パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

どっちのため?

2007-11-02 19:53:21 | Weblog
 見たいものがないので、またNHK教育の「健康講座」のようなものを見た。テーマは「鬱病」で、講師はどこかの大学の先生。どこかのアングラ劇団の劇団員のような女性が二人、聞き手となって話が進むのだが、講師の言うことには、「鬱病」というと、性格の問題のように言われてきたが、実際には脳の「機能障害」なので、鬱々として家に閉じこもっている患者に、「ちゃんとしろ」とか「がんばれ」とか言ってはいけない、性格欠陥者ではなく、「患者」なのだ云々といった、今では「常識」とも言えるようなことを言っていたが、しかし、それは、とってつけたような「結論」として話されるだけで、言っていること自体はというと、「まじめな人がかかりやすい」とか、「じゃあ、やっぱり性格の問題じゃないの~?」としか思えないようなことばかり言っていた。
 それはそうと、この先生が言うには、特に深刻なのが、老人の鬱である。なぜなら、「自殺につながる可能性が高いから」だそうだ。まあ、そうだろうなあ、と正直言って、わかってしまうのが嫌だが(落合監督も覚えていない、五十三年前の中日ドラゴンズ日本シリーズ制覇も覚えているもんなあ……といっても、東京っ子なもんで、シリーズの「結果」しか覚えていないが)、先生曰く、「生き甲斐を持つことが大切」で、身近な人、特に家族の人が常に注意深く見守り、鬱的症状が観察されるようだったら、地域の文化会館のようなところで行われているカルチャーセンターとかで行われている催し物とかに誘うなどしてみることも大事、とか言っていた。郵便受けに入っているチラシなんかも、役に立ちますよ、とか、どこの回し者じゃ、と思わせるような発言も。
 しかし、これでは……「チラシ」を馬鹿にする訳ではないが、「がんばれ」と言っているのに等しいのではないだろうか。鬱病にかかる前の「予防段階」の話なのかもしれないが、正直言って、「予防段階」でも、いや、それならなおさら、「余計なお世話」じゃないだろうか。もちろん、そういうのを好む人もいるだろうが。

 別に、ヨーロッパを見習えというわけではないが、特に個人主義(=小家族制度)の強い北欧では、社会保障が行き渡り、特に老人に対しては至れり尽くせりというイメージがあるけれど、実態はちょっとちがうようだ。
 いや、「ちょっと」どころじゃない。北欧などでは、25パーセントもの消費税をとられるのだから、老人に対する社会保障が「至れり尽くせり」なのは、確かに事実なのだが、現地をよく知る人の話では、「至れり尽くせり」なのは、「老人本人が一人で生きていくために」の、バリアフリーをはじめとする街の作りが「至れり尽くせり」にできているので、「介護人が世話をする」ような「至れり尽くせり」では全然ないのだそうだ。極端に言うと、「介護人」なんて存在そのものが「ない」んだそうだ。
 もちろん、完全に床に伏してしまうような状態になったら、介護してくれる人が必要になるが、そのような状態になることは、最後の最後まであくまでも拒否する。それが北欧人の普通のやり方で、手すりにすがって、はいつくばってでも「一人で生きていく」のが彼らのやり方なのだ。

 以上は、スウエーデンで暮らしたことのある人のブログで読んだことで、「スウェーデンでは、社会保障は充実しているが、介護人のような存在は一人もいない」もそこに書かれていたことだ。

 さて、では日本式、北欧式のどちらが良いかということだが、社会のあり方自体が、小家族制度的な日本は、(簡単に言うなら、親戚一同が集まって暮らすのが「大家族制度」、そうでないのが、「小家族制度」なので、親戚が集まるのは法事だけ、法事がないと十年でも二十年でも音信不通で、しかもそれで平気という日本は「小家族制度」の社会ということになる)「周囲の介護体制を充実させる」よりも、「一人で生きていくことのできるような体制を整える」ことに力を注ぐべきだと思う。要するに、「みんなで助け合う社会」ではなく、「一人で死ぬまで生きていける社会」を目指すべきではないのか。実際、「介護」を受けている本人に聞いたら、本音はきっと、「後者に賛成」なのではないかと思う。(あえて意地悪く言うと、介護制度とは、介護されている本人よりも、介護する側に、より「満足感」のある制度なんじゃないの~?とか思っちゃうのだ)

 この問題はまた後で触れることにして、今日の国会で、以下の「珍論戦」が。

 民主党・田嶋要議員「(インド洋上給油)最終日を迎えたが、民主党に対する批判めいた発言が聞こえてくるが」
 石破防衛相「与党の方々も、民主党のせいとかそんな話をしているのではないと思う。人のせいとかではなく、党内のコンセンサス、パワーを形成できなかったのは自らの責任だと思い、反省している」

 おいおい、である。給油を中止したのは誰がどう見たって、民主党のせいではないか。

 ちょっとびっくりな、不思議な「論戦」だが、「現役雑誌記者のブログ」というブログによると、福田自民党の戦略は、「何があっても、何が何でも小沢民主党と争わぬこと」だそうで、それを決めたのは野中、森らなんだそうだが、今日の田嶋要の言い分を聞くと、この「戦略」は、民主党も共有しているかのようである。曰く、「民主党のせいのように世間では言われているが、自民党さん、それじゃあ、話がちがうんじゃないの」と。
 いずれにせよ、酷い話だ。