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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

無能の人 資本の論理から外れた人

2010年07月01日 | 邦画
 助川助三(竹中直人)は石を売る。
 珍しい石、形のいい石は芸術品として売れるのだ。
 だが助川の石は多摩川産、石の愛好家の数も少なくなって売れない。掘っ立て小屋の店には、ただの石が並んでいるだけ。

 助川はかつては漫画を描いていた。
 前衛的で芸術的な漫画。
 だが出版社は商業主義。読者の求めない助川の作品をどこも買ってくれない。
 かといって助川は商業主義の漫画を描く気にもなれず、筆を折っている。

 助川にとって<石>も<漫画>も実は同じものだ。
 自分を表現するもの。
 石は探すという行為以外、労力がかからないが、自分が美しいと思うことを表現するオブジェ。
 ただし……
 <石>は評価して値を付けてくれる人がいなければ、ただの石でしかない。
 <漫画>も         〃        、ただの紙と落書きでしかない。

 助川は資本主義社会から脱落した人間だ。
 この社会はお金で動いている。
 会社で働いたり、市場のニーズに基づいて物を作ったり、売ったりしている人は社会の一員になれる。
 だが、お金をもたらさない人間はたちまち社会から切り離され、何者でもなくなってしまう。
 世の中に必要とされていない人間、虫けら、無能の人になってしまう。
 劇中、さびれた喫茶店のシーンが出て来るが、客達の顔は、気力を失い皆無表情。
 彼らも資本の論理から切り離されている。
 劇中、何度か登場する<鳥男>もそういった存在だ。
 世の中から切り離され、ただ生きているだけの<鳥男>。
 彼が自由になるには、飛び下り自殺をするしかない。

 助川は何とか<無能の人>から脱却して、お金を稼ごうと奮闘するのだが……。

 この映画のラストは少しセンチメンタルかな?
 2010年の現在は、この作品のラストが描いたことすら信じられなくなっている?


コメント
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