本題に入る前に
ブラックアジア Darkness of Asia の啓蒙運動
http://www.bllackz.com/2012/08/blog-post_25.html
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120819T1848270900.html
上記サイトは一見に値する。管理人の鈴木傾城氏については何も知らないが、無知蒙昧の一部の日本国民に対する啓蒙運動の一つのサイトと思う。
但し、メルマガで金をとるようになってしまったのは残念だ。「地雷を踏んだらさようなら」じゃないが「金を取るようになると迎合は避けられない」と思うからだ。「金をもらったらさようなら」になるかも知れない。個人売春婦には先に金を払うなという意味ではない、「暗殺されGoodbye」も含めての話だ。姿を見せない、個人情報が無い、情報は発信するが発信元は明かさないのでは「工作活動」の類であると謗りを受けても反論できない。ソクラテスにも吉田松陰にもキング牧師、ましてやマルコムXにも永遠になれないであろう。殺されることは無いであろう の意味である。
私の「ドクター康仁のうんちく漢方塾」のサイトでは、かなり、氏に近い政治的情報発信をしているが、発信元はバレバレであり、医院周囲を千鳥足で酔っ払って徘徊している、殺ろうと思えばいつでも出来る関西弁でいう「おっさん」が私である。おっさんは金を払ってブログをしている。啓蒙活動には違いないが、氏との相違点は情報発信元を公開しているところにある。
敢えて言わせてもらえば氏の文章には芸術性が無い。私の好みだろうがエスプリが無いのだ。つまり「フランス風の色気」が無いとでも言おうか。日本人に訴えるなら、色と情が必要なのだと私は感じる。
同じように東南アジアを徘徊したことのある同志?であるが、幸いにも、どちらも命を存えている。私の臨床はパソコンの画面だけを見てろくな診察もしないというような現代風のそれではなく、長々と患者と会話をして、出来るだけ五感を働かせ、すべてを記載し、診察を入念に行うというものであり、午後6時近くになれば、話すのも嫌になるくらい疲労が蓄積する。相手に自分を曝す連日である。患者あるいはそれ以外のメール相談に時間をかけてメール返信するのにも疲れ果てる。五感を鋭くする目的に朝食をわざと抜くこともままある。
氏に対する私の希望は「先ず、自分を曝すこと」である。「自分を曝さなければ、相手も自分を曝すことは無い」。単なる啓蒙活動から「連帯共闘」を氏が望むならそれをしなくては「裏工作」にとどまってしまうと、「大きなお世話」だろうが、危惧しているのだ。
私のひねくれディレッタンティズム的コメントは暗殺の対象にはならないと思うが、共通語で「いたましい」郷里の会津では「もったいない」の意味も時としてあるが「悼むべき」女医変死事件が、昨年の11月に発生した。
本題に入る
「西成のマザーテレサ」「矢島祥子(さちこ)先生(享年34歳)」の死を悼む
時系列
2009年11月13日22時 勤め先の<msnctyst w:st="on" addresslist="27:大阪府大阪市西成区;" address="西成区"> 西成区
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2009年11月14日4時15分 K診療所を出る アルソック警報システムの記録より判定
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2009年11月14日 自称交際相手に葉書を投函 消印より判定
遺体が発見された翌日、女医が出した11月14日消印のハガキがある男性宅に届く。
文面は「出会えたことを心から感謝しています。釜(釜ヶ崎のことか)のおじさん達のために
元気で長生きして下さい」だった。
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2009年11月16日1時20分 木津川の千本松渡船場で遺体発見
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大阪府警西成警察署は当初、祥子さんの死を自殺として処理
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今年6月17日西成警察署は祥子さんの死を事件として正式に捜査すると発表
付記)
祥子さんの死の直前最も身近にいた人物は祥子さんの死後大阪から逃れていたが取材に対してのコメント
「見ちゃいけないものを見てしまって、どこかに連れさられたんじゃないかと」
「何者かに殺されたのでは」「だからあの街には近づきたくない」
「誰かが犯人にされるのであれば、明らかにされない方がいい。明らかにされることによって
何が得られるのか…」
付記)
2009年11月13日の午後10時頃祥子さんは診療所で一人カルテの整理に追われていたという。そして翌午前4時16分診療所に警報が鳴り響く。警備システムが作動したのだ。30分後警備員が駆けつけたが祥子さんの姿はすでになかった。この早朝は雨の本降りで、通勤路のアーケードを通って帰宅するはずなのに、8か所の防犯カメラに女医の姿は映ってない
