とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

『原爆の子』を観ました。

2011-08-15 18:00:43 | 映画
朝、何気なくテレビを見ていると、WOWOWで『原爆の子』をやっていました。

大学の頃から何度か見たことのある作品です。

福島の原発事故の後だし、先日見た第5福竜丸と併せてなかなかシビアーな作品鑑賞になりました。

監督は新藤兼人さん、主演は音羽信子、周囲の役者たちは細川ちか子、清水将夫、滝沢修、北林谷栄、小夜福子、宇野重吉などの民芸の人々が出演しています。

今から考えると想像もつかないそうそうたるメンバーです。

調べて見ると、1952年8月6日公開だそうです。

原爆が投下されてわずか7年の公開です。

内容的にも非常によくできた社会的な映画になっています。

映画が娯楽の世界だけでなく、人々の心を揺れ動かしているものになっている時代なんだと思いました。

簡単にストーリーを紹介すると…

孝子(音羽信子)は島の小学校の教師をしています。夏休みを利用して、広島に帰ることにします。

船がだんだん広島に近づくにつれて、広島の街そのものは復興し始めています。

孝子はかつての幼稚園の同僚の夏江の家に泊めてもらうことにしています。

孝子の両親と妹は原爆で死亡しています。

夏江は結婚はしていますが、被爆の後遺症で、妊娠できない体になっています。

それでも、助産婦として他人の出産をお手伝いしています。

夏江からかつての教え子が3人だけ消息がわかったことを聞き、尋ねていくことにします。

映画も被爆から7年の設定にしています。

三平は、日頃は靴磨きの仕事をして家計を助けています。

孝子が尋ねたちょうどその日、2,3日前から歯茎から血を流していた三平の父親が亡くなった時でした。

敏子は原爆症で寿命もあとわずかという状態で寝ていました。

孤児の彼女は教会に引き取られて看護されていました。

神に原爆で亡くなられた全ての方に祈りをささげると明るい顔をして生きていました。

平太は橋の上から飛び降りるほどの元気さで夏休みを過ごしていました。

親を失って兄や姉の手で養育されていましたが、一家は明るくまじめに生き抜いています。

子どもたちを尋ねて行くうちに原爆ドームの橋のたもとで、物乞いをしている老人に出会います。

見ると亡き父母の下で働いていた岩吉です。息子夫婦を失い、老衰し、目もほとんど見えなくなっています。

孫の太郎を戦災孤児施設に預けて自分は掘っ立て小屋で暮らしています。

その掘っ立て小屋はなんと城の石垣と川の間に立っています。

1952年当時はまだこういう状況だったんだとそに事実に驚いてしまいます。

孝子は、岩吉と孫の太郎を島に連れて帰ろうとしますが、岩吉は納得しません。

何とか太郎だけでも連れて帰ろうとした時に、思わぬ事故で岩吉は亡くなってしまいます。

映画は孝子の目線を追いながら、広島の置かれている状況をリアルな目線で追っていきます。

孝子自身はヒューマニズムのかたまりのような人で、この人にリアリティーはないのですが、非常にすぐれた作品だと思います。

日本の歴史を語るのに外すことのできない映画だと思いました。

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横浜に行って来ました。

2011-08-15 12:07:05 | 写真日記

最近ブログを全く更新していません。

何がどうということもないのですが、「ただなんとなく…」というところです。

8月6日~7日に横浜に行って来たので少し報告しようと思います。

寄宿舎の学習交流集会が横浜であったので出かけてきました。

飛行機があまり好きではないので、今回は新幹線で向かいました。

夏休みの新幹線はあまりいいものではありませんでした。

小さい子を連れた里帰りの若いお母さんがとても多いように感じました。

パブリックな場所での親子の関係はあまり見たくないものです。

退屈で騒いでしまう子に対しての親たちの取っている様々な行動が気になってしかたありません。

本を読んで過ごしたかったのですが、ヘッドホンで耳をふさいで、できるだけ眠る方向をめざすことにしました。

横浜は全くといっていいほど土地勘がありません。

新横浜でのぞみを下車して横浜線に乗って関内をめざします。

ところが、この横浜線、関内の一つ手前が終点です。

何とか関内駅に着くと駅周辺から何とも不思議なファッションに包まれた若者がたくさんいます。

「さすが横浜は違うね」ファッションにあふれた街なんだと感動していました。

駅を降りると右手に横浜球場が見えます。

この若者たちのめざす会場はこの横浜球場だったようで、ここでレゲーのコンサートがあったようです。

道理でそういうジャマイカ風のファッションが多かったんだと言うことがわかりました。

会場は横浜市開港記念館という大変文化的なレトロな建物です。

山口から出てくると開場ぎりぎりしか着けないのですが、開場近くまで行ったところで、携帯が鳴りました。

山口から一緒に出てきているO先生からです。「今どこですか?もう始まりますよ」と責めるような口調。

いっぺんにムッとしてしまいました。

 

全体会では、東日本大震災被災地からの報告を聞きました。

全体講演は絵本作家のこんのひとみさんの歌とお話を聞きました。

ウェットなお話で涙を流して聞き入っている人たちが大勢いる中で、このての話が少し苦手な私がいました。

 

  

知っ得講座では、発達障害の理解と支援の講座に出ました。

本人調査からみた感覚障害や調整障害についての話だっただけに非常に興味深く聞くことが出来ました。

夜はいつものことですが、交流会が開かれます。

場所は中華街のど真ん中のホテルです。

ホテルに入って荷物だけ置いて中華街に向かいました。

 

 

 

いつもながらにぎやかです。この日は土曜日ということもありとてもにぎやかだったように思います。

  

 

 

いつもの交流会では食べるものがなくなってしまい、酒ばかり飲んでいることが多いのですが、

中華街での交流会は料理がこれでもかというほど出てきました。

ホテルに帰ってぐっすり眠って、次の日はまた分科会までの散策です。

分科会が9時半開始なので、あまり遠くには行けません。

今回は赤煉瓦倉庫をめざしました。

 

赤煉瓦倉庫は早朝にもかかわらずたくさんの人たちがすでに集まっていました。

早朝カフェのお店はすでに行列ができていました。

 

今回気になったことが二つありました。

一つはやたらウクレレをもった人が多いということです。

もう一つはフィギュアの写真を撮っている二人組です。

 

何度も何度も後ろを通りながら、ついに好奇心を抑えられなくて声をかけてしまいました。

「雑誌か何かの撮影ですか?HPに掲載される写真ですか?」答はどちらも「No!」でした。

本当に趣味で撮影しているそうです。大桟橋をバックに撮影したりこのあたりでいつも撮影しているそうです。

私も数枚撮影させてもらいました。

  

もうひとつの不思議は、解決しました。

今回、この赤レンガ倉庫前のステージで「ウクレレピクニック」

ウクレレの一大イベントが開催されるようでした。

全国からウクレレの専門店がたくさんお店を出していました。

 

 

急ぎ足で、分科会が開催される会場に急ぎました。

開場は関内の北口方面です。

この街は南口と北口では少し表情が変わる街だという印象を持ちました。

分科会が午後4時まであって、その後全体会ということで大変忙しい日程をこなしました。

帰りの新幹線ではビールの酔いもあって爆睡でした。

 

 

 

 

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