劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

北とぴあの『ウリッセの帰還』

2018-11-28 09:22:43 | オペラ
11月25日(日)の昼に、北とぴあ・さくらホールで『ウリッセの帰還』を観る。14時開演で、25分の休憩二回を挟み、終演は6時10分だった。セミステージ形式で演じられて、舞台の奥や両脇に15~6名のオーケストラがいて、舞台前方や中央部で、簡単な小道具やセットと共に演じられた。オーケストラは、17世紀当時の楽器を再現した編成で、チェンバロが2台、テオルボが2台、リコーダーが二本、コルネット(昔の)が2本、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネなどといった編成で、古楽的な音だった。

昔の作品だから、カストラートが多く出演したのかなとも思ったが、主演の二人はテノールとメゾ・ソプラノで、カストラートではなかった。カウンター・テナーが二人入っていたので、もしかするとこの役柄はカストラートだったのかもしれない。

物語は「オデッセイア」そのもので、トロイ戦争が終わった後なかなか故郷に戻れなかったユリシーズが20年ぶりに故郷に戻ると、愛妻ペネーロプが美しいので、近隣の有力者たちに求婚されており、乞食に化けて家に戻り、求婚者たちを殺して妻に再会するというものだ。どうも、同じ人物がオデッセイア、ユリシーズ、ウリッセと言語によって呼び名が変わるので、困ってしまう。

3幕構成でプロローグ、エピローグもあるので、結構時間的に長かったが、演出が気が利いていて、飽きさせずに最後まで見せた。最初の一幕は、なんとなく話も進まず、音楽も単調な気がして、つまらないかなとも思ったが、二幕からは音楽も美しく、話も流れるようになり、面白かった。1300席程度のホールなので、オケは小編成だが音量的に問題はなく、歌手の声量も十分だった。歌手の中では、ユリシーズ役のエミリアーノ・ゴンザレス=トロの声が美しく、聞きほれた。他の出演者もなかなか良く、日本人ではペネロープ役の湯川亜也子が良かった。

演出は小野寺修二で、パントマイム出身のようだが、オペラの演出でも力を発揮した。歌手ではない、黙役を二人出して、踊らせたり、黒子的に使ったりして舞台に変化を付けたのはよいアイディアだと思った。途中でスクーターが登場したのは、あまり意味がないと思ったが、全体的には好感の持てる演出だった。

北とぴあのさくらホールは、客席が結構傾斜の付いた配置となっていて、舞台が見やすいが、ロビーが狭く、おまけにトイレの入り口が、一番目立つところにあって、設計に疑問を感じた。こうした公共団体の作る文化設備は、なぜか垢抜けしない設計で、エントランスにもムードがなく、劇場に来たというわくわく感がない。もう少し工夫してほしいものだ。

開演前に、新そばのうまい店で食事したので、終演後はまっすぐに家に帰った。

国立劇場の「名高大岡越前裁」

2018-11-24 17:30:20 | 映画
11月24日(土)の昼に、国立劇場で「名高大岡越前裁」を観る。いわゆる「天一坊」といわれる作品。将軍の落し子と偽った天一坊の嘘を見抜くという大岡政談。午前11時に始まり、4回合計1時間ぐらいの休憩を挟み、終演は3時5分だった。あまりかからない演目なので、観にいったが、客席はガラガラで5割くらいの入りだった。これでは演じる方も張り合いがないだろう。作品は黙阿弥の作品なので、それなりに面白いが、五七調の黙阿弥らしい台詞の聴かせどころは少なめかも知れない。

大岡を演じるのが梅玉で、悪役の浪人彌十郎との詮議のやりとりが見せ場になっている。全体は六幕構成で、序幕と二幕は事件の発端で、天一坊が成りすますまでの話。三幕と四幕が取り調べで、ここでは証拠を掴めず、五幕と大詰めで切腹を覚悟するものの、大逆転で悪事を暴く。各幕ごとに休憩が入るので、30分見ては10分休みという感じで、もう少し長く続けて演じてほしい感じ。

