gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

矢島祥子氏変死事件

2012-08-31 01:00:00 | 矢島祥子

本題に入る前に

ブラックアジア Darkness of Asia の啓蒙運動

http://www.bllackz.com/2012/08/blog-post_25.html

http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120819T1848270900.html

上記サイトは一見に値する。管理人の鈴木傾城氏については何も知らないが、無知蒙昧の一部の日本国民に対する啓蒙運動の一つのサイトと思う。

但し、メルマガで金をとるようになってしまったのは残念だ。「地雷を踏んだらさようなら」じゃないが「金を取るようになると迎合は避けられない」と思うからだ。「金をもらったらさようなら」になるかも知れない。個人売春婦には先に金を払うなという意味ではない、「暗殺されGoodbye」も含めての話だ。姿を見せない、個人情報が無い、情報は発信するが発信元は明かさないのでは「工作活動」の類であると謗りを受けても反論できない。ソクラテスにも吉田松陰にもキング牧師、ましてやマルコムXにも永遠になれないであろう。殺されることは無いであろう の意味である。

私の「ドクター康仁のうんちく漢方塾」のサイトでは、かなり、氏に近い政治的情報発信をしているが、発信元はバレバレであり、医院周囲を千鳥足で酔っ払って徘徊している、殺ろうと思えばいつでも出来る関西弁でいう「おっさん」が私である。おっさんは金を払ってブログをしている。啓蒙活動には違いないが、氏との相違点は情報発信元を公開しているところにある。

敢えて言わせてもらえば氏の文章には芸術性が無い。私の好みだろうがエスプリが無いのだ。つまり「フランス風の色気」が無いとでも言おうか。日本人に訴えるなら、色と情が必要なのだと私は感じる。

同じように東南アジアを徘徊したことのある同志?であるが、幸いにも、どちらも命を存えている。私の臨床はパソコンの画面だけを見てろくな診察もしないというような現代風のそれではなく、長々と患者と会話をして、出来るだけ五感を働かせ、すべてを記載し、診察を入念に行うというものであり、午後6時近くになれば、話すのも嫌になるくらい疲労が蓄積する。相手に自分を曝す連日である。患者あるいはそれ以外のメール相談に時間をかけてメール返信するのにも疲れ果てる。五感を鋭くする目的に朝食をわざと抜くこともままある。

氏に対する私の希望は「先ず、自分を曝すこと」である。「自分を曝さなければ、相手も自分を曝すことは無い」。単なる啓蒙活動から「連帯共闘」を氏が望むならそれをしなくては「裏工作」にとどまってしまうと、「大きなお世話」だろうが、危惧しているのだ。

私のひねくれディレッタンティズム的コメントは暗殺の対象にはならないと思うが、共通語で「いたましい」郷里の会津では「もったいない」の意味も時としてあるが「悼むべき」女医変死事件が、昨年の11月に発生した。

      本題に入る

「西成のマザーテレサ」「矢島祥子(さちこ)先生(享年34歳)」の死を悼む

時系列

2009111322時 勤め先の<msnctyst w:st="on" addresslist="27:大阪府大阪市西成区;" address="西成区">

西成区

</msnctyst>のK診療所で残業している姿が目撃される。

20091114415分 K診療所を出る アルソック警報システムの記録より判定

20091114日 自称交際相手に葉書を投函 消印より判定

遺体が発見された翌日、女医が出した1114日消印のハガキがある男性宅に届く。
文面は「出会えたことを心から感謝しています。釜(釜ヶ崎のことか)のおじさん達のために
元気で長生きして下さい」だった。

20091116120分 木津川の千本松渡船場で遺体発見 

大阪府警西成警察署は当初、祥子さんの死を自殺として処理

今年617日西成警察署は祥子さんの死を事件として正式に捜査すると発表

付記)

祥子さんの死の直前最も身近にいた人物は祥子さんの死後大阪から逃れていたが取材に対してのコメント

「見ちゃいけないものを見てしまって、どこかに連れさられたんじゃないかと」

「何者かに殺されたのでは」「だからあの街には近づきたくない」

「誰かが犯人にされるのであれば、明らかにされない方がいい。明らかにされることによって
 何が得られるのか…」

付記)

20091113日の午後10時頃祥子さんは診療所で一人カルテの整理に追われていたという。そして翌午前416分診療所に警報が鳴り響く。警備システムが作動したのだ。30分後警備員が駆けつけたが祥子さんの姿はすでになかった。この早朝は雨の本降りで、通勤路のアーケードを通って帰宅するはずなのに、8か所の防犯カメラに女医の姿は映ってない

二日後の午前1時、祥子さんは水死体で発見される。発見現場は診療所から約2.5km離れた木津川の渡船場

普段乗っていた自転車が思わぬ場所で発見される。警察は自転車の発見された場所の近くの路上生活者の往診で使用したと発表。その事実確認は無い

警察への取材で、その自転車には指紋がまったく付いていなかったと判明。生活反応である指紋の残留はアパートの部屋にも全く無し。ほこりも全くふき取られたように無かった

本年8月22日 西成警察所が告訴状を受理し、これまでの捜査内容を警察庁に報告すると発表

私は警察の初動捜査とか判断、認定を非難するものではない。但し、「医師」としての観察眼からもの申し上げているだけだ。

死体検案書(死亡診断書の右半分)

私も書式にしたがって作成したような記憶がある。継続的に診療中のものによる死因の場合については死亡診断書が作成される。それ以外は死亡診断書を作成することはできず、医師は死体を検案しなければならないとある。検案によって異状死であると判断した場合は、医師法第21条「異状死体等の届出義務」に基づき、24時間以内に所轄警察署に届出をしなければならない。その後、必要があると判断されれば、司法解剖や行政解剖に回される。

書式

検案を行ってもわからない場合は不詳と、時刻・時間を正確に計算できない場合は「(推定)」と記載する。また記載する必要のない項目については偽造防止のために斜線を引く。

氏名、性別、生年月日 死亡したとき 死亡したところおよびその種別

死亡したところの種別 死亡したところ 施設の名称

死亡の原因

(ア)直接死因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間

(イ)(ア)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間

(ウ)(イ)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間

(エ)(ウ)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間

直接死因には関係しないが上記の疾病経過に影響を及ぼした傷病名等

手術の有無と手術年月日

解剖の有無とその主要所見

死亡の種類

外因死の追加事項

傷害が発生したとき 傷害が発生したところの種別 傷害が発生したところ

手段および状況

生後一年未満で病死した場合の追加事項

出生児体重 単胎・多胎の別 妊娠週数 妊娠分娩時における病態又は異状

母の生年月日 前回の妊娠の結果

その他特に付言すべき事柄

検案年月日、検案書発行年月日と医師の住所・署名・捺印(すべて自書で署名した場合は、捺印はなくともよい

以上である。素人目には難しそうだが、あくまで書式であり、記入する医師の能力に依存する部分が多い。私は病理学教室に在籍したことがある。「病理解剖報告書」は紙一枚ではなく分厚いものである。司法解剖報告書も同じく頁数が多い。行政解剖報告書については知らない。

