とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

登米に行ってきました。

2010-05-16 16:27:42 | 写真日記
日曜日の会議が終わっても、帰りの飛行機に間に合わないために、
この日も仙台に泊まりました。

次の日の午後4時半の飛行機で広島に飛ぶ予定だったので、月曜日を1日過ごさなくてはいけません。
仙台市で過ごすのは、やめにしてどこか適当な場所を考えました。

松島はあまりに観光っぽいのでやめて、
宮城の明治村というキャッチコピーに釣られて登米に行くことにしました。

前の日にバスを調べると仙台を朝7:05発か、9:20発のどちらかで行って、
12:20発のバスに乗って帰らないと間に合わないことがわかりました。

どっちで行くか考えていましたが、年寄りの早起きです。
7:05発のバスで向かうことにしました。
ホテルは朝食つきだったのですが、朝食は7時からだったので食べずに出かけました。

高速バスで97分だそうです。
仙台は、広い街です。
空き地がまだたくさんあるような感じがします。
地下鉄の工事をしている真っ最中で、開発途上という感じです。
工事現場に面白いものを発見しました。
ポールを支えているものがカエルなのです。
なんでカエルなんだ!



走っているバスから遠くに山並みが見えます。
五月なのに何と雪をかぶっているのです。
山口では見られない光景です。

 

予定時刻になって登米明治村に到着です。
8時35分に着いたので少しゆっくりしなくてはいけないだろうと思っていました。
教育資料館の門は開いていて校舎そのものは撮影できそうだったので、
写真を撮っていました。

 

 

教育資料館は、旧登米高等尋常小学校の建物です。
明治21年に建てられた、当時の洋風学校建築を代表する建物です。
純木造の2階建てで正面に向かってコの字型に作られています。
両端には六角形を半分に切った形の昇降口があります。
特徴的なのは2階バルコニーで、校舎全体の中心的な位置にあり、
シンボル的な役割を果たしています。

写真を撮っていると、ここを管理している女性が
「中も見て行かれませんか?」と声をかけてきました。
開館時間まで10分以上あったのですが、入れてもらえることになりました。

他の資料館(全五館)と合わせて800円を払って見学させてもらいました。
非常に興味深い建物と資料で、ずっと見学したいくらいでした。

 

今でもぴかぴかの木造の階段が印象的です。

  

最初の部屋は裁縫室です。
火鉢の向こうに座り机が並んでいます。
その後ろには足踏みミシンが並んでいます。

もう一つの部屋の壁には忠と孝の掛け軸がかかっています。
戦前の教育勅語の感じですかね。

教室の後ろにはだるまストーブがあり、宮城らしい雰囲気かもしれません。
もちろん、机と椅子は木製です。
この机に近いものは小学校の時に使っていた記憶があります。

 

昭和30年代~40年代にかけての典型的な給食という掲示がありました。
校歌がかかげてありました。
印象的な歌詞だと思ってみていると、
やっぱり作詞は「荒城の月」の土井晩翠ですね。

 

別の教室に行くとドキッとしました。
マネキンを使った授業風景が再現されていました。
これは、ちょっとやりすぎという気もします。
顔がいただけませんね。

 

この歴史的建造物のすぐ後ろに現在の登米小学校がありまs。

   

まだまだ興味のあるものがありますが、長くなったので次回にします。   
コメント
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