季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ストラディヴァリ雑感

2017年10月18日 | 音楽
ストラディヴァリウスと現代の楽器を聴衆に聴き比べさせたところ現代の楽器の方が良いという結果が出たそうだ。この結果は正式に論文として発表されるという。

正式な論文、正式な実験といっても結構杜撰なのだな、というのが僕の正直な感想である。

この結論を踏まえてストラディヴァリを売り払って現代の楽器にするあわて者もいないだろうから気を揉む必要はないのだが。

ここでは二つのことが前提とされている。

聴衆は演奏の良し悪しを判断できる。また奏者は良い楽器を正しく演奏できる。この二点だ。

後者については訝る人もあろうか。

良い楽器とはどのような性質を持っているのだろうか?ここではサラブレッドと駄馬、または高性能スポーツカーと一般車を例に出すと分かりやすいだろうか。

サラブレッドは騎手の技倆を察知すると聞く。素人が跨ったところで一歩も動かないことすらあるそうだ。

また僕のように一般的な免許保持者が何千万もする高性能スポーツカーを運転すると、スタートすらままならないようだ。よし走り出したところでノロノロギクシャク前進するばかりで挙げ句の果ては急発進してハンドルを取られて事故になるかもしれない。

それを見ていて高性能スポーツカーよりも一般車の方が高性能ではないか、と言うのは正しいだろうか?

ヴァイオリンやピアノにおいても同じことが起こる。

僕はヴァイオリンについては聞きかじりの知識しかないけれど、ストラディヴァリウスやガルネリウスなどを技倆の足りぬ奏者が弾くとはじかれるような感じがするのだという。

ピアノでも似たようなものだ。良いピアノとは汚い音にもなれる楽器のことだと言っても良い。

そう考えを押し進めてみるとこの実験は何ともお粗末なものだと思えてくる。

軽自動車も60km出るのにスポーツカーでは50kmでガクンガクン走るだけである。性能に差があることに首を傾げる結論が出た。

こんなレポートが出たようなものさ。

ただし付け加えておく。かつてフルニエが来日した折、彼の使用する楽器は所謂名器ではないという記事があった。ハンゼンもヤマハを弾いて素晴らしい響きを作っていた。

間の抜けた実験では何ももたらすことはあるまい、というこれまた間の抜けた結論だけを書いておこう。

コメント (2)
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