肺陰を補うだけでなく、胃陰を補い、止嘔の効果がある
前のブログで滋陰至宝湯、滋陰降火湯について述べた。どちらも肺陰を補い、滋陰至宝湯は逍遥散加方、滋陰降火湯は逍遥散から離れた別個のものであり、ともに益気健脾作用、滋陰退虚熱の効果がある。同じく補肺陰の作用を持つ麦門冬湯の組成の最大の特徴は半夏の配合にある。
麦門冬湯(金匱要略 肺痿肺?咳嗽上気病に記載)
麦門冬 半夏 党参 甘草 大棗 粳米が組成である。
現代日本ではエキス剤が市販されているが、ほとんどの医師は麦門冬湯=肺陰虚の漢方薬というやや視野狭窄的な方程式にのっとって使用しており、とくに半夏が温燥の性質を持ちながらも、何故、麦門冬湯に配合されているのかを知らない。
最初に、麦門冬湯を理解するためには「肺痿(はいい)」と「嘔吐」の中の「胃陰不足」の理解が必要だ。
金匱要略では
肺痿(はいい)という概念があり、慢性の肺の津液不足(肺陰不足)をさし、①咳嗽 ②気喘 ③咽干 ④ 紅舌燥少苔を麦門冬湯証としている。付記すれば肺痿には虚熱型と虚寒型があり、それぞれ麦門冬湯、甘草干姜湯が主方とされている。
近代中医学の肺痿(はいい)の概念
肺痿は、肺葉の慢性虚損性器質性の病症を指し、各種の肺疾患:肺化膿症、肺結核、久咳を起こす肺疾患、喘、哮などが治癒されず久病となり長期に傷肺すると最終的に肺痿となる。肺痿に陥った状態では、肺と全身の津液不足を伴う場会が多く、初期には肺虚熱(麦門冬証:咳嗽、気喘、咽干、紅舌少苔)が目立ち、虚熱肺痿症とも言う。後期には虚寒証(甘草干姜湯証:濁唾涎沫、不口渇、尿失禁、頻尿、眩暈)が目立つことが多くなり、虚寒肺痿症として捉えることが可能である。肺痿は独立した疾患概念ではなく、肺葉の慢性虚損性器質性の病症である。
無気肺、肺繊維症、肺繊維症が高度進行したもの、ケイ肺症など肺の慢性虚損性疾患の治療には肺痿を参照すればいい。西洋医学でいうCOPDと一部オーバーラップしているが、COPDが基礎疾患を気管支喘息、肺気腫においている点が異なる。COPDは中医学では「肺張」の疾患分野に属する。
肺陰不足の症状と治療
(症状)乾咳、或は少痰、血痰、咯血、口乾咽燥、午後潮熱、顴部が赤く、五心煩熱、不眠、寝汗、痩せ、倦怠、舌質が赤く、少苔、脈が細数である。
証候を分析すると、肺陰不足で、肺の滋潤を失い、肺気上逆のため、乾咳少痰、口乾咽燥が見られ、肺絡損傷で血痰或は咯血が現われる。午後潮熱、顴部が赤く、五心煩熱、不眠、寝汗、痩せ、倦怠、舌質が赤く、少苔、脈が細数は陰虚火旺の症候である。
治療法は養陰潤肺、止咳化痰であり
方薬は麦門冬湯よりも沙参麦門冬湯(沙参 麦門冬 玉竹 生甘草 桑葉 白扁豆 天花粉 百合)加減が中国では用いられる。中医内科学には、沙参、麦門冬、天花粉、玉竹、百合は養陰生津、潤肺止咳し、扁豆、甘草は健脾和中する。化痰止咳を強化するに貝母、杏仁を加え、止血剤としては側柏葉、仙鶴草、田七、山梔子、藕節を加える。午後潮熱には銀柴胡、地骨皮を選用するとある。
嘔吐(おうと)
中医学では嘔吐は胃失和降、気機逆乱による病症を指す。ちなみに、物を吐き出す際にゲーっと音がするものを「嘔」、音がしないものを「吐」と称する。単に音のみで、吐物を伴わないものを「乾吐(乾嘔)」と称する。嘔吐には実証と虚証による嘔吐がある。
実証には(1)外邪犯胃(2)飲食停滞(3)痰飲内阻(4)肝気犯胃
虚証には(1)脾胃虚寒(2)胃陰不足がある。麦門冬湯が効果を示すのが胃陰不足である。
胃陰不足による嘔吐の特徴
反復性の嘔吐発作があり、喉は渇き、飢餓感はあっても食欲が無く、舌が赤い、脈が細数などの陰虚証を示す。
証候を分析すると、胃陰損傷、胃失濡養、気失和降のため、反復の嘔吐発作、或いは時々乾嘔があり、飢餓感はあるも食べたがらない。胃陰不足、津液上昇不能のため、口乾咽燥が生じる。舌が赤く、少津、脈が細数は津傷虚熱の症候である。
治療法は滋養胃陰、降逆止嘔である。
麦門冬湯(麦門冬 半夏 党参 甘草 大棗 粳米)を主方とする。人参(平性で、生津養血に作用する党参を使用する)麦門冬、粳米、甘草で滋養胃陰、半夏で降逆止嘔の効能を求める。過剰な津傷を見る者には、温燥の半夏を減量し、石斛、天花粉、知母、竹茹を加え、生津養胃の効能を期し、大便乾結の者に、白麻仁、蜂蜜を加え、潤腸通便をはかると中医内科学にはある。元方に従い、党参に代え、温薬である人参を使用する場合もある。大量の麦門冬が半夏の温燥の性質を消失させるといい、半夏の止嘔効果を残存させたまま、肺陰不足、胃陰不足を悪化させないと方剤学は述べている。
なかなか理解しがたい「方意」と「半夏」の効用
上海時代に薬学の文教授から教えてもらったが、「胃気なくばヒトは死ぬ」といい、末期に近づくとヒトは胃気が無くなる前に、「一種独特の音声を伴う息を吐く」という。その息をみると「数日以内に亡くなる」と予測できるという。「へー、そうしたものかぁ」と感心したものである。
中国医学には「胃熱」「胃気」「胃陰」と胃のつく概念が多い。「胃気は肺気の母」という言葉もある。「およそ肺病みて胃気あらばすなわち生き、胃気なくばすなわち死す」とは医宗金鑑(全90巻。1749年の成立。乾隆帝 高宗の勅により,医官が「傷寒論」「金匱要略」を中心として治療医学を編纂)中の名言とされるが、「麦門冬湯は胃中の津液乾枯し、虚火上炎するを治し、治本の良方なり」と記載されている。「半夏は辛温であるが胃を開き、津液をめぐらせるをもって潤肺す」とも記載されているが、胃の虚火上炎といい、半夏の効用といい、現代のデジタル思考的な頭ではなかなか感得できないものである。漢方にはある種の「悟り」が必要であるとは、上海曙光病院の蒋副院長の言葉である。
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