どの程度の検死が矢島氏に行われたか?を問いたい。

溺死を死因とするならば、当然気管内、気管支内、肺胞内の液体成分は保存管理されなければならない。(自殺の場合にはいわゆる気道内に湖水、河川水、海水がある。当該河川、海水には特有のプランクトンがあり、犯行あるいは入水、投身入水)現場の特定に繋がることもある。死後の水圧で水が入り込む場合もあるので肺のみならず他の臓器の保存も必要だ。

覚悟の上の入水自殺ならアルコール、抗精神薬、抗不安薬などの薬剤を服用している場合も(あるいは他殺の場合でも)あるので、血液サンプルも保存しなければならない。

生活反応を疑わせる所見である皮下出血、炎症、こぶなどがあれば病理標本を作製し、生前、絶命(心停止)後の判定をしなければならない。標本の作製までは行かなくとも、そのような固定臓器標本を作製したのか?(当該部分を切除し中性ホルマリンに漬けるだけで済む)

いわゆる溺死体の非特異的変化とその御遺体の特異的変化を記載していたか?

御遺体は物言わぬ物体ではなく、「語りかけていた」のだ。

それにしても氏の遺留品が見つかっているのかどうか?靴をそろえて投身するのが、(氏は熱心なクリスチャンであったらしいが)、まま日本人に見られる自殺行動の一つである。履いていた靴は見つかったのか?見つけようとしなかったのか?これは医師の視点ではなく、一般的な視線である。

本日の(漢方)市民講座は該当するものが見当たらないのでお休みにします。

殺されてから河川に投げ込まれたか?

投げ込まれて、河川で溺死したか?

外傷を受けた後で溺死したのか?(自殺 他殺を問わず)

溺死した後で御遺体が損傷されたのか?

以上に要約されるほど単純なものではないが、医師の観察、記録、臓器保存が不可欠な理由となる。写真の記録も欠かせない。(私はスベテの皮膚病の患者の画像を保存している。個人別フォルダーを作成し、プリントアウトしてカルテに貼り付けている。人間の記憶は医者も患者も共にいい加減である。写真は最良のエビデンスになる。)

 松本清張の「点と線」がある。矢島祥子氏変死事件での氏の御遺体は「」である。単独犯なのか複数犯なのかも、いまだに「」が見えてこない。捜査当局の奮闘努力を期待する。酷暑にかかわらず第一線で額に汗する捜査官には敬意を表する。 

あほらしい社会現象

釣り番組に寸志をいただいて映像出演した警察官が懲戒?免職?退職したとか?そんなことは庶民的感覚からすれば許容範囲ですよ。再就職の斡旋も当然あったでしょうから。思い切り釣りが出来る再就職を斡旋してあげたですよネ?

「釣りバカ日誌」の鈴木建設みたいな再就職先が理想かな?

飛松五男氏は現職中でもテレビ出演していましたが、「魚の釣り」でなくて「犯人を釣り上げる」ためでした。ということで「前例」にはならず「前代未聞」となったのです。

私の日常診療

日常診療で、ややもすると40分ぐらい長々と繰り言を述べる患者さんがいる。女性に多い。そういう時間帯を狙っているのではないかと疑いたくなる。看護婦が適当に間に入ってくれて中断を促してくれると私は助かるのだが、「先生は何よりも患者との会話を大切にする」と私に「洗脳」されているものだから、カルテに延々と記載しつつ患者の話が尽きるのを待つ。「~と関係あります?」の類のよくある質問に答えつつ、天候の変化、自覚症状の変化、義父母、夫婦間、親子間、隣人同士、職場の上司、同僚、付き合っている男、女、別れようとしている相手、すでに分かれた夫、などなど人間関係の変化、ペットが死んだとか、獣医でもない私にペットの質問、今後の予定、掛け持ち医者のデータや薬の説明の要求、知り合いの病気の相談などなどはまだ「許容範囲」である。

しかし、「どうして私だけがワーキングプアしなきゃならないんです?」云々と始まると、「そういう生活水準の不満てのはな、医者に言っても始まらないんだよ。市の生活保護科とかに言うべきことだ。もう聞きたくない!この俺の年金支給額を見てみろや!俺だってワーキングプアだ。医者が裕福だと思い込むんじゃネェ!」と「年金支給額」を見せて突き放す。ある女性はヒステリックに泣いて帰ってそれきり梨の礫(つぶて)、ある男性は憤慨するも性懲りなく再診し、同じ言動を繰り返す。

私は貧困ビジネスには一切関係を持たない。押しかけ往診も全くしない。

矢島祥子氏の辛苦は十分に想定範囲内である。現行医療保険制度内で医療施設管理者の管理下で壱勤務医として、悶え苦しんだに違いない。かといって、私も医療施設管理者であり、同時にオンリーワンの労働医を続けているが、「過労」はあるものの、「心神喪失」に陥って自殺衝動にかられたことは無い。管理者=労働者=私だからである。管理者≠勤務医矢島氏、医療保険制度管理=施設管理者、施設管理者は貧困ビジネスと関係を持たざるを得ない。こういうダイナミクスとして、奈良の山本病院事件にも貧困者ビジネスの一端を垣間見ることが出来る。

他殺であれば「怨恨」ではなく「口封じ」のための可能性は依然として残るのだ。

私の遺体が発見されたら「病死」「事故死」「殺意による他殺」「殺意の無い過失致死」のいずれかである。

しかし、抗議活動としての「絶対権力に対するテロ的な自殺」はあり得る。その際には、私は「プロパガンダの論理」に従い「抗議の遺書」を遺す。

矢島祥子氏はそれらしきメッセージを遺してはいない。

壱日本人として  八月二十六日  記


再度の御返事 漢方市民講座

2012-08-30 01:00:00 | 漢方市民講座

生真面目すぎる「熱心な漢方研究者」に対しての再度の御返事

先日、私の「白虎湯」に対するご意見をいただいて、それに対してお返事を差し上げた。再度 以下の様な御返事と質問があった。再びご返事する。

前回のやり取り:緑(質問者)青(私の回答)

