季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

責任

2014年12月08日 | スポーツ
サッカー日本代表監督のアギーレが、過去の八百長に関与したとの疑惑をかけられている。

その当否はともかく、監督要請にあたっては、慎重にその人物について調べるのが当然で、それはサッカー協会が自らの責任においてすることだ。

そもそも先だってのワールドカップ後、総括も無しに、惨敗の責任が何処にあるかも真剣に議論せずに新たなプロジェクトを発足させる愚を僕も当ブログで書いたが、責任を取るどころか、直接の担当者だった原氏は理事に昇格する有様であった。

そしてその原氏が中心になって決めたのが今回のアギーレ監督である。前監督も同じ原氏が決めた。

ある出来事の根幹を問わぬままうやむやに次に進めるのがこの国のお家芸だと言わんばかりである。

新たなプロジェクトの前に現状への認識をきちんと持ち、徹底的に考慮し、論議を尽す。それはそんなに難しいのだろうか。

時には思い切った決断をしなければならない、それが苦手なのかもしれない。希望だの、前を向くだの、この手の ホンワカした言葉を並べておく方がはるかに楽だからな。

そこへ持ってきて良識派とやらのたしなめる声が聞こえる。

ワールドカップの敗戦の責任を言えば、たかがスポーツにそこまで言う必要があるだろうか、とか選手も周りも一所懸命したのだから、とかね。

たかがスポーツとか言う人にはその通りだが、人生すらたかが人生だと答えよう。たかが僕の人生ではあるが、僕にとっては引くに引けない(かけがえないとは敢えて言わない)のっぴきならぬ事実である。

良識派とやらの話はせいぜいこんなことを言っているにすぎない。

良識派とは何か、に触れたくなったが、それは次の機会に。





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