「アラジン」の劇付随音楽を借用したとある。「アラジン」はビントレーのバレエが新国立劇場でも上演されたが、その音楽とは異なる。ニーセンの「アラジン」は劇付随音楽となっているので、演劇の台詞のバックグラウンドとして作られた音楽で、物語性に富むところが、バレエにも使えるということなのだろう。しかし、一方、20世紀初頭のロマン派最後の生き残りみたいな音楽で、情景描写的なので、リズムのはっきりとした音楽は案外少ないかも知れない。

僕はといえば、中村祥子がクレオパトラに扮したチラシを見て、これは見たいなあということで、祥子を観にいった。

さて、物語の方だが、クレオパトラという題名になっているとおりに、クレオパトラが次々と男たちと交わり、その男たちは皆死んでしまうので、クレオパトラは魔性の女というか、昔風に言えば毒婦として描かれる。一幕ではクレオパトラは積極的に男たちを毒殺して、くねくねと蛇になって地を這ったりするが、後半は愛した男たちが他人に殺されて、自分も絶望して、最後はトスカのように高いところから身を投げて終わる。毒蛇に胸をかませたりはしない。

後半に関係を持つのは、主にカエサルとアントニウスだが、この二人はローマの内紛で殺されるので、その場面は男同士の殺し合いが長く続く。「スパルタカス」のような場面だ。クレオパトラの出演場面は少なくて、出たと思ったら、たいてい熱烈に愛し合うだけで、踊りとしての面白さがない。二幕で踊られるバレエらしい場面は、アントニウスとオクタヴィアのパ・ド・ドゥで、クレオパトラではなく、オクタヴィアがグラン・フェッテをしたりする。「あのー、僕はクレオパトラの中村祥子を見に来たんですけど」という感じ。

登場人物が多過ぎるので、一幕も二幕も、物語を進めるのに忙しく、バレエをじっくり見せることができていない。エジプトの娘たちが美しい群舞を見せるのではないかと密かに期待していたのだが、出てきたのは、勇ましいローマ兵士たちの群舞だった。やっぱり熊哲は男バレエが得意なのかなあ、と思う。

バレエでは、細かいことは説明しにくくて、同じような人物が出てくるとごちゃごちゃして判らなくなるので、登場人物を少し減らしたらどうか。極端な話、一幕は不要で、カエサルと、アントニウスとクレオパトラの三角関係、またはそれにオクタヴィアを加えた四角関係に絞ったら面白くなるのではないかと思う。

そうすれは、時間的に余裕ができるので、後半にクレオパトラの「夢のバレエ」場面を入れて、カエサルとクレオパトラ、アントニウスのパ・ド・トロワなんかをバレエ・ブランシュで入れたら面白いのではないかと思う。

この作品の中のクレオパトラが、絨毯に包まれてカエサルと出会う場面は、最も重要な場面なので、絨毯献上の行列とか、前口上とか、もっといろいろと演出で工夫した方が良いだろう。この場面は、バレエ・ファンならば、ディアギレフ率いるロシア・バレエ団が1909年にパリで公演した折に上演された「クレオパトラ」で、絨毯にくるまれたクレオパトラが登場したことを想い浮かべるだろう。

その時に絨毯の中から現れたのは、美人で名高かったイダ・ルビンシュタインで、踊りよりも、そのルックスで人々を魅了したという。ルビンシュタインはこれを持ち役にして何度も演じたようなので、よほどの人気演目だったのだろう。今回も中村祥子が出てくるのを楽しみにしていたのだが、案外さらりと登場して盛り上がりを欠いたように思う。

ともあれ、美術や衣装もきちんと作ってあり、力の入った作品だとは思うが、「クレオパトラ」という題名なのだから、もっとクレオパトラ中心の台本にしてほしい。

終わって劇場を出ると、雨の中でハロウィンの仮装をした若者たちが町に溢れていたので、巻き込まれないように急いで帰宅して、家で食事した。

東京芸術劇場の「トスカ」は悲惨だった

2017-10-28 11:00:07 | オペラ
東京芸術劇場で10月27日の夜に「トスカ」を観る。金曜の夜だが結構空席が目立ち、6~7割の入りか。東京芸術劇場だけでなく、新潟、金沢、富山、石川、沖縄などの地方も含めた全国共同製作らしい。この共同制作方式は、平成21年から始まったとプログラムには書いてある。東京ではオペラ公演も多いが、地方都市では本格的な公演は少ないだろうから、そうした点では良い企画だが、こうした「共同」というのは、どこかに核が必要だろうが、パンフレットからはどこが核となっているのか判らない。普通に考えれば、東京劇術劇場か。

こうした全国共同製作のオペラを観るのは初めてだが、映画監督の河瀬直美が演出するというので、どんな感じになるのか好奇心で観た。悲惨だった。演出もダメならば、歌手もダメ。装置もダメで、良いのはプッチーニの音楽だけだった。こんなものを名作オペラですと言われたならば、地方で初めて観る観客は、もう二度とオペラには行くまいと決心するだろう。そのくらいインパクトの強いダメさ加減だ。

河瀬の演出は、いわゆる「読み替え」と呼ばれるもので、この芝居の背景を古代なのか、中世なのか判らないような日本に置き換えている。歌手のトスカは、村娘のトス香で、相手役のマリオは万理生、敵役のスカルピアは須賀ルピオといった具合。一幕でトスカが聖母マリアに祈りをささげる場面は、背景に映し出された富士山に向かって柏手をうって祈りをささげる。

