季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

リズム

2014年11月26日 | 音楽
はっきりと覚えているのだが、僕は中学生のころ、付点のリズムが苦手であった。

俗に言うつんのめるというやつ。先生が金切声をあげればあげるほど、その傾向は強まった。

自分でも分かるのだが、自覚しても大した助けにならぬどころか、事態は悪化した。

いま思うと幸いなことに、先生は叫び、僕の手を平手打ちするだけであった。

なに、僕は敏捷性には自信があった。打たれるより素早くよける。僕にモハメド・アリの表現力があれば「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言ったかもしれない。

いや、蜂のように刺すでは僕が先生を攻撃することになるな。まずい。では「蝶のように舞い、バッタのように跳ぶ」ふむ、表現というものは難しい。気の利いた対句にならないぞ。これではモハメド・ムリくらいだ。

まぁそんな具合によけることはできたのである。

ここで先生が「メトロノームに合わせなさーい」と叫んでいたら一体どうなっていただろうか?あるいは音を正確に3:1にしようと1と2ト1と2ト、なんて努力していたら?

そのうちに誰から言われるともなく、付点8分音符から取るのではなく、16分音符の方から引っ掛けるように取れば音楽の流れに沿うのだと気付き、いつの間にかつんのめる癖は無くなった。

ドイツ歌曲の歌詞のつき方をちょっと見れば誰でも気づく。多くの場合短い音符から引っかかっている。では日本語では?不思議なものだが、日本語でも言葉の流れと関係はない。

つーきのーさばくをーと歌ってみたら分かる。意味は当然月の砂漠をだが、きのー、さばー、くをーと調子を取っていることを誰しも認めるだろう。

それがひとたびピアノ曲になると、つーき、のーさ、ばーく、をーと取る人がほとんどになる。

もちろん「上級者」は何らかの方法でつんのめるような欠点はとうの昔に克服しているから、一見正しいリズムを刻んでいる。

しかし僕の耳にはえらく不自然に、且つ機械的に聴こえる。

つまりこれがリズムというやつの面白さだし、メトロノーム式正確さで育つ危険なのである。

序でに言っておけば、その昔「音楽アウフタクト起源説」というのがあったらしいが、こんなゴリ押し説はともかく、そんな説を唱えたくなるのも上記の事柄と関係するのである。
コメント
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