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二日後の午前1時、祥子さんは水死体で発見される。発見現場は診療所から約2.5km離れた木津川の渡船場
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普段乗っていた自転車が思わぬ場所で発見される。警察は自転車の発見された場所の近くの路上生活者の往診で使用したと発表。その事実確認は無い
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警察への取材で、その自転車には指紋がまったく付いていなかったと判明。生活反応である指紋の残留はアパートの部屋にも全く無し。ほこりも全くふき取られたように無かった
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本年8月22日 西成警察所が告訴状を受理し、これまでの捜査内容を警察庁に報告すると発表
私は警察の初動捜査とか判断、認定を非難するものではない。但し、「医師」としての観察眼からもの申し上げているだけだ。
死体検案書(死亡診断書の右半分)
私も書式にしたがって作成したような記憶がある。継続的に診療中のものによる死因の場合については死亡診断書が作成される。それ以外は死亡診断書を作成することはできず、医師は死体を検案しなければならないとある。検案によって異状死であると判断した場合は、医師法第21条「異状死体等の届出義務」に基づき、24時間以内に所轄警察署に届出をしなければならない。その後、必要があると判断されれば、司法解剖や行政解剖に回される。
書式
検案を行ってもわからない場合は不詳と、時刻・時間を正確に計算できない場合は「(推定)」と記載する。また記載する必要のない項目については偽造防止のために斜線を引く。
氏名、性別、生年月日 死亡したとき 死亡したところおよびその種別
死亡したところの種別 死亡したところ 施設の名称
死亡の原因
(ア)直接死因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
(イ)(ア)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
(ウ)(イ)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
(エ)(ウ)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
直接死因には関係しないが上記の疾病経過に影響を及ぼした傷病名等
手術の有無と手術年月日
解剖の有無とその主要所見
死亡の種類
外因死の追加事項
傷害が発生したとき 傷害が発生したところの種別 傷害が発生したところ
手段および状況
生後一年未満で病死した場合の追加事項
出生児体重 単胎・多胎の別 妊娠週数 妊娠分娩時における病態又は異状
母の生年月日 前回の妊娠の結果
その他特に付言すべき事柄
検案年月日、検案書発行年月日と医師の住所・署名・捺印(すべて自書で署名した場合は、捺印はなくともよい
以上である。素人目には難しそうだが、あくまで書式であり、記入する医師の能力に依存する部分が多い。私は病理学教室に在籍したことがある。「病理解剖報告書」は紙一枚ではなく分厚いものである。司法解剖報告書も同じく頁数が多い。行政解剖報告書については知らない。
どの程度の検死が矢島氏に行われたか?を問いたい。
溺死を死因とするならば、当然気管内、気管支内、肺胞内の液体成分は保存管理されなければならない。(自殺の場合にはいわゆる気道内に湖水、河川水、海水がある。当該河川、海水には特有のプランクトンがあり、犯行あるいは入水、投身入水)現場の特定に繋がることもある。死後の水圧で水が入り込む場合もあるので肺のみならず他の臓器の保存も必要だ。
覚悟の上の入水自殺ならアルコール、抗精神薬、抗不安薬などの薬剤を服用している場合も(あるいは他殺の場合でも)あるので、血液サンプルも保存しなければならない。
生活反応を疑わせる所見である皮下出血、炎症、こぶなどがあれば病理標本を作製し、生前、絶命(心停止)後の判定をしなければならない。標本の作製までは行かなくとも、そのような固定臓器標本を作製したのか?(当該部分を切除し中性ホルマリンに漬けるだけで済む)
いわゆる溺死体の非特異的変化とその御遺体の特異的変化を記載していたか?
御遺体は物言わぬ物体ではなく、「語りかけていた」のだ。
それにしても氏の遺留品が見つかっているのかどうか?靴をそろえて投身するのが、(氏は熱心なクリスチャンであったらしいが)、まま日本人に見られる自殺行動の一つである。履いていた靴は見つかったのか?見つけようとしなかったのか?これは医師の視点ではなく、一般的な視線である。
本日の(漢方)市民講座は該当するものが見当たらないのでお休みにします。
殺されてから河川に投げ込まれたか?