> 粳米をもち米と定義してあるのは間違いではありませんか?
> 粳米は玄米、お米、うるち米だと聞いています。

この質問に対して「確かにご指摘のようにウルチ米であろう。」との回答を頂きました。これだけで十分だったのです。

> まして白虎湯に含まれるとすれば清熱作用を期待してのこと。

それをいらぬ事まで書いてしまいました。これは勇み足でした。石膏中の微量元素を安定させ薬湯に留める働きが粳米にあるわけで、」との事、了解です。

これからが今回の質問になる。

ついでに話題を少し広げますが、ある研究者は石膏からのコロイド状カルシウム自体が有効成分ではないかと云っています。それならばと石膏を超微粒子に粉砕してそのまま服用させればという事も考えておられます。これについてどう思われますか?私には納得できないのですが。

> もち米だと温性があります。玄米、お米、うるち米だと聞いています。これなら凉性で

これは小さな範囲内での比較です。薬草の持つ薬効とはレベルが違います。無視してください。考えたことも無かったのが私です。

> 粳米は玄米、お米、うるち米だと聞いています。これなら凉性で白虎湯と合います。

小さな温凉の差でも、もち米よりもお米の方が処方の統一性からはふさわしく思います。→処方の統一性という言葉は軽々しく使うべきではありません。

> 「リポステロイド」の如き、成分の閉じ込め作用がある

リポステロイドとは何か、もう少し説明が聞きたいものです。

私の再度の返答  以下

コロイド状カルシウムですか?貴方の知り合いの研究者であれば、「研究を続けなさいよ そのうち(ブレイク スルー)するまで」と言ってあげてください。昔からありましたよ「コロイド状カルシウム」の類は、私も飲んでいたことがあります。勿論清熱目的ではなくカルシウム補給骨成長促進剤として親に出されたものをいやいやながらね。私自身が興味を持つとすれば、カルシウムではなくコロイドの方で、膠質でもいいけれど興味はあります。そもそも石膏(せっこう)といっても、日本では卑弥呼時代にあたる大陸の張仲景時代の天然のそれであって、天然の二水石膏であり、天然物であるが故に、純粋の硫酸カルシウム2水和物ではなくケイ素、アルミニウム、鉄などなどの化合物が少量含まれているのです。竹葉石膏湯、防風通聖散、桔梗石膏湯などの石膏は純粋なCaSO4ではありません。私が微量元素に言及したのはそういう背景があります。ある研究者は石膏からのコロイド状カルシウム自体が有効成分ではないかと云っています。それならばと石膏を超微粒子に粉砕してそのまま服用させればという事も考えておられます。これについてどう思われますか?私には納得できないのですが。

返答続く

納得するもしないのも研究成果次第でしょうね。大昔には物理的に石膏を超微粒子に出来なかったわけですから。おそらくその研究者は親水性を狙っているのでしょう。大昔の白虎湯は加水熱処理をして、その上澄みを飲んだわけですから、そのまま砕いたいわゆる溶けない石膏では効果が無いことは承知していたでしょう。ですからコロイドという発想があるのです。マクロモルキュール(巨大分子)のコロイド化学の研究分野に近いですね。

でもね、それを実験で証明するとなると、まずは石膏の加水熱処理により、上澄みにコロイド液に特有な物理現象が見られるかどうかを証明する必要がありますね。次ぎにその分子解析をしなくてはならないでしょう。カルシウムだけなのか、他の微量元素も関係してくるのかです。

そして、いよいよ分離できたらの話ですが、出来るだけ純粋なカルシウムコロイド液を飲ませるなりして(腹腔内注射とかは避けなければなりませんね)動物実験を行い、赤外線カメラなどで体温降下作用を確認するという具合にね。

実験でネガティブデータがでたらやり直しです。他の微量元素のコロイド現象の確認。出来なかったら、もしもの話ですよ、まあ純粋なカルシウムコロイドには眼をつぶり、上澄みの、ある意味で雑多なコロイド液で実験しなおすということになります。ここでの実験対照群は古来の白虎湯を服用させる群は勿論のこと、知母、生甘草、粳米を一つ一つ除いた群、組み合わせた群、量的変化群が必要です。

莫大な時間をかけて実験解析を行い、カルシウムコロイドが有意に解熱作用に優れるという結果になったらあなたも納得するでしょうし、その研究者が挫折すれば、あなたは納得しないまま真相をしらないままになるのです。

思うに、その研究者が一生かかってもなかなかこれだ!と思える成果にはならないかもしれません。研究とはそんな具合で「道半ば」にして研究者の「死屍累々」に繋がります。

後漢時代の試行錯誤の末の白虎湯の解熱作用という発見を、白虎湯投与群 非投与群で実験して清熱作用を確認しても後漢時代から一歩も前に進んでいないことになることはあなたにも御理解いただけると思います。

小さな温凉の差でも、もち米よりもお米の方が処方の統一性からはふさわしく思います。→処方の統一性という言葉は軽々しく使うべきではありません。

あなたは「生真面目」ですね。でもね、仮にですよ、張仲景時代の弟子の誰かが、お米の代わりにもち米を間違っていれた結果、よい清熱効果が得られたという可能性もあるわけで、発見というのはこうした間違いから生まれることが多いんですが、処方の統一性なんて言葉はやや政治用語に近いですね。

私自身はもち米でも米でも山芋でもあるいはコーンスターチ(これは言いすぎか?)何でもいいだろうと感じています。要は「のり」ですよ。物と物をくっつける「のり」なんです。膠質(コロイド)の膠(にかわ)も「のり」なんです。

白虎湯は4味から成り立ちますが、これを弦楽四重奏とすれば、あなたの統一性に欠けるというご指摘は、演者の奏でる音楽よりも、その中の一人の氏素性を問題にしているようなものです。稲作が大陸から伝わったとは云え、1000年近くも前の、張仲景の周りで入手しやすかったものが、今のジャポニカ米じゃないことは確かであり、大陸の気候から判断して、北方の麦は手に入りにくかったかもしれないし、果たして玄米だったのか白米だったのか、精米の程度も確定もされていないんですよ。

納得なされないなら御自分で実験なさればよい。精米度を変えた実験群を作ってです。

古典の記載の正確度を云々するのはわかりますが、米の統一性なんていうほどの問題を白虎湯は抱えていないんです。漢方の初学者が陥りやすい罠ですね。原則に忠実な日本式(脱亜入欧)思考で柔軟性に欠けますよ。数学の世界じゃないんですから。

薬湯は口から飲むんです。噛まずに飲んでも消化酵素が必ず絡んできます。石膏成分は消化できませんが、粳米成分は必ず消化酵素の作用を受けます。消化、吸収、酵素の問題が出てきますね。きりが無いですね。澱粉そのものじゃないんです。加水加熱した多糖類として捉えなければなりません。(薬湯作成時点では酵素は関係ないということは御存知ですね)だからと言っては強引なのかも知れませんがムコ多糖でも代用が効く訳で、山芋でも代用可能と言及したのです。ムコ多糖も「のり」になるんです。昔私がこだわったグリコサミノグリカン糖蛋白じゃ飛躍しすぎかな?

