平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

花燃ゆ 第13回「コレラと爆弾」~だんな様、あれはいかなる火になるのでしょう?

2015年03月30日 | 大河ドラマ・時代劇
 コロリで亡くなった人たちを荼毘に付す煙を見て、高杉晋作(高良健吾)は「辛気くさい」と言い、自分の無力を嘆く。
 一方、文(井上真央)は、亡くなった人たちに当たり前の暮らしがあったことを想う。
 同じ煙を見ても感じること、考えることが違うふたり。

 この文と高杉ら松下村塾の塾生たちの対比には、後半の地雷火の煙でも描かれる。
 地雷火の爆発を見て、おそらく塾生たちは拍手喝采したであろう。
 しかし、文は「だんな様、あれはいかなる火になるのでしょう?」と将来の不安を口にする。

 <当たり前の生活>と<理念・行動・国・戦い>

 男たちっていうのはどうしようもないですね。
 こういう観念的なことが大好きだ。
 少しも地に足がついていない。

 この対比は、小野為八(星田英利)と彼の父・山根文季(平田満)の関係でも。
 父親は医術で人を救おうとしているのに、小野為八は人殺しの武器をつくっている。

 久坂(東出昌大)も文のことなどそっちのけで国のことに奔走してる。

 今回はあまり感情移入できませんでした。
 何しろ人殺しの武器をつくって嬉々としている松陰(伊勢谷友介)たちって……。
 武器の使用の先には死があって、文が荼毘の煙を見て想像したように、戦死した人には当たり前の暮らしがあるのに、松陰たちにはその想像力がない。
 まあ、弱肉強食の世界情勢の中で、文のような想像力や考え方は無力で、甘いものなのでしょうけど。

 最後は作劇について。

・武器(地雷火)をつくる者
・医術と薬と念仏で人を救おうとする者
・母親を喪った子が生きていけるように字を教える者

 作家はこの三者を同列に扱っている。
 武器をつくる者に関しては、文を使って違和感は描いているが、これもひとつの志のあり方として全否定していない。
 死にゆく父親も為八のことを肯定していましたしね。
 作家はどうやら物事や登場人物に善悪・白黒をはっきりつけないブンガク的な作品を目指しているようだ。
 ここには大衆文学のような痛快さはない。
 これから松陰たちはますます過激なテロリストになっていくだろうから感情移入はますます難しくなっていくだろう。
 さて、この難しい作劇を作家はどう描くか?


※追記
 武器のことで思ったのですが、よく考えると、坂本龍馬って武器商人なんですよね。
 亀山社中で武器を売って金儲けしてた。
 英雄像は視点を変えれば、こんなふうに崩れていく。

コメント (2)
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