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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

花燃ゆ 第47回「姉妹の約束」~この作品の登場人物たちは、皆、物分かりがいい

2015年11月23日 | 大河ドラマ・時代劇
 この作品の登場人物たちは物分かりがいい。
 簡単に問題が解決してしまう。
 久米次郎(市川理矩)は「それが母の願いなら」と簡単に美和(井上真央)を許してしまうし、
 信用のためにアメリカのリチャードソンに相場より低い契約値段で売ってしまう時も、県の職員たちは「私は県令殿に賛成します」。
 最後まで反対していた阿久沢(江守徹)も、「とびっきしの大博打」として結局、協力してしまう。

 ドラマというのは、主人公が困難を乗り越えて、いかにして問題を解決していくかを描くものだと思うが、『花燃ゆ』の場合は、それがない。
 美和や楫取(大沢たかお)が右往左往しているうちに、いつのまにか解決してしまっている。
 主人公たちはたいした努力をしていない。

 とはいえ、当ブログは、作品の批判を積極的にしないスタンスなので、今回の良かった所を書くと、次の2点。
 寿(優香)の「妬けるくらいに感謝している」というせりふと、
 楫取の「目先の利益を追わず、20年、30年、50年、いや100年後のことまで考える」という考え方。
 「妬けるくらいに感謝している」というのは実に複雑な感情ですね。
 〝妬ける〟という感情と〝感謝する〟って感情は普通は結びつかないものですが、寿の場合は理解できる。これをせりふだけでなく、具体的な行動で描いてくれれば、なお良かったのだが、今作の場合、それは無理か。
 「20年、30年、50年、いや100年後のことまで考える」というのは、政治家にぜひ持ってほしいスタンス。
 現在、目先の利益を追って原発の再稼働をしているが、未来に生きる人間のことを考えたら、処理のできない核廃棄物を生み出していく原発を動かすのはどうなのだろう?
 20年後、30年後のことを考えて、自然エネルギーに投資して、自然エネルギー立国を目指した方がいいと思うのだが……。

 寿に関しては、完全に菩薩様になってしまったな~。
 昔はぜいたくな暮らしをしたくて男に色目を使ったり、兄・寅次郎に振りまわされて怒り狂ったり、すごく人間っぽかった。
 回想シーンで、それらを描けば、陰影が生まれて、寿という人間をより克明に描けたと思うのだが、脚本家が代わってしまったからな~。
 煩悩から菩薩へ。
 その過程がしっかり描かれた人間ドラマを見てみたい。

コメント (2)
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