ノーベル経済学賞を受賞した数学者ジョン・ナッシュ(ラッセル・クロウ)の物語。
ナッシュが発表した『均衡論』は、
『生態系であろうと、化学系であろうと、物理系であろうと、社会制度であろうと、
あらゆるシステムは安定しようとする』(「もっとも美しい数学 ゲーム理論」文春文庫)
というもので、
『ゲーム理論』の基本になっている。
僕はゲーム理論のすべてを理解したわけではないけれど、
『あらゆるシステムは安定しようとする』を知った時、社会や世界や歴史の見方が変りました。
今も時折、「もっとも美しい数学 ゲーム理論」を読み返しています。
………
さて映画。
ナッシュは「統合失調症」という精神の病で「幻覚」を見ている。
どのような幻覚を見ているかはネタバレになるので書きませんが、すべてが明らかになった時はビックリしますよ!
えーーーっ、あれもこれもすべてが幻覚だったのか!?
世界がひっくり返る衝撃!
この衝撃を体験するだけでも、この作品を観る価値がある。
同時に
今、自分の身のまわりにいる人が幻覚だったら?
今、自分がおこなっている行動が幻覚に踊らされているものだったら?
と自分に置き換えてみると怖くなる。
でも人間って、多かれ少なかれ「不確かな幻想」や「思い込み」で行動していることは確かなんだよなあ……。
作品の見所はもうひとつ。
ナッシュが統合失調症をいかに乗り越えるか?
この過程と克服していった結果訪れるラストは実に感動的だ。
ナッシュが病に負けて挫折しそうになる時は2回ある。
1回目は、二度目の統合失調症が発症して「もうダメだ。僕は精神病院に戻るよ」と言った時。
2回目は、大学に通い始め、幻覚が現われて錯乱し、周囲からバカにされ、からかわれた時。
この時もナッシュは「イヤだ。もう大学に行きたくない」と弱音を吐く。
いずれの時もナッシュの奥さんが夫を慰め、励ますのだが、やはり人の力は大切。
あとは、歩みはのろくても、一歩前進して二歩後退しても歩み続けること。
ナッシュは若い時に発症した統合失調症と老齢になるまで不安定さを残しながらもつき合い続けて来た。
こう考えると、
病というのは治すものではなく、友人として共に歩んでいくものなのかもしれませんね。
当初、ナッシュは統合失調症を根治しようとして劇薬を飲み、精神病院で拘束具をつけられ心身共に消耗していた。
でも、これはおそらく不自然なこと。
無理なことをすればその反動は大きくなる。
一方、友人として長くつき合っていくことにすれば、不安定さは残るが、大きな反動はない。
まさにナッシュの『均衡論』ですね。
『あらゆるシステムは安定しようとする』
ナッシュにとっての『均衡論』は、妻と暮らし、大学にゆっくりと通い、友人として病とつき合っていく、ということだったのだ。
これで彼の心は安定した。
「自分の心が一番安定する状態は何か?」
「自分の心の安定を妨げているのは何か? 捨てるべきではないのか?」
こんなことを問い続けて生きていくのはありなのかもしれません。
『ゲーム理論』は実人生でも活用できる。
ナッシュが発表した『均衡論』は、
『生態系であろうと、化学系であろうと、物理系であろうと、社会制度であろうと、
あらゆるシステムは安定しようとする』(「もっとも美しい数学 ゲーム理論」文春文庫)
というもので、
『ゲーム理論』の基本になっている。
僕はゲーム理論のすべてを理解したわけではないけれど、
『あらゆるシステムは安定しようとする』を知った時、社会や世界や歴史の見方が変りました。
今も時折、「もっとも美しい数学 ゲーム理論」を読み返しています。
………
さて映画。
ナッシュは「統合失調症」という精神の病で「幻覚」を見ている。
どのような幻覚を見ているかはネタバレになるので書きませんが、すべてが明らかになった時はビックリしますよ!
えーーーっ、あれもこれもすべてが幻覚だったのか!?
世界がひっくり返る衝撃!
この衝撃を体験するだけでも、この作品を観る価値がある。
同時に
今、自分の身のまわりにいる人が幻覚だったら?
今、自分がおこなっている行動が幻覚に踊らされているものだったら?
と自分に置き換えてみると怖くなる。
でも人間って、多かれ少なかれ「不確かな幻想」や「思い込み」で行動していることは確かなんだよなあ……。
作品の見所はもうひとつ。
ナッシュが統合失調症をいかに乗り越えるか?
この過程と克服していった結果訪れるラストは実に感動的だ。
ナッシュが病に負けて挫折しそうになる時は2回ある。
1回目は、二度目の統合失調症が発症して「もうダメだ。僕は精神病院に戻るよ」と言った時。
2回目は、大学に通い始め、幻覚が現われて錯乱し、周囲からバカにされ、からかわれた時。
この時もナッシュは「イヤだ。もう大学に行きたくない」と弱音を吐く。
いずれの時もナッシュの奥さんが夫を慰め、励ますのだが、やはり人の力は大切。
あとは、歩みはのろくても、一歩前進して二歩後退しても歩み続けること。
ナッシュは若い時に発症した統合失調症と老齢になるまで不安定さを残しながらもつき合い続けて来た。
こう考えると、
病というのは治すものではなく、友人として共に歩んでいくものなのかもしれませんね。
当初、ナッシュは統合失調症を根治しようとして劇薬を飲み、精神病院で拘束具をつけられ心身共に消耗していた。
でも、これはおそらく不自然なこと。
無理なことをすればその反動は大きくなる。
一方、友人として長くつき合っていくことにすれば、不安定さは残るが、大きな反動はない。
まさにナッシュの『均衡論』ですね。
『あらゆるシステムは安定しようとする』
ナッシュにとっての『均衡論』は、妻と暮らし、大学にゆっくりと通い、友人として病とつき合っていく、ということだったのだ。
これで彼の心は安定した。
「自分の心が一番安定する状態は何か?」
「自分の心の安定を妨げているのは何か? 捨てるべきではないのか?」
こんなことを問い続けて生きていくのはありなのかもしれません。
『ゲーム理論』は実人生でも活用できる。