山城新伍は奥さんと2回結婚し2回離婚、娘は、籍を抜いて出て行ってしまったわけだが、なんでそうなったのか。
もちろん、そんなことはわからない。
というか、それをおもしろおかしく解説するのが「芸能リポーター」の仕事なんだろうが、彼、あるいは彼女らの曰く、「いろいろ事情が積もり積もったんでしょう」。
そりゃそうだろう。
しかし、あえて疑問を呈するのだが、奥さんの花園ひろみはともかく、娘の行動だ。
山城新伍は、娘が旧に復してくれることを熱望し、彼女の誕生日には花束を彼女の家の玄関に置いていったそうだが、芸能リポーターの言う限り、その父親の熱望を娘はまったく歯牙にもかけなかったようだ。
そこまで娘を頑にさせたものは何か?
女性にとって大変な大問題である結婚・離婚に対する父親のふざけ半分の態度を許せなかったのではないかという芸能リポーターの解説だった。
なるほど、とも思うが、だとしたらそれは、山城新伍という人の性格というか人となり(その娘だというのに)に対する理解があまりにもなさすぎなのではないか?
いや、正確に言うと、その「理解」があまりにも一方的であることに対し,本人にまったく自覚がない。
それが問題だ。
ところで、芸能リポーターの解説を聞いていて、ふと思い出した。
それは、桂三枝が衆院選挙に立候補すると言って、娘が猛反対し、もし政治家になるのだったら縁を切るとまで言放った事件(?)だ。
私はこのすったもんだをスポーツ新聞で見て、なんでこんなに父親が政治家になるのを娘は反対しているのだろうと思った。
たぶん、落語家が政治家になることに対して、ものすごい偏見が彼女にあったのだろう。
あるいは、政治家そのものに対し偏見があったのかもしれない。
その結果、桂三枝は、泣く泣く(?)立候補を断念したのだったが、正直言って、その後数年、桂三枝はまったく芸の切れを失い、TVで見ても、いつも上の空で、まったくのデクノボウでしかなかった。
なんとか自分の調子を取り戻したのは、私の見るところ、大阪に新しい芸能劇場が開場したのがきっかけになったように思う。
関西落語のドンとして、先頭に立って張り切っていた。
やはり、桂三枝は「政治家」じみたことが好きなのだ。
私は桂三枝という人が非常に権力欲の強い人で、しかも実際に力を持っているので、関西芸人の多くが恐れているらしいことを雰囲気から感じ取り、あまりいい感じはしなかったのだけれど、一方で「それぐらいでなくちゃー」という感じもあり、芸人としては面白いと思っていた。
その桂三枝が政治家を目指すということは、吉本興行時代に輪をかけて権力欲にまみれることになるかもしれない。
「私の父が政治家を目指したら、とんでもないファシストになりますから私は身体を張って反対します」、娘はそう言いたかったのかもしれない。
……いやそんなことはない。
どう考えても、「政治家」に対する極めて浅い偏見(マスコミにあわせたような)しか、そこに見ることはできなかった。
この桂三枝の政治家転身をめぐる娘との確執に、山城新伍の「娘との確執」が重なって見えてしまうのだ。
ところで、関西芸人と政治家というと、ロンドンブーツの敦が「総理大臣を目指している」とラジオ番組で明言したらしい。
彼はまだ独身だが、仮に「総理大臣」を目指して一歩を踏み出すとき、彼に娘がいてその娘が大反対しても、そんなものは,あの顔で、鼻で笑って一蹴してしまうだろう。(桂三枝は、それができなかったところに、限界があったのかもしれない。)
この発言は,非常な意外感をもって受け取られたらしいが,私はそうでもない。
デビュー当時から、森田健作とは異なる「純粋まっすぐ君」的側面をちらちら見せていた。
しかし,その後、彼に「それらしい」様子は、あまり見られない。(もっとも、そう見ようと思えばみえなくもないような感じはあるのだが…って、曖昧~。)
もちろん、そんなことはわからない。
というか、それをおもしろおかしく解説するのが「芸能リポーター」の仕事なんだろうが、彼、あるいは彼女らの曰く、「いろいろ事情が積もり積もったんでしょう」。
そりゃそうだろう。
しかし、あえて疑問を呈するのだが、奥さんの花園ひろみはともかく、娘の行動だ。
山城新伍は、娘が旧に復してくれることを熱望し、彼女の誕生日には花束を彼女の家の玄関に置いていったそうだが、芸能リポーターの言う限り、その父親の熱望を娘はまったく歯牙にもかけなかったようだ。
そこまで娘を頑にさせたものは何か?
