喘息 アレルギー性鼻炎の既往症があるが、来院当時は収まっていた。2010年の8月上旬に全身性の痒みが出現し、頭皮の痒みも出現した。8月下旬から頭髪の脱毛が出現した。近くの皮膚科を受診し、ステロイド剤の軟膏とローションを処方されて頭皮に塗っていたが、脱毛が進んでほとんどの頭髪が抜けてしまったために、神戸大学皮膚科を受診した。原因不明とのこと。脱毛は進行中であるも、治療開始までには検査が続くために、同年の12月4日に当院を受診した。
初診時所見
側頭部、前頭部に僅かに頭髪が残っている。頭皮を触ってみるも熱感は無い。頭皮に赤みは無く、青白い印象を持った。問診で、同年の7月に愛犬が病死していた情報を得た。脈証、舌証に特徴的所見は無かった。生理不順は無いとのことだった。
愛犬の死後、不眠傾向が続いたという。途中覚醒もあった。悲嘆に暮れるという状態であった。
漢方診断：陰血虚生風 髪失滋養 肝腎不足 心血不足
心胆気虚
治療方針：補肝腎陰血 養陰血祛風 重鎮養心安神 活血化瘀
処方内容
杜仲 桑寄生 菟絲子 肉蓯蓉 枸杞子 何首烏 熟地黄 当帰
白芍 川芎 桑椹子 益智仁 酸棗仁 五味子 黄耆各6g 桂枝4.5g 竜眼肉 側柏葉 補骨脂 女貞子 旱蓮草 茯苓各6g 白朮4.5g 遠志 牡蠣 丹参 山薬 大棗各6g
以上の28味生髪方の煎じ薬で治療を開始した。
40日後再診時所見
まだらではあるが、はっきりとした生髪部位が観察される。
80日後再診時所見
40日では発毛が無かった部分に発毛が観察され、40日後再診時の生髪部位の髪の増加が確認される。
4ヶ月後再診時所見
脱毛は止まり、生髪のみとなり、髪質は良いが、まだボリュームが若干足りない。
半年後再診時所見
髪質、ボリュームともに申し分ない状態にまで改善している。
10ヶ月再診時には、長くなった髪を切って、驚くべきことにショートヘアにしたとのこと。治療終了と判断した。
「2_3.bmp」をダウンロード 康仁堂28味生髪方の、方剤的解釈や各生薬の説明は次稿に述べることにする。
脱毛ほど悲しいものは無いとタイトルに記したが、あくまで漢方皮膚科を診療している医師の立場からの意見で、脱毛の代わりに「破産」「貧困」「失業」など何を入れても、現代日本の社会情勢では現実として存在する悲しみである。
今年も8月15日の終戦記念日がやってくる。髪は女性の命という表現がある。和紙に包まれた女性の髪を抱き、太平洋に散華した同胞の男子を思い出す。終戦記念日が近くなってくると、「髪」が特別な色彩を放って私の胸に迫ってくる。それは「黒」である。物理学的には黒は色彩ではないが、「命の黒」である。油絵の具のブラックを表現する単語にはカーボンブラック、ミッドナイトブラックなどいろいろあるが、「命の黒」も加えたいと個人的に思う。ジャパニーズブラックと命名したい。有機水銀、カドミウム、砒素、そして放射性セシウムなどによる「命の黒の汚染」。これらは悲しみと同時に怒りである。