そうした調子で展開するのだが、スカルピアは軍隊的な制服を着て現れて、部下はライフル銃のような銃を振り回している。二幕になるとスカルピアはスペイン産の上等なワインを飲みながら、ステーキの食事をとっている。これは台詞に出てくるので、日本酒とはいかないのだろう。おまけに、二幕はなぜか、泡がぶくぶくするような映像が流されたりして、鬱陶しく、歌に集中できない。スカルピアの部下たちが室内でもやたらと銃を構えるのはどう見たっておかしい。

三幕は致命的で、銃殺で殺される振りをするマリオに、トスカが倒れ方の見本を見せたりする。おまけにマリオは机の上に立たされて銃殺されるだけでなく、銃殺後の検死の確認も小隊長でなく、兵隊がやろうとする。トスカは飛び降りる前に、何やら台本にはないアカペラの歌を歌い、飛び降りてそのまま天使のように羽が生えて飛んで行ってしまう。

台本の解釈にも問題が多いが、一体全体、昔の日本、それも時代が不明な日本に置き換える意味があるのだろうか。単に奇をてらったとしか思えない。面白くないどころか白けてしまう。そもそも、映画と舞台というのはジャンルが異なるから、映画で少し活躍したからといって舞台の演出ができるとは限らない。それなりのきちんとした準備をしないと、こうした演出はうまくはいかないだろう。

演出がダメなオペラ上演というのは結構多いが、この公演はマリオ役のアレクサンドル・バディアの声が全く出ていない。声の質は悪くはないが、声が小さすぎるし、のばすこともできない。一幕の「妙なる調和」の時はまだ出だしなので声が出ていないのかなとも思ったが、三幕の有名なアリア「星は光りぬ」ではたった一本のクラリネットの音にも負けてしまうぐらいの声で、これでよく主役をやるものだと思った。心の中ではブーイングしたが、周りではブラボーと叫ぶ声もあり、日本の観客はこれでよいのだろうか、と考えさせられた。この程度の歌手ならば、わざわざ外国から呼ぶ必要はなく、日本人を起用すればよいのではないだろうか。

トスカ役のルイザ・アルブレヒトヴァは、一応の水準で声も出ており、唯一の救いとなっていた。日本人ではスカルピア役の三戸大久が健闘。指揮は大勝秀也で、オケは東京フィルハーモニー。オケは良い音を出していた。

東京劇術劇場の大ホールはコンサート・ホールとして設計されているので、オペラを上演するのは無理だと思う。座席5列分を外してオケを置き、舞台面をかさ上げして何とか公演していたが、舞台のセットも出たままの物で、照明も自由に転換できない。おまけに残響が長いので、風呂場で歌を聴くようだ。コンサート・ホールなのだから、無理してオペラなどやる必要はないのではないか。

もし、どうしても東京劇術劇場でやりたいならば、演劇用の劇場を使い、小規模なオペラに的を絞って上演したらどうだろう。こうした上演を見ると、製作者に問題があると感じる。

帰りはいつものスペインバルで食事。牛筋肉の赤ワイン煮込みや、チーズの豚肉巻などを食べる。家に帰っても、オペラの口直しが欲しくなったので、CDで、「トスカ」を聴いてから寝た。

新国立劇場の今シーズンのバレエ・プログラム

2017-10-27 15:08:44 | バレエ
新シーズンに入り、今シーズンのバレエ・プログラムも眺めてみた。今シーズンの公演は6演目で以下の通り。

「くるみ割り人形」(新制作、イーリング)
「シンデレラ」(アシュトン)
「ニューイヤー・バレエ」(見取の顔見世)
「ホフマン物語」(ダレル)
「白鳥の湖」(プティパ+イワノフ)
「眠れる森の美女」(プティパ)

バレエの公演は年間6演目で、「ニューイヤー・バレエ」は通しではなく短編集みたいな公演だから、通しの公演は5演目。そのうち3つがチャイコフスキー+プティパの大定番。「ホフマン物語」は、オペラの上演があるので、タイアップの企画。それ以外はアシュトンの「シンデレラ」のみ。

これはどう見てもバランスを欠いているのではないだろうか。いくら名作だといっても、チャイコフスキー+プティパを3つも入れるのはどうか。「くるみ割り人形」は見ていないので判らないが、振付イーリングといっても、ディヴェルティスマンは、プティパ風になるのではないだろうか。それとも、まったく斬新な振付なのか。

新国立劇場の開場20周年ということで、大サービスなのだろうか。年間6演目ではなく、10演目ぐらいやるならば、チャイコフスキーの3大バレエ特集でもよいが、実質5作品で3大バレエ特集は無理が感じられる。この三作品とも大好きなのだが、もっと他のバレエも観たいのだ。

バレエではないが、ダンスの公演も4作品ある。3作品は中劇場で、「サーカス」のみ小劇場。中劇場公演のうち2作品は、「舞踏の今」と題した公演で、まあ、行かなくても良いかという気になってしまった。有名な作品で、見る価値はあるのだとは思うが、どうもこうした作品には足が向きにくい。古典物が好きだから、現代ものは苦手意識が先に立ってしまった。