それでも処方の統一性を主張されるなら、一つ方剤を紹介します。

へきうんたん辟瘟丹

羚羊角 朴硝 牙皂 広木香 黄柏 茅朮 茜草 黄金 姜半夏 文蛤 金銀花 川連 犀角 川朴 川烏 玳瑁 大黄 香 玄精石 郁金 茯苓 香附子 桂心 赤小豆 降香 鬼箭羽 朱砂 毛茨茹 大棗 甘遂 大戟 桑皮 千金霜 桃仁霜 檳榔 蓬莪朮 胡椒 葶藶子 牛黄 巴豆霜 細辛 白芍 公丁香 当帰 禹余粮 滑石 山豆根 麻黄 麝香 菖蒲 水安息 干姜 蒲黄 丹参 天麻 升麻 柴胡 紫蘇 川 草河車 壇香 桔梗 白  芫花 雄黄 琥珀 冰片 陳皮 腰黄 斑 蜈蚣 石龍子

暇があるときに考えてみてください。こうなると弦楽四重奏じゃなくて、下手な交響楽みたいでしょう?

> 「リポステロイド」の如き、成分の閉じ込め作用がある

リポステロイドとは何か、もう少し説明が聞きたいものです。

リポステロイドはもうお亡くなりになってしまいましたが元聖マリアンナ医科大学の水島教授の発明(考案)によるもので、リポプロスタグランジン発展の基礎となったものです。両者ともに、特に前者は、私も日常診療で使います。グーグルなどで、御自分で検索されてみてください。これからはカーボンナノチューブが注目されるでしょう。エマルジョンとかアジュバントなんかも関連のキイワードです。

細部にこだわるというのは研究者には必要な資質であると思います。しかし膨大な中国漢方の世界で細部にこだわっていると、大局を見逃すことになりかねないんです。トラップ(罠)に陥ることにもなります。良きことは取り入れ、疑問なところは心にとどめ置き、全体像を見るのが良い臨床医になるための王道だと思います。(貴方が医師であることの事実認定は無いのですが)

  

正体のわからぬ質問者へ 最後に

細部にこだわり「ブレイクスルー」を目指した自分自身もありました。

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/7277783

http://www.springerlink.com/content/67g1167j14331142/?MUD=MP

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6391765

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1440-1827.1984.tb07584.x/abstract?systemMessage=Wiley+Online+Library+will+be+disrupted+on+25+August+from+13%3A00-15%3A00+BST+%2808%3A00-10%3A00+EDT%29+for+essential+maintenance

などなど

すったもんだで、額に汗した臨床もありました。

http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200902076655405109

などなど

そして、膨大な漢方医学に迷い込んでいる現在の自分があります。

24歳で研究生活に入りましたが、「セブンティーン アゲイン」ならぬ「24アゲイン」には戻れません。もう61歳ですから。細部にこだわる研究者が漢方の世界に出現してくれることを期待するのみです。

付録誰かはしらねど、○○カルシウムコロイド研究者へ助言。石膏もいいですが滑石についても御考慮ください。天然磁石、竜骨とか牡蠣なんかも対象にすれば面白いですよ。NSAID分野では「解熱鎮痛」の用語が出てきますが、中国漢方の世界では「清熱」と「鎮痛」は別物の感がありますね。これも研究対象になさると面白いですよ。

八月二十五日 記

ながら族元祖

飲酒運転ならぬ飲酒ブログであり、深夜番組を横目にしながらの「ながら族」になっています。

ぷはァ もっと苦くて昔のようにコクのあるビールが無いのだろうか?

へたが青臭く、昔の(熟した部分に濃厚なアミノ酸を感じた)トマトってどこにある?

おいおいそんな山奥の渓流まで登りつめ 岩魚を釣るんじゃないって!

環境保護を考えろよな 釣り上げたブラックバスは元に戻すんじゃない!

吉行和子はいい 浅岡ルリ子はいい マリリンもいいなァ

男優はほとんど死んでるじゃないか、女はしぶといなァ 

俺のリリーちゃんどこ行った?(迷い猫のリリー 気が向くと忍び込んでくる)

モコ(昔の愛犬)が死んでから何年になるんだろう?

鹿肉のステーキかァ 旨そうだなァ 真っ青

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき

古今集 猿丸太夫より


外国人戦犯とフィリピン

2012-08-29 01:00:00 | 陰陽五行学説

極東軍事裁判で逮捕命令が出た外国人戦犯には、当然日本国であった併合韓国で日本軍側に立ち、戦争協力したいわゆる「親日派」の人間は「外国人」ではなく「日本人」であるが、戦犯とされ逮捕命令がでる人間が出たとしも不思議ではないのだが、半島人には逮捕命令は一切ない。(史実に誤謬があれば読者からご指摘ください)これは、米国が日本敗戦後の対ソ連、中国を戦略に入れていたからだ。半島は米(連合軍)、ソ連の間ですでに分割統治が決まっていた。

フィリピンの歓楽街に詳しい友人がいる。

彼を追いかけてマニラから来た女性の処遇に困った友人が私に彼女の保護を要請したこともある。さて、彼がよく言った「ドント ビー パロパロ」は私には「Dont be a Parrot Parrot」つまりオウム(Parrot)に聞こえた。「オウム返しになるな」つまり1他人の言ったとおりに言い返すな。(相手から詠みかけられた歌の一部だけを変えて、別の趣向で返歌するな)酒宴の席で、相手の差す杯を干して、すぐ返杯してはいけない。などと思ったが、実は誤解で、「浮気者にならないで」というタガログ語だった。そのフィリピン女性の申告する妊娠は検査の結果で嘘と判明し、彼は安堵して私に感謝した。肌の状態が非常に悪く、ビタミンB複合物、ビタミンC、ビタミンHなどを持てるだけ持たせてやった。というような経緯で私も数回フィリピンを訪れ、歓楽街を徘徊したことがある。マニラの夕日は綺麗だった。

米軍基地を目指せば必ず歓楽街がある

米兵は女日照りにならないようになっている。それでも素人女への強姦(致死)傷害事件はなくならない。フィリピンは、基本的には善人悪人詐欺窃盗、時に強盗、殺人なんでもありで、日本人は長くは住めない。お人よしの日本人が丸裸にされてしまうような危険性をはらむ土地柄である。ポリスがグルになっている場合もある。観察眼と英語力そして自己抑制、逃げ足の速さが最低限の生存するための必要条件だ。(冷戦終結を受けたアメリカ軍のアジア駐留軍縮小、ピナツボ火山の噴火に伴う基地機能の低下により、アメリカ軍は軍備を沖縄に集約しフィリピンから撤退した。)以前、在韓米軍基地に近いソウルのリテウォンにも遊んだがまだフィリピンよりマシであった。

