季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

連弾

2014年01月28日 | 音楽
先日の講座でシューベルトの「未完成」を連弾した。僕は低音を受け持ち、2人の生徒が交代でプリモを弾いた。
合わせる練習そのものを聴いて貰おうという趣旨だったから、後から反省することもない。それよりも僕にとっても楽しかった。これも予想していたとはいえ、その予想よりもずっと楽しかった。

結局のところ、演奏のレッスンというのは、ハイキングや登山で人を案内する楽しみと似ているのだね。

え、腹が減って歩けない?じゃあもうちょっと頑張って行こう、あと少し行くと花畑がある、風の通る尾根に着く。そこでは飯がうまい。そうやって案内して、青息吐息だった同行者が「本当だ、頑張ってここまで来て良かった」と言ってくれた時の満足感だ。

そう、レッスンは知識の「伝授」ではない。ここをこうしたらもっと綺麗になる、君はそう思わないか?

もちろん教える側はそのための知識、技術、経験など諸々を持っていないと、案内自体ができない。さもないと何やら小難しいことをむにゃむにゃ、もしくは高圧的に宣言することになる。

人間は何処かで人と価値観を分かち合いたいと願う動物なのだろう。ラーメン屋ひとつでも同調する人がいると嬉しいではないか。

社会性とはそんなことだ。僕は小さい頃から社会性が欠如していると指摘され続けてきた。それは今も変わらない。

確かに組織内で動くことは好きではないし、話をややこしくてしまう傾向もありそうだ。

しかしだからと言って自分が社会性に欠けるとも思わない。社交性に欠けるとは思うけれど。そう居直っている。

それを連弾して改めて感じた。それでも文句のある奴は言って来い。コテンパンにしてやる。

どうです、社会性に溢れているでしょう?