後半の三幕以降は、結構面白いのだが、序幕と二幕は、役者が揃っておらず、下手なので面白くないというか、見ていて心配になる。三幕以降は役者が揃って見ごたえがある。五幕では、黙阿弥ものとしては珍しくチョボが入った。浄瑠璃ではなく講談でヒットした話のようだが、チョボが入るとなんとなく落ち着く感じがするのは僕だけだろうか。

序幕と二幕でもっとベテランの役者を使えれば面白いのに残念だと思った。それにしても入りが悪いのは心配だ。もう少しいろいろと工夫するべきだろう。

ところで、国立劇場のインターネットチケットの販売システムは、込み合うとまともに動かないので困る。今やハードは安いのだから、メモリやCPUを増やせないのか。あるいはクラウド上にサーバーを展開して、発売日には処理能力をあげたらどうか。混雑して接続できなくなるならばよいが、接続されていて、途中でレスポンスが帰ってこなくなり、タイムアウトになってしまうのは最初からやり直しになるので困ってしまう。本当に何とかしてほしい。分かる人がいないのなら、手伝ってあげようかという気になるが、専門家が見れば簡単に解決できると思う。

早く終わったので、帰りに日本酒を買って、家に帰って昨日作っておいたおでんを食べる。


タケミツ・メモリアル・ホールの「フランコ・ファジョーリ&バロック・オーケストラ」

2018-11-23 15:27:26 | 音楽
11月22日夜にタケミツ・メモリアルの大ホールで、カウンター・テナーのフランコ・ファジョーリを聴く。19時開演で、25分間の休憩を挟み、終演は21時25分頃だった。客席は9割程度の入り。夫婦づれは少なく、男性同士や女性同士とみられる客が多い。会場内は熱気に包まれていて、熱狂的なファンが多いのに驚いた。

フランコ・ファジョーリは、アルゼンチン出身のカウンター・テナーで、当日のプログラムは全部ヘンデルの曲だった。ヘンデルがカストラート用に書いた曲をカウンター・テナーが裏声で歌って見せるわけだが、ヘンデルの時代なので、装飾音符の多い、アジリタ(短く区切られた)を歌って聞かせるのだ一番の眼目だ。

カウンター・テナーの歌はこれまでに何度か聞いてはいるが、これだけ見事にアジリタを歌うのは初めて聞いた。客席も大いに沸いていた。

伴奏を務めたのは14人ほどのバロック・オーケストラで、弦のほかに、ファゴットとチェンバロが入る。歌の合間に、このオケがヴィヴァルディの曲を聴かせる。チェロなどはエンドピンのない昔風のスタイルで、膝に挟んで楽器を支えて弾いていた。コントラバスの弓も普通とは違ったように見えた。

会場の拍手も大きかったので、アンコールは3曲も歌うサービスぶりだった。最後に『リナルド』の「私を泣かせてください」を歌い、会場にも一緒に歌うように促すと、会場の人たちが、イタリア語の歌詞で歌ったのには驚いた、そんなのを歌える人ばかりが聴きに来ていたのだ。

カウンター・テナーは裏声なので、普通のテノールやソプラノと比べると、響きが小さいように感じられた。カストラートの置き換えかも知れないが、やはり普通の歌唱が良いと改めて感じた。

帰りはワイン・バーで軽い食事。プーリア産の白ワインと、イカのマリネ、鳥のカツレツなどを頂く。新しく開拓しようと思って入った店だが、常連客ばかりで少し居心地が悪い。料理も平凡で、やはり新規開拓はリスクが高いと感じた。

新国立劇場の「バレエ・オータムコンサート」

2018-11-19 09:55:39 | バレエ
11月18日の昼に新国立の中劇場で、『バレエ・オータムコンサート』を観る。新国立劇場のバレエ研修所の発表会なので、技術的にうまいわけではないが、これからの新人を観る楽しみがある。会場はほぼ満席に近く、特に若いバレリーナの卵のような人が多かった。公演は15時から始まり、25分間の休憩を挟み、終演は17時15分頃だった。

前半はいろいろなバレエのガラ風な構成で、約1時間。後半は「ドン・キホーテ」の3幕からの抜粋上演だった。前半の終わりには、バレエ研修所での研修風景や、公演などを編集した約10分間のビデオも流された。バレエ研修所の所長は牧阿佐美だが、いつものように赤い服で10列に座っていた。

