季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

クラマーとベートーヴェン

2020年08月31日 | 音楽
クラマーの練習曲にベートーヴェンがひと言註釈をつけたものがある。甥のカールに教えるためだったという。

この楽譜については出典が確実ではないとの理由でさほど注目されていない。聞くところによればこの楽譜から得られるものはないという演奏家もいるという。

詰まらぬことだと僕は思う。

その演奏家に問い質したい。君はそこに書かれている意見自体をどう思うのかと。

研究者はこれをベートーヴェンの弟子(うろ覚えだがフェルディナント・リースではなかったかな)の手になるもので、ベートーヴェンがそう言った確証は無いという。

しかし僕達は裁判をしているのではない。その音楽的見解だけを問題にしているのである。ベートーヴェンの意見である確証の有無ではなく、そういう音楽的見解への態度が問われるのだ。

このベートーヴェン=リースの楽譜の読み方を僕は大変素晴らしいと思う。仮にこれがリースのでっち上げならばリースは大変優れた音楽家であったと言うしかないのである。

ベートーヴェンの演奏について「氏の演奏はかつて無かった幅広く柔らかな音であった」という評が残っている。

この楽譜から想像できるのはそのような演奏である。

件の演奏家はこの楽譜から得るものは何もないという。では君はここに見られるもの全てを否定するのだろうか。そんなことが可能なのか、とくと考えてみたまえ。何年か先に出典が明らかになりベートーヴェンの言葉だと証明されたら、急にこの楽譜から得られるものは無尽蔵ですと書くのだろうか?

僕達は証拠集めをしているのではない、としっかり合点するべきなのである。


コメント
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