閑話休題 南沙諸島

現在中国、フィリピン、ベトナム、台湾などが領有権をめぐり争っている南沙諸島に初めに目をつけたのは日本である。リン鉱石の発掘を目的に1939年、新南群島として領有する。しかし、1951年、サンフランシスコ平和条約にて領有権を放棄してしまう。領有を放棄した際に領有権をはっきり決めなかったので現在は紛争地域となっている。竹島はサンフランシスコ平和条約でも日本の領有権が認められている。

フィリピンの特殊な記念日 

東京裁判で外国人戦犯とされた人物もいる。ホセ ラウレル(日本占領下で独立したフィリピン大統領)、ベニグノアキノ シニア(フィリピン国民会議議長)、ホルヘ バルガス(駐日フィリピン大使)らである。

エドゥサ革命記念日

ベニグノアキノ コラソン ジュニア(通称ニノイアキノ)がマニラ空港で暗殺され、(中国、ソ連からの支援を受けた)テロ組織と戦うも、腐敗政治の極みを尽くした親米反共マルコス大統領は最終的にハワイに亡命(レーガン大統領が許可)ルーマニアのチャウチェスクがピープルパワーに負け逃亡しようとしたが捕捉され妻とともに銃殺されたような過激さは無かったのはアメリカの力である。そして、ニノイの妻コラソンアキノが大統領に選出された「エドゥサ革命記念日」支持派と彼女が着ていた黄色の服装からイエロー革命ともいう。

バターン死の行進の「バターンの日」

フィリピン攻略の主力部隊がルソン島リンガエン湾に上陸した。フィリピン防衛の任に当たっていたのはダグラス・マッカーサーのアメリカ極東陸軍(米比軍)で、マニラから撤退、バターン半島とコレヒドール要塞に篭城した。撤退途中の米軍は出会う村民を機銃掃射して虐殺した。日本軍はマニラを無血占領、その後、コレヒドール要塞を攻撃し、マッカーサーはコレヒドール島からオーストラリアに逃亡脱出。I shall returnと言ったとか言わなかったとか。

日本軍の予測(想定外)の米国捕虜数バターン半島米比軍の約76千名は、日本側の25千名と想定する捕虜数予想を大きく上回った。Japに使われては腹が立つとして多くのトラックを破壊した部隊は行進を余儀なくされ、壊さなかった部隊は死の行進を歩むことなく収容所まで行った。結局、マリベレスからサンフェルナンドの区間88キロを、将軍も含めた捕虜の半数以上が徒歩で行進することになった。この区間の行軍が「死の行進」と呼ばれた。

バターン半島守備隊の食料は降伏時には尽きており、日本軍も捕虜にまわす食料の余裕は無かった。さらに炎天下で行進が行われたために、約60Kmの道程で多くの捕虜が倒れた。死亡者の多くはマラリア感染者とも言われる。また日本軍では殴ることが日常的にあり、不服従とみると捕虜にも暴力をふるった。現地の指導的立場にあった辻政信はこの戦争は人種間戦争であるとして、アメリカ人兵士は白人であるから、フィリピン人兵士は裏切り者だから処刑しろと扇動した。約7千人から1万人がマラリアや飢え、疲労、その他暴力、処刑などで死亡した。米軍の死亡者は2300人と記録されている。フィリピン人の場合は、風貌が現地民と同じなので、脱走に成功した者が多かったとされている。

戦後のマニラ軍事裁判等において、本間や捕虜移送の責任者であった河根良賢少将は死の行進の責任者として死刑判決が下り処刑された

Photo_2 プロパガンダポスター

このニュースは米国民を激怒させた。バターン死の行進に言及するポスターには「全ての殺人者ジャップを叩き出せ」と書かれている。ウィキペディアより

「日本軍は捕虜たちを残酷に扱ったといわれているけど、自分たちにはそんな自覚はちっともなかった。炎天下であろうがなかろうが、日本軍にとっては一日10キロも20キロも歩くには当たり前。いつも通りのことをやったら、捕虜たちがバタバタ倒れてしまっただけだ」と証言したフィリピンにいた日本軍元兵士もいるらしい。

事実認定 検証作業はされていない。

「独立記念日」

アギナルド将軍が独立を宣言した「独立記念日」である。

Photo_3 アギナルド初代フィリピン共和国大統領

マニラの歓楽地の一つエドゥサ通りにあるアギナルド空軍基地にその名が残されている。5ペソ紙幣に肖像があった。

5 5ペソ フィリピン紙幣(アギナルド肖像)

Photo_4 20ペソ紙幣(アンドレス ボニファシオ肖像)

スは発音しない場合がある。

簡単にアギナルド氏の経歴をまとめると

反スペインゲリラ闘争→主導者にのし上がる(初めは共闘次ぎに政敵となったアンドレス ボニファシオの銃殺を含む。アンドレス ボニファシオの誕生日)→自ら大統領と名乗り共和国設立を宣言→香港へ亡命→米国スペイン戦争勃発(米西戦争)→米軍の要請により、反スペイン共闘の目的で帰国→612日にフィリピンの独立を宣言(独立記念日)→同年米軍とともにスペイン総督府を陥落させスペインとの戦闘を終結→。フィリピン共和国(第一次共和国)を樹立、初代大統領に就任→スペインはアメリカにフィリピンの領有権を約2000万ドルで売却。マッキンリー米国大統領は「フィリピン群諸島は合衆国の自由なる旗のもとに置かれなければならない」とする声明を発表→アギナルドをはじめフィリピン国民は抗議→米比戦争へと発展→。アギナルドは米軍に捕らえられアメリカの主権を認めさせられる→日本軍が進撃してくるとアギナルドは日本と協力、日本を応援する演説を行う。コレヒドール島に篭城するマッカーサーに対してフィリピンの無実の若者の命を助けるために降伏するよう求める演説までも行う→アメリカ軍がフィリピンに戻る→アギナルドは日本軍協力者であるとして逮捕される→19467月、第三次フィリピン共和国が成立→フィリピン共和国の独立に一生を捧げたアギナルドの波乱の人生が終結(享年94歳)

そしてコラソンアキノ(夫がニノイアキノその父シニアは親日)まで9人の大統領が続く→ラモス→エストラーダ→アロヨ→ベニグノアキノとなる。

ニノイアキノの日 ニノイアキノが暗殺された日

「ホセ リサールの日」


A級戦犯 ミャンマーの思い出

2012-08-28 01:00:00 | A級戦犯 アウンサン 鈴木敬司

いわゆるA級戦犯

A級グルメ、BC級グルメ」なる言葉として、現代残っているABC級である。まさかA級、BC級の由来がABC級戦犯にあるとは、地方グルメを食べて喜ぶ若い日本人は知らない。もともと欧米の食料だったチョコレートやコーンビーフ、ハンバーグにABC級の区別がついて回らない理由にも何の疑問も感じない。したがって、A級国産米とかBC級古米という表現も、ましてや、花魁(おいらん)をA級慰安婦、女郎をB級、夜鷹(よたか)をC級慰安婦などと呼ぶ文化も存在しない。