女性にとって大変な大問題である結婚・離婚に対する父親のふざけ半分の態度を許せなかったのではないかという芸能リポーターの解説だった。
なるほど、とも思うが、だとしたらそれは、山城新伍という人の性格というか人となり(その娘だというのに)に対する理解があまりにもなさすぎなのではないか?
いや、正確に言うと、その「理解」があまりにも一方的であることに対し,本人にまったく自覚がない。
それが問題だ。
ところで、芸能リポーターの解説を聞いていて、ふと思い出した。
それは、桂三枝が衆院選挙に立候補すると言って、娘が猛反対し、もし政治家になるのだったら縁を切るとまで言放った事件(?)だ。
私はこのすったもんだをスポーツ新聞で見て、なんでこんなに父親が政治家になるのを娘は反対しているのだろうと思った。
たぶん、落語家が政治家になることに対して、ものすごい偏見が彼女にあったのだろう。
あるいは、政治家そのものに対し偏見があったのかもしれない。
その結果、桂三枝は、泣く泣く(?)立候補を断念したのだったが、正直言って、その後数年、桂三枝はまったく芸の切れを失い、TVで見ても、いつも上の空で、まったくのデクノボウでしかなかった。
なんとか自分の調子を取り戻したのは、私の見るところ、大阪に新しい芸能劇場が開場したのがきっかけになったように思う。
関西落語のドンとして、先頭に立って張り切っていた。
やはり、桂三枝は「政治家」じみたことが好きなのだ。
私は桂三枝という人が非常に権力欲の強い人で、しかも実際に力を持っているので、関西芸人の多くが恐れているらしいことを雰囲気から感じ取り、あまりいい感じはしなかったのだけれど、一方で「それぐらいでなくちゃー」という感じもあり、芸人としては面白いと思っていた。
その桂三枝が政治家を目指すということは、吉本興行時代に輪をかけて権力欲にまみれることになるかもしれない。
「私の父が政治家を目指したら、とんでもないファシストになりますから私は身体を張って反対します」、娘はそう言いたかったのかもしれない。
……いやそんなことはない。
どう考えても、「政治家」に対する極めて浅い偏見(マスコミにあわせたような)しか、そこに見ることはできなかった。
この桂三枝の政治家転身をめぐる娘との確執に、山城新伍の「娘との確執」が重なって見えてしまうのだ。
ところで、関西芸人と政治家というと、ロンドンブーツの敦が「総理大臣を目指している」とラジオ番組で明言したらしい。
彼はまだ独身だが、仮に「総理大臣」を目指して一歩を踏み出すとき、彼に娘がいてその娘が大反対しても、そんなものは,あの顔で、鼻で笑って一蹴してしまうだろう。(桂三枝は、それができなかったところに、限界があったのかもしれない。)
この発言は,非常な意外感をもって受け取られたらしいが,私はそうでもない。
デビュー当時から、森田健作とは異なる「純粋まっすぐ君」的側面をちらちら見せていた。
しかし,その後、彼に「それらしい」様子は、あまり見られない。(もっとも、そう見ようと思えばみえなくもないような感じはあるのだが…って、曖昧~。)