助川助三(竹中直人)は石を売る。
珍しい石、形のいい石は芸術品として売れるのだ。
だが助川の石は多摩川産、石の愛好家の数も少なくなって売れない。掘っ立て小屋の店には、ただの石が並んでいるだけ。
助川はかつては漫画を描いていた。
前衛的で芸術的な漫画。
だが出版社は商業主義。読者の求めない助川の作品をどこも買ってくれない。
かといって助川は商業主義の漫画を描く気にもなれず、筆を折っている。
助川にとって<石>も<漫画>も実は同じものだ。
自分を表現するもの。
石は探すという行為以外、労力がかからないが、自分が美しいと思うことを表現するオブジェ。
ただし……
<石>は評価して値を付けてくれる人がいなければ、ただの石でしかない。
<漫画>も 〃 、ただの紙と落書きでしかない。
助川は資本主義社会から脱落した人間だ。
この社会はお金で動いている。
会社で働いたり、市場のニーズに基づいて物を作ったり、売ったりしている人は社会の一員になれる。
だが、お金をもたらさない人間はたちまち社会から切り離され、何者でもなくなってしまう。
世の中に必要とされていない人間、虫けら、無能の人になってしまう。
劇中、さびれた喫茶店のシーンが出て来るが、客達の顔は、気力を失い皆無表情。
彼らも資本の論理から切り離されている。
劇中、何度か登場する<鳥男>もそういった存在だ。
世の中から切り離され、ただ生きているだけの<鳥男>。
彼が自由になるには、飛び下り自殺をするしかない。
助川は何とか<無能の人>から脱却して、お金を稼ごうと奮闘するのだが……。
この映画のラストは少しセンチメンタルかな?
2010年の現在は、この作品のラストが描いたことすら信じられなくなっている?
珍しい石、形のいい石は芸術品として売れるのだ。
だが助川の石は多摩川産、石の愛好家の数も少なくなって売れない。掘っ立て小屋の店には、ただの石が並んでいるだけ。
助川はかつては漫画を描いていた。
前衛的で芸術的な漫画。
だが出版社は商業主義。読者の求めない助川の作品をどこも買ってくれない。
かといって助川は商業主義の漫画を描く気にもなれず、筆を折っている。
助川にとって<石>も<漫画>も実は同じものだ。
自分を表現するもの。
石は探すという行為以外、労力がかからないが、自分が美しいと思うことを表現するオブジェ。
ただし……
<石>は評価して値を付けてくれる人がいなければ、ただの石でしかない。
<漫画>も 〃 、ただの紙と落書きでしかない。
助川は資本主義社会から脱落した人間だ。
この社会はお金で動いている。
会社で働いたり、市場のニーズに基づいて物を作ったり、売ったりしている人は社会の一員になれる。
だが、お金をもたらさない人間はたちまち社会から切り離され、何者でもなくなってしまう。
世の中に必要とされていない人間、虫けら、無能の人になってしまう。
劇中、さびれた喫茶店のシーンが出て来るが、客達の顔は、気力を失い皆無表情。
彼らも資本の論理から切り離されている。
劇中、何度か登場する<鳥男>もそういった存在だ。
世の中から切り離され、ただ生きているだけの<鳥男>。
彼が自由になるには、飛び下り自殺をするしかない。
助川は何とか<無能の人>から脱却して、お金を稼ごうと奮闘するのだが……。
この映画のラストは少しセンチメンタルかな?
2010年の現在は、この作品のラストが描いたことすら信じられなくなっている?