Photo 浮世絵 葛飾北斎作 夜鷹図

花魁、町娘、夜鷹 日本の美意識には区別、差別をしないという伝統がある。

A級戦犯」は、極東国際軍事裁判により有罪判決を受けた者である。定義づけをすればただそれだけのことである。

~ありきの勝戦処理

敗戦前の1945年(昭和20年)310には東京大空襲、同年の24日~11日には、ルーズベルト、スターリン、チャーチルによるヤルタ会談があった。同年726日、イギリス(アトリー)、アメリカ(トルーマン)、ソ連(スターリン)「中華民国(蒋介石)」の3国によるポツダム会談での合意に基づいて、大日本帝国に対して13か条の降伏勧告「ポツダム宣言」が発せられた。8月6日ヒロシマ原爆攻撃、88日には、イギリス、アメリカ、フランス、ソビエト連邦の4国がロンドン協定・戦犯協定を締結。「平和に対する罪」という新しい戦争犯罪の概念が登場し、8月9日長崎原爆攻撃、810日に日本がポツダム宣言を受諾。15日(玉音放送)に終戦となった。ヤルタ会談で米国がソ連の参戦を取り付け、沿海州、樺太、千島諸島の領有を参戦条件として認めたという情報は日本の参謀本部には届いていたとする番組が先日NHKで放映された。日本側が、そのソ連に終戦の斡旋を頼んでいたというわけだから、「ええ加減しろ!」といわれても仕方ない「お人よしの日本」であった。敗戦を早く認めていれば、あるいは「原爆」も食らわなかったし、「北方領土問題」もなかったかも知れないし、「中国残留孤児」の悲劇も起こらなかった可能性もあるというわけで、天皇を蚊帳の外に置く硬直化した軍事官僚体制であった。

マニラの軍事法廷で死刑判決を受けたのは、井野碩哉、本間雅晴、村田省蔵、寺島健、長浜彰らがいるが、習慣的に「A級戦犯」とは言わない。

Photo_2 写真東京大空襲による累々とした焼死体 

Photo_3 写真 ヒロシマ原爆 

Photo_4 写真 ナガサキ原爆 

Photo_5 写真 ナガサキ原爆被害者幼児

これらが「平和への罪」「人道に対する罪」とは一切無関係とする米国には絶句する。開いた口がふさがらないのをうまく表現できないが、一単語だけの発声なら「畜生!」以外に見当たらない。

興味をそそるのが、極東軍事裁判を控え逮捕命令がでた外国人戦犯で中でも

アウンサン

(ビルマ大使館付陸軍武官、ビルマ独立軍組織者)である。娘のアウンサンスーチー氏は1991年にノーベル平和賞を受賞した。彼の日本名「面田紋次」を知っている方は少ないであろう。

アウンサンの独立運動と日本への渡航

1938年10月より学生運動をへて、イギリス支配からの独立運動組織「われらビルマ人連盟」に入り、1940年まで総書記として活動し、一連のストライキ活動を主導した。1939815日にビルマ共産党が結成された際には、結党メンバーの7人の内の1人となり、初代書記長に就任している。ここで面白いのだが、1940年にバーモウの「貧民党」と合流し、3月にはイギリス支配からの脱却とインド独立を目的とするインド国民会議にも出席したが、イギリス政府の逮捕状が出たため中国アモイへ亡命、日本軍の鈴木敬司参謀本部大佐により日本へ逃れ箱根に滞在した。

1941年に一旦帰国、「十三人の刺客」ならぬ「三十人の志士」と後に呼ばれる仲間を率いて中国の海南島へ出国し、鈴木大佐の「南機関」のもとでイギリスからの独立戦争のための軍事訓練を受けている。

アウンサンの日本軍との共闘

1941年12月に、アウンサンらはタイ国バンコクにビルマ独立義勇軍を創設し日本軍と共に戦い、19423月にラングーン(後のヤンゴン)を陥落、翌年7月ビルマからイギリス軍を駆逐することに成功した。、南機関はバー・モウを中央行政府長官にして、ビルマに軍政を敷いた。同年1943年81日にバー・モウを首相とする「ビルマ国」が誕生すると国防相となる。この時期の彼の日本名が「面田紋次」である。

アウンサンの抗日戦争

インパール作戦の失敗など日本の敗色濃厚とみるやイギリスにつく事を決意し、194311月にはイギリス軍に「寝返りを考えている」と信書を送り、独立一周年の演説でビルマの独立はまやかしだと発言。8月後半にはビルマ共産党、人民革命党と提携して「反ファシスト組織」の軍事的リーダーとなった。

アウンサンはビルマ国軍をラングーンに集め、「反ファシスト組織」に属する他の勢力も一斉に蜂起し、連合国に呼応した抗日運動が始まった。連合国軍は戦後のビルマ独立を認めるつもりは無かったが日本軍を崩壊させるために利用価値があると判断し、その価値のために各種の援助を行った。

1945年5月、アウンサンは連合国側(英国、米国)と会談し、ビルマ国軍がビルマ愛国軍と改称した上で、連合国軍の指揮下に入ることに合意し、アウン・サン率いる愛国ビルマ軍は、イギリス軍指揮下のビルマ軍に合併された。

アウンサンの暗殺

イギリスは約束を空手形化し、ビルマの完全独立を許さなかった。ビルマは再びイギリスの植民地となったわけである。英領ビルマが再建されると、アウンサンは軍を去って反ファシスト人民自由連盟総裁に就任し、イギリス政府との交渉をはじめとする独立問題を継続する。元南機関長鈴木敬司が、戦後ビルマに連行され、BC級戦犯として訴追されそうになった時、アウンサンは猛反対し、鈴木は釈放された。

アウンサンは反英独立主義者であり、完全独立を目指した。活動を続けた。イギリス軍内では、アウンサンに反感を持つ者が何人もいた。

逮捕はしたものの、イギリスと共に抗日戦線を戦ったアウンサンを戦犯にすることができなかった。その後アウンサンは完全独立に向けてのイギリスとの厳しい交渉を続けた。終戦後間もない19477月に、ビルマ独立を見ないうちに、わずか32歳で、1948年にビルマは独立する。暗殺の首謀者や背景について、ビルマ人は、イギリスが「日本と組んだアウンサン」をどうしても許せず、死刑囚ウソオにアウンサンの暗殺とウソオの生命保全の交換条件引を持ち掛けたと信じている。