前半は、『ワルツ』、『海賊』、『エスメラルダ』、『パリの炎』、『ハレルキナーダ』、『ロマンス』(貝川振付のコンテ)という構成だが、メインは『エスメラルダ』だった。14期生の多田そのかがエスメラルダ役です。、これがなかなか雰囲気があり、良いと感じた。唯一のコンテ『ロマンス』は踊っている方は面白いのかも知れないが、見ている方は退屈だった。何を表現したいのか伝わってこない。

後半の『ドン・キホーテ』は、キトリ役を高井恵理が踊った。32回転のフェッテを含めて難しい踊りだが頑張っていた。僕が注目したのは、第一のバリエーションを踊った15期生の阿部純花で、たいへん軽やかな踊りが目を惹いた。

研修生の発表会なので、テクニックに優れるとか、ものすごい踊りを見せるわけだはないが、若い才能のある人たちが出てくるので、思わず応援したくなる。会場にも、更にその次を狙うバレリーナの卵たちが沢山いて、華やかなムードを楽しんだ。

帰りにスーパーに寄ると、合鴨の脚の骨付き肉を売っていたので、それを買って帰り、焼いて食べる。フライパンで焼いた後、190度のオーブンで20分ほど焼いたら、おいしかった。ワインはフランスの白。これからはジビエの季節だが、豚コレラと鳥インフルエンザが流行しているのが心配だ。


レクチャーコンサート「ロッシーニの魅力 再発見!」

2018-11-18 05:36:24 | 音楽
東京文化会館の小ホールで、11月17日午後に「ロッシーニの魅力 再発見!」を聴く。午後3時から始まり、15分間の休憩を挟み終演は17時25分頃だった。場内は満席、こういう企画でも東京はよく人が集まると感心した。このコンサートは東京都の主催で、イタリア大使館やロッシーニ協会が後援している。シャイニング・シリーズVol3となっていた。今年はロッシーニ没後150年に当たるので、そこでこのような企画が立てられたのだろう。

レクチャーコンサートというのは、どんな感じなのだろうと思っていたが、日本ロッシーニ協会会長の水谷彰良氏が出てきて、曲の合間の舞台のセットをしている間に解説をするというイメージで、まことに効率が良い。水谷氏の話しも、さすがにロッシーニの研究家だけあって、要点を押さえた的確なものだった。ロッシーニの生涯について簡単に説明しながら、その時代に書かれた音楽を紹介するという形で、簡単なエピソードも加えられていたが、料理好きの話は時間が限られていたためか、ほとんどなかった。

コンサートは、前半が器楽曲で約1時間、後半はオペラの歌曲から1時間という時間配分。ロッシーニというと「オペラ」というイメージが強いが、水谷氏の話しによると器楽曲もそれなりに書いているらしい。最初に聞いた弦楽四重奏曲は、通常入るヴィオラに代わりコントラバスが入った四重奏で、この編成も低音が充実して中々良いなあと感じる。記憶によれば、ロッシーニの活躍した時代はベートーヴェンと重なっているが、ベートーヴェンのようにしかめっ面ではなく、うまいものを食べてきた感じの顔で、その音楽も「軽く」心地よい印象だ。

後半のオペラの曲は、ほとんどがオペラ・セリアからの選曲。この時代のオペラは、いわゆるベルカントの時代で、「アジリタ」と呼ばれる技巧的で短く区切られたコロラトゥーラのような曲が多いので、技術的に難しいので上手に歌える人がいないが、出演した若手の歌手陣は、懸命に歌っていた。それでも、歌唱の音が区切られずに繋がってしまい、やはり大変なのだなあと、聴いていて感じた。

歌手陣の中でひときわ際立っていたのが、テノールの小堀雄介で、イタリアン・テノール的な輝かしい声を大きく響かせて、高い音まで美しく出していた。

東京都が主催しているためか、出演者には東京音楽コンクールでの入賞者が多かった。若い人たちがこうした場で活躍するのはなかなか良いことだと思う。全体としてなかなか良い企画で、楽しいコンサートだった。

帰りはいつものスペインバルで軽い食事。トルティージャや生ハムの他、季節の鱈料理などを食べた。