☞ How will we know when Jesus is coming back? | N.T. Wright at UT Austin
6分33秒から最後まで。
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イエスは数多くの例え話をされました。
その中のひとつがマタイ伝、ルカ伝に記されています。
ある人が旅に出かけた。しもべたちにお金を渡し、商売をするように命じた。旅から戻った時、僕たちがどのように過ごしていたかを確かめた。
多くのクリスチャンはこの話を読んで、これはキリスト教史終焉における主の再臨のことだと考えています。
キリスト教史終焉とは、主の再臨までの間に、イエスが望んでいたことを教会が行なったかどうかに関して教会が裁かれることを言います。
ルカ伝19章に書かれているたとえが大変分かりやすい。
この話しは、これから起こることではありません。
ここには、多くの現代のクリスチャンが以前は理解できなかったことが書かれています。
イエスの時代のユダヤ人は、大いなる希望に満ちて生きていました。
希望の中心にあったのは、紀元前450年頃のバビロン捕囚の時代にユダヤ人を見捨て、その後ご自身の栄光を帯びて、ついには神殿に戻り、そこに住まわれる神でした。
第2神殿時代には全く見られなかった光景です。
イエスが語っているのは、神はご自身の民を放任するも、その後に戻ってくるというストーリーです。
イエスがこの話をした理由は、彼ご自身がエルサレムに戻ることにより、イスラエルの神がシオンへと戻ることを具体的に表現するためです。
これは、多くの人が福音書を読む時に思う壮大なテーマであり、パウロでさえ想像もできなかったテーマであります。
これは、当時のユダヤ人の著作物においてあまりにもおぼろげなものでした。
なんとか私たちはそれを分析しなければなりません。
再臨は重要ですが、一世代内で起こるであろうこととは、エルサレムの陥落でした。
2世紀において、3世紀において、再臨は起きませんでした。
そこで、人々は再臨は起きないではないかと言いながら、一方で、いやいやいつかは必ず起きるかもしれないと言ったりもしました。
しかし、この世代には起きませんでした。
このことについて、もう一言言わせてください。
限界点を超えるほどのとてつもなく大きなことです。
20世紀の中頃、ドイツの学界において、このことは興味深い重要課題となりました。
その理由のひとつが、多くのドイツ哲学者やヴァルター・ベンヤミンのような文化評論家が現れたことによります。
ヴァルター・ベンヤミンの業績は、ご存じだと思いますが、20世紀中盤、20世紀前半に、マルクス主義の希望の下で生きたことであります。
当時は歴史の転換期でした。
この変化が偽の希望であることが判明し、ヴャチェスラフ・モロトフが戦争の開始に向けてのヒットラー型の衝撃を露わにした時、人々はパニックに陥り、歴史上起こり得るすべてのことに対して、もはや望みは断たれたと言いました。
現在が完全に新しい事象であり、新しいメシアの時代です。
私たちが必要なのはまさにこれです。
過去にそれは起きませんでした。
20世紀中盤におけるヨーロッパ文化に生きる多くの人たちは、望みのないことに気づいて震え上がりました。
興味あることに、まさにその当時、ヨーロッパの多くの神学者は、初期の教会において希望が絶たれたことについて多くの書物に残しました。
私には、いまだに解決されてはいないが進行中の計画があるように思われてなりません。