投げ込まれて、河川で溺死したか?
外傷を受けた後で溺死したのか?(自殺 他殺を問わず)
溺死した後で御遺体が損傷されたのか?
以上に要約されるほど単純なものではないが、医師の観察、記録、臓器保存が不可欠な理由となる。写真の記録も欠かせない。(私はスベテの皮膚病の患者の画像を保存している。個人別フォルダーを作成し、プリントアウトしてカルテに貼り付けている。人間の記憶は医者も患者も共にいい加減である。写真は最良のエビデンスになる。)
松本清張の「点と線」がある。矢島祥子氏変死事件での氏の御遺体は「点」である。単独犯なのか複数犯なのかも、いまだに「線」が見えてこない。捜査当局の奮闘努力を期待する。酷暑にかかわらず第一線で額に汗する捜査官には敬意を表する。
あほらしい社会現象
釣り番組に寸志をいただいて映像出演した警察官が懲戒?免職?退職したとか?そんなことは庶民的感覚からすれば許容範囲ですよ。再就職の斡旋も当然あったでしょうから。思い切り釣りが出来る再就職を斡旋してあげたですよネ?
「釣りバカ日誌」の鈴木建設みたいな再就職先が理想かな?
飛松五男氏は現職中でもテレビ出演していましたが、「魚の釣り」でなくて「犯人を釣り上げる」ためでした。ということで「前例」にはならず「前代未聞」となったのです。
私の日常診療
日常診療で、ややもすると40分ぐらい長々と繰り言を述べる患者さんがいる。女性に多い。そういう時間帯を狙っているのではないかと疑いたくなる。看護婦が適当に間に入ってくれて中断を促してくれると私は助かるのだが、「先生は何よりも患者との会話を大切にする」と私に「洗脳」されているものだから、カルテに延々と記載しつつ患者の話が尽きるのを待つ。「~と関係あります?」の類のよくある質問に答えつつ、天候の変化、自覚症状の変化、義父母、夫婦間、親子間、隣人同士、職場の上司、同僚、付き合っている男、女、別れようとしている相手、すでに分かれた夫、などなど人間関係の変化、ペットが死んだとか、獣医でもない私にペットの質問、今後の予定、掛け持ち医者のデータや薬の説明の要求、知り合いの病気の相談などなどはまだ「許容範囲」である。
しかし、「どうして私だけがワーキングプアしなきゃならないんです?」云々と始まると、「そういう生活水準の不満てのはな、医者に言っても始まらないんだよ。市の生活保護科とかに言うべきことだ。もう聞きたくない!この俺の年金支給額を見てみろや!俺だってワーキングプアだ。医者が裕福だと思い込むんじゃネェ!」と「年金支給額」を見せて突き放す。ある女性はヒステリックに泣いて帰ってそれきり梨の礫(つぶて)、ある男性は憤慨するも性懲りなく再診し、同じ言動を繰り返す。
私は貧困ビジネスには一切関係を持たない。押しかけ往診も全くしない。
矢島祥子氏の辛苦は十分に想定範囲内である。現行医療保険制度内で医療施設管理者の管理下で壱勤務医として、悶え苦しんだに違いない。かといって、私も医療施設管理者であり、同時にオンリーワンの労働医を続けているが、「過労」はあるものの、「心神喪失」に陥って自殺衝動にかられたことは無い。管理者=労働者=私だからである。管理者≠勤務医矢島氏、医療保険制度管理=施設管理者、施設管理者は貧困ビジネスと関係を持たざるを得ない。こういうダイナミクスとして、奈良の山本病院事件にも貧困者ビジネスの一端を垣間見ることが出来る。
他殺であれば「怨恨」ではなく「口封じ」のための可能性は依然として残るのだ。
私の遺体が発見されたら「病死」「事故死」「殺意による他殺」「殺意の無い過失致死」のいずれかである。
しかし、抗議活動としての「絶対権力に対するテロ的な自殺」はあり得る。その際には、私は「プロパガンダの論理」に従い「抗議の遺書」を遺す。
矢島祥子氏はそれらしきメッセージを遺してはいない。
壱日本人として 八月二十六日 記