アウンサンはビルマ共産党の指導者の一人キンチーとの間に三人の子をもうけた。末娘アウンサンスーチーはビルマの民主化指導者としてノーベル平和賞を受賞することになる。

アウンサン暗殺そして、イギリス連邦からの離脱、1947年完全独立となった。しかし、部族の独立闘争、ビルマ共産党の政権離脱など、政権は当初から不安定だった。さらに、中国国民党軍の敗残余部隊の侵入、反共救国軍としてのゲリラ闘争とそれを援助する米国となり、政権は国連で中華民国と米国の策動に抗議してもどうにもならずの有様だった。ビルマ共産党は麻薬産業を支配下において、事実上の支配を継続した。国内の仏教優遇政策とキリスト教徒の割合が多い民族の強い対立云々。麻薬産業を背景にする北部と、独立志向の強い南部諸州と概ね2つの国内対立構造、おまけに、国民党軍、共産党勢力との武力闘争は国内を混乱させた。

軍事政権時代

ネウィン将軍は1962年に軍事クーデターを起こした。ビルマ社会主義計画党の最高指導者となり、ビルマ式社会主義を標榜した。1988年まで軍事独裁体制を維持したが、経済政策の失敗から深刻なインフレを招き、ミャンマーの経済状況を悪化させた。中国共産党の影での経済、軍事援助は公然の事実である。19889月に政権を離反した軍部が再度クーデターにより政権を掌握し再度ビルマ連邦へ改名。アウンサンスーチーは国民民主連盟を結党するも、ア総選挙前の1989年に自宅軟禁された。19905月の総選挙では国民民主連盟と民族政党が圧勝したが、軍政は議会招集を拒否し、民主化勢力への弾圧を強化した。総選挙当選者の一部は国外に逃れ、亡命政権としてビルマ連邦国民連合政府を樹立した。1991年アウンサンスーチーのノーベル平和賞受賞発表。

軍事政権は200610月に行政首都ネピドーへの遷都を公表。

選挙と民主化

軍人のテインセインが首相に就任すると、軍政


記憶の限界

2012-08-27 05:00:00 | 自虐史観 執行猶予付き死刑判決 パンダ 

記憶の限界

人間の記憶には限度がある。6000億の脳細胞のネットワークがあるにせよ、単純計算しても同数の記憶を同時に思い出すことは不可能だ。であるから個人の思い出というものは昇華 単純化されやすい。ましてや、個人を集合体とする民族の思い出となると昇華、単純化されないと纏まらない。これは人間という生物体としての避けられない宿命ともいえる。

「記憶の限界」が記録が尊ばれる所以となる。有識者とか学識経験者とか知識人とかの存在を肯定する根拠ともなる。ましてや戦後知識人という範疇があるのは一種の驚きだ。顕学(けんがく)と言う言葉もあるが、博識はまだしも、クイズ王の如き物知り博士は顕学の範疇に入らない。経験人という場合にはまだしも、自分が経験できなかった、つまり、その場所に居合わせたことも、人伝えにまた聞いたこともない事象は、残された記録を検証し、それに対する個人の「ワールド」を形成するしかない。その「ワールド」をしっかりと持つ人間が有識者ということになる。であるから、個人を形成する「思考方法、氏素性」に依ることは避けられない。

群盲象をなでる

いわゆる(~にお詳しいとされる)専門家でなく、それらしくコメントを付ける役回りを演ずるのが、「(本日の)コメンテーター」だとすれば、専門的な知識があり、世間から有能で見識が広く深いと認められている人を有識者とするのであろう。脳腫瘍の摘出術の技術を誇る脳神経外科医などという場合には、特定分野の専門家をさす。ただし、事象を見通し、本質を捉えるというような能力は、いくら訓練を積んで直観と、洞察力に磨きをかけても「限界」がある。例えば、タイトル保持者級の碁打ち(プロ棋士)には凡人が「さしで勝負」しても、丁半博打なら話は別だが、対局では必ず負けるのと同様の「限界」がある。「爆発物にお詳しい○○先生をお招きして、四畳半襖の下張りについてコメントいただきます」という「場違い的セッティング」の類よりも「マシ」な「頓珍漢的コメンテーター」をわざと番組内に仕掛け「笑って済ませる」というテレビ番組が増える結果となる。スペシャリストかつジェネラリストは存在しない。

したがって、以下の用語に対する私の見解はスペシャリストのそれではなく、私の「思考方法、氏素性」に由来する個人的なワールドであると理解していただきたい。

「コケにしやがって、負かしやがったな。バカヤロー!」と腹立ち紛れに、「ハジキ」を取り出すや、北野武の「BROTHER」張に、パンパンとプロの碁打ちを殺してしまえば「知の限界」を通り越して「暴力の論理」と発展するが、その「暴力の論理」自体が「知の論理」の中ではpriority優先事項の一つとなる。

キリがないのだ。

「自虐史観」と「礼(れい)」

押し付けられた日本国憲法の主権在民、平和主義、基本的人権の尊重のうち、平和主義と教育基本法が「事なかれ主義」と「私が悪うございました」とする「自虐史観」を生んだ。

以前オバマ大統領が陛下に謁見した際に「礼」をしたとして米国内では論議を生んだ。極東軍事裁判で判決を受けたA級戦犯が「絞首刑」の判決をウェッブに下されて「礼」をして退廷した印象がある。礼には「私が悪うございました」という心理的受諾と降伏も含むと連合軍は受け止めた。それがオバマ批判にもつながった。

広田弘毅は判決後「礼」はせず、(おそらくは傍聴席の家族に視線を向け)、そして退廷した。その視線の先に、将来日本の「事なかれ主義」と「自虐史観」の蔓延があると見通したと「仮定」したら、「冤罪刑死」の方を「潔し あるいは マシ」として氏は選択したであろう。

東条とて同じことだ。彼はキーナン、ウェッブとの裏取引で「天皇の訴追免除」を勝ち取り、絞首刑判決を受けたあと「礼」をして退廷したが、その「礼」は日本人の、古来からの習慣である「礼」であり、「私が悪うございました」の礼ではない。シルベスタースタローンが演じたランボーが顔色を失う小野田寛朗氏が、ブラジル移住を選択したのは、戦後民主主義のもたらした「自虐史観」はもとより、戦前は散々、軍部の戦争を「扇動」していた新聞社をはじめとする戦後豹変した「横柄なマスコミ」の小僧記者に辟易し、愛想をつかしたからだ。現代日本では、韓国大使館前での日本人デモの報道がマスコミで一切報道されないのも事実である。

現代日本の法廷でも被告人は、往々、開廷時に裁判長に向かい「礼」をする。「礼」の動作の必要性があるのかどうかは別問題であるが、「礼」の一つもしなければ「反省の色無し」という心象を与えることになる。事実認定と「礼」は一切関係しない。

執行猶予付き死刑判決 suspended death sentence

8月20日 安徽省合肥の中級人民法院は、重慶市の元共産党委員会書記、薄熙来氏の妻で、英国人実業家を殺害した罪で起訴された谷開来被告に対して、執行猶予付きの死刑判決を言い渡した。BBC http://www.bbc.co.uk/news/

ではThe wife of disgraced Chinese politician Bo Xilai is jailed and given a suspended death sentence for the murder of British businessman Neil Heywood.と流した。初公判は今月9日で、即日結審した。公判から結審までが短い。「何とかありき」の類の政治的判決である。谷被告(53歳)は精神的苦痛および党と国家に「大きな損失」を与えたことへの自責の念を強調したと報道があった。北京の英国大使館は20日、中国当局がヘイウッド氏の死を調査し、被告の責任を追及しようとしたことを歓迎するとのコメントを発表した。対英国には「死刑判決」をもって中国政府の真摯さを協調し、共産党体制内のスキャンダルをどのように国内的にコントロールしていくか?を模索した結果の審理時間が極端に短い結審である。優先事項を感得している中国の外交的決着でもある。

実質的無期禁固刑→模範囚→恩赦釈放 となる筋書きであろうが、国内体制の急変があれば 禁固刑→病死あるいは刑死となりうるわけで、彼女の生命の保全が確約されたわけではない。

パンダもトキ(朱鷺)も動物以外の何者でもない。

どちらも日中友好のシンボル的存在だ。戦後、インドのネール首相から、戦後の日本の子供たちを慰安するために送られた「象(ゾウ)のインディラ」とは象徴の度合いが違う。石原都知事のパンダ発言は本家中国よりも韓国のネット上で炎上したというが、そんなことは私にとっては「どうでもいい」優先順位の低いことである。*義理の祖父は日英同盟時代の海軍○将軍閣下、その息子は軍医を経て佐渡で開業、その末娘と私は結婚した。祖父がロンドンで購入したダイヤモンドは義母から私の妻に生前に贈られた。義母の話では、佐渡には朝鮮があったという。

ここで思考実験をしてみる。

現代日本で腹を空かせたホームレスが佐渡にいた。ひもじさのあまり、田に降り立った「朱鷺」をみて、「思わず生存欲にかられ、焼き鳥にして食べようと思い、礫(つぶて)を投じ、殺しました。あとで聞きましたが記念事業の参加のために事前に佐渡に来ていたらしい中国人学生の風体をした男性が、オラに入水口のレンガを剥ぎ取り投げつけました。動転していたオラは薪を振り回していたらその薪にレンガが当たり、跳ね返ったレンガが中国人の足に落ち、焼き鳥になった朱鷺と中国人を守るために立ちはだかった記念公園の職員が畦(あぜ)に足をとられ、中国人もろとも乾田に転倒し、日本人は両腕を擦りむいたんです。中国人は稲株に眼をつかれたんです。やってきた警察は、初め事情が飲み込めず、「焚き火をするなら消防署に連絡するように」と言って立ち去りましたが、警察もすぐに事情を知り「あのトキ」かと「ドキッ」としたので、あわててやって来てオラは逮捕されたんです。なにしろ犬を食ってから一カ月田んぼのドジョウをたまに盗んで食ったくらいで、腹が減っていて、朱鷺を足の長いニワトリと間違えたんです」と涙ながらに供述は続く

「ドジョウは朱鷺の餌でお前の食うものじゃない」と検事

「ドジョウ鍋は旨いですよ。踊り食いはしたこと無いけど」と書記官

「野犬はトキの敵で、オラは敵も殺しただ」と喜ぶ被疑者

「野犬はトキの敵かあ?」と検事が書記官に質問

「犬の性格ってのもあるでしょうし、、」と困惑する書記官

「犬の専門家の必要もあるなぁ はぁ」と判断できない検事

「犬を食ったってのはマズイですよ。日韓関係からも、、」と書記官

「調書からはずしておくか」とうなずく検事

「レンガがオラの頭に当たっていたら、オラは死んでたかも」と被疑者

「それも調書からはずしておこう」と検事 書記官もうなずく

さて、そのホームレスは、どのような罪状で起訴されるのか?罰金刑(といっても銭なしのホームレスである)以上の罪状になるのか?起訴されるとすれば、その訴因は「動物愛護法違反」「器(動)物損壊」「過失傷害」ではなく「文化財保護法違反」となるだろう。精神鑑定後に「心神喪失により無罪」にはならないだろう。
文化財保護法 第196
(第1項)史跡名勝天然記念物の現状を変更し、又はその保有に影響を及ぼす行為をして、これを滅失し、き損し、又は衰亡するに至らしめた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は30万円以下の罰金に処する。

これがおそらくは法治国家としての日本で適応される条文である。民事裁判なのか刑事裁判なのかは浅学の私は知らないが、裁判員制度がもし適応されるとしたら、、、。このような思考実験も悪くはない。

そこで、中国に倣うなら短期審理 執行猶予付き死刑判決 即日結審、記念公園の職員の表彰と、怪我した中国学生への謝罪と治療費全額負担と見舞金、焼き鳥の一部の朱鷺の供養塔の建設としたいところだが、臨時立法する以外、極刑に該当する法律が無い。執行猶予付き罰金刑ぐらいが「落としどころ」となるであろう。「執行猶予期間には田んぼのドジョウの繁殖増加に勤めるべく、清掃奉仕活動を行うこと」が主文に付け加えられる。「最初に~ありき」の筋書きだと、被告は傷害あるいは殺意に近い衝動から、レンガをが投げつけた云々とは まず 今の日本では「なさそうな捏造訴因」である。

Photo

上野動物園での故ネール首相と象のインディラ

本日の「漢方市民講座」

党参(とうじん)の党の由来 国民党 共産党の「党」ではない

ウコギ科に属する「人参」とは異なり「桔梗科」に属する。人参が「」であるのに対し党参は桔梗と同様に「

」である。作用は人参には及ばないものの、似たような薬効があり、何よりも安価であるので入手しやすい。山西省の上党地方産が広く出回っている。その産地名である上党の「党」に「党参」という名称の由来がある。現在、グラム単価でいえば、野山人参は金より高価である。

過去の野山人参に関する私の文責は以下にあります。

http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20070116

http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20080201

http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20061117

http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20061101

http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20060922

http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20061017

http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20061021

野山人参に興味のある方は、上記のドクター康仁 野山人参をご参考ください。

一句:浅漬けも食中毒の 元となり

解説:死亡報告が続く 病原性大腸菌は野放しにせず、文字通り「塩漬け」で活動繁殖を押さえ込まなければならないという意味です。